ドアを開けた瞬間、強い日差しが家の中を照らし出す。広太は思わず目をつぶりながら外に足を踏み出した。
「おじいちゃん、おはよう!」
 声変わりする前の凛とした声が響き渡ると、それに呼応するかのように一帯がざわめき始める。
「どうしたんだい、広太?」
 どこからともなく聞こえてくる声。ため息混じりに聞こえるのは気のせいだろうか。もしそうだとしても、なぜ呆れられるのか理解できなかった。
 周囲には誰もいないが、その声を聞くと広太は安心感を覚える。微笑を浮かべて正面にそびえる巨大な木を見据えた。
 全高五十メートルはありそうな大きな杉の木。幹は図太く、その下からは普通の幹と見間違えるほどの太い根が地面から浮き出ていた。それでいてバランスが 良く、真っ直ぐ上に向かって生えている。見上げれば、天まで届きそうな錯覚に囚われる。枝や葉によって日が差し込む隙間さえない。そんな大木の近くに―― それでも十数メートル離れた場所に――広太の家は建っていた。
 家や大木を囲むように森が広がっている。先を見通せないほど深い森なのだが、それすらも小さく思えてしまうほど大木の大きさは群を抜いていた。
 周囲には目もくれず、広太は真っ直ぐ大木の所に向かう。
「もう昼過ぎだというのに、やっと起きたのかい」
「え? もうそんな時間なの?」
 驚いて見上げてみると、すでに太陽は昇りきっていた。頭をかきながら笑ってごまかすと、幹の側にある露出した根に腰を下ろす。
「昨日は徹夜したから。ほら、この服の裾の部分、縫い直したんだよ。枝に引っかかって破けちゃったからね」
 そう言って色あせた白地のシャツの袖をつまんで見せた。半袖の涼しそうな服に、少々不釣り合いな赤い布が縫いつけられている。
「また派手になったな。それで徹夜とは……一人暮らしも大変だな。まだ十歳の男の子なのに」
 感心してるのだと思ったが、少し違うような気がする。考えても分かりそうにないので気にしないことにした。
「おじいちゃん、心配だったんでしょ。僕がなかなか出てこないから」
 幹を軽く叩きながらそう言うと、大木を見上げて微笑んだ。
「それは心配するよ。寝起きのいい広太が遅いんだから」
「ごめんね。寂しくなかった?」
 広太はさっきからそうやって何度も話しかけている。見えない誰かではなく、視線の先にある木に対して。
 他人が見れば気が動転してるようにもとれる。しかし、この場ではさほど不思議なことではない。
「そうやって年寄りをからかうのかい?」
「えへへ、ごめんね」
 どこからともなく聞こえる声にそう答えながら、広太は嬉しい気持ちになる。見つめる先の木が再び揺れ、それが笑っているように見えたからだ。
「でも、独りでじっとしてるのは嫌でしょ?」
「まあ、確かにその通りだ。木だから仕方のないことなのだが」
「そっか、木だもんね。なのに、何で僕と話ができるんだろうね」
 誰に追求するでもなく、微笑しながら変わったことを口にする広太。目の前にある大木は言葉を話すことができる。それはものすごく異常なことなのに、広太は全く気にしてない。当たり前のように、大木と自然に接している。
 長く生きたことで意識を持ったのか、大木は人と話す術を手に入れた。以前そう教えられたのを思い出して苦笑する。まるでおとぎ話だが、広太はなぜか信じていた。信じざるをえない状況だからなのかもしれない。
「そういえば、この島って本当に誰もいないんだよね。あっちこっち遊びに行くんだけど動物しか見つからないし」
「そうだ、広太達が来る前は誰もいなかったからな。君の両親はもう他界したから、今じゃ広太一人……本当に今までよく頑張ったよ」
 今まで広太をずっと見守ってきただけに、大木はとても嬉しそうだった。
 広太は顔をしかめて背ける。両親のことを口に出してほしくなかった。記憶に残っている優しい両親の姿が思い浮かぶ。辛くなるから思い出したくなかったのに。
 不機嫌になりながら、ふと疑問を抱いた。そういえば何で……
「何でパパとママはこんな無人島に来たんだっけ」
 突然の問いに大木は戸惑ったのか、すぐには答えなかった。しばらく考える素振りを見せてから言う。
「詳しくは聞いてないが、静かな場所を求めていたのは覚えてる。あの時は生まれて間もない広太を抱えてたからな。でも、長い船旅で広太は衰弱しきっていた。赤ちゃんには酷なのは分かってたはずなのに……それでも来たのは、よほどの訳があったんじゃないかな」
「誰かに追われてたの?」
「あんなにいい人に限ってそれはないと思うが……結局聞かずじまいだから」
「ふーん、そっか。もう聞けないんだよね」
 何で今さら聞くのだろうか。大木はそう思ったに違いない。首を傾げる時のようなうなり声をあげている。広太も、何で聞きたくなったのか分からずにいた。
 明るく振る舞いながらも、広太はどんどん暗い気持ちになる。そんな広太の表情の変化に気付いたのだろう。
「すまん、私のせいで思い出させてしまったようだ」
 そう言う大木に、広太は無理に明るい顔を作りながら言葉を返す。
「いいよ、あんまり気にしてないから」
 大木に背を向けると、視線を空に向けて流れそうになる涙を袖で拭いた。
 しばらく黙っていると、さすがに心配になったのか大木がざわめきだす。これ以上心配させまいと向き直ろうとした時だった。
「あれ?」
 視界の端に何かがよぎった。体が半分ねじれる格好になりながら、視線は森の奥に釘付けになる。遠くてはっきりしないが、うっすらと人の影が揺らめいていた。
「どうしたんだ、広太」
「え?」
 呼ばれたことに驚き、大木を見る。慌てて森を指差した時には人の姿は消えていた。
「あの……向こうの方に誰かがいたような気がするんだけど」
「まさか。何かの動物と見間違えたんじゃないのか?」
「うーん……でも、女の子に見えた気がする」
 そう言いながら再び大木に背を向ける。
 この島に誰もいないのは分かっていたが、〝もしかしたら誰かが訪れたのかも〟――そう思うと、いてもたってもいられない。そんな広太の気持ちを察したのか、大木が強い口調で言った。
「広太、そっちに行ったら駄目だ!」
「うん……でも、気になるから見てくる。夕方までには帰るから」
 広太には言いたいことが十分すぎるほど分かっている。それでも本当に少女がいたかどうか確認したかった。悪いと思いながら、その足は森に向かって動き出す。
「戻ってくるんだ!」
 大木の制止を聞かず、これ以上引き止められまいと急いで森の中に入った。

「どうしよう」
 見渡す限りに背丈の高い木が生い茂っている。広太の背丈では遠くを見ることも叶わず、途方に暮れていた。木々が光を遮り、この辺は薄暗くなっている。時々差し込む光が、徐々に赤みを増していく。髪をなびかせる風は、広太を優しく包み込んでいった。
 広太は道に迷ったのだと悟り、力尽きるように座り込んだ。十歳になったばかりの彼にとって、この状況は非常に好ましくない。
 少女の姿を追って森を入るまでは良かったのだが、よくよく考えてみると初めから見失っていた。それでは見つかるわけもなく、がむしゃらに捜した結果がこれだ。何より自分の不甲斐なさに呆れる。
「このまま帰れないのかな。じっとしててもしょうがないけど、道が分かんないし……うーん、どうしよう」
 ため息をつきながら、不意に森の奥を見据える。真っ正面から日差しが差し込み、森全体を赤く染めていく。夜が間近に迫ってくることを察し、わずかながら不安を募らせる。日が沈むまでのわずかな時間に帰り着ける距離ならば問題ない。だが、
「何だろう?」
 森の向こうに言い知れない何かを感じていた。首を傾げながら考えてみるが、答えは見つかりそうもなかった。
 このまま帰りさえすれば忘れてしまうのだろう。それほどまでに存在感の薄い、微かな感覚。それなのに気付けば立ち上がり、吸い寄せられるように動き出していた。
 森の奥に行けば行くほど、日差しが眩しさを増していく。視界が夕日に遮られ、目をつぶった直後、生い茂っていたはずの木々が姿を消していた。はっとして 振り返ると、先を見通せないほどの樹海が広がっている。それは広太がよく知っている森だ。小さい頃から慣れ親しんだ彼の遊び場だ。でも、普段目にする姿と は違って見えた。外から見る森、その光景を目の当たりにしたのが初めてだったからだ。
「それじゃあ、ここは森の外なの?」
 誰に聞くでもなく、森に背を向けて声を出す。そして、今度は言葉を詰まらせた。
 今にも沈もうとしている太陽が空を赤一色に染める。地面をも本来の色すら分からないほどに輝かせていた。その一点の曇りのない光景に、ただ息を呑むばかり。しだいに輝きは失われていき、そこが広大な丘だと気付いた時には沈んでいた。
 視界を遮る物が何もなく、どこまでも続く丘。森を背に、行き先の分からない道を進んでいく。ただ、心の奥底から湧いてくる何かに突き動かされて、足を止めることができない。
 暗さが増すに連れ、視界が悪くなってきた。遠くだけでなく、すぐ側をもはっきりと知覚できなくなる。しまいには視界全体がぼやけてしまう。
 はっとした広太は慌てて目をこする。
 夜になったのに何をしているのだろう。冷静に考えてみれば、自分は迷子なのだ。先を見ることも叶わないこの状況では、家に帰るのは無理だろう。誰かが助けに来るなんて想像すらできない。完全な孤独だ。
 考えただけでも身震いする。時折吹く風はさほど寒くないのに、背筋が凍るような感覚だ。それなのに不思議と帰る気が失せていく。そして何かに吸い寄せられるかのように歩を進める。
 しばらくすると暗闇の中により深い色の陰を見つけた。
「何だろう、何かあるのかな」
 その何かに近付いていくと、陰がどんどん大きくなる。それが視界に収まらないほどの大きさになったと思った直後だった。
「あれ、足に何か引っかかったような……て、う、うわぁーーーー」
 何かにつまずいて地面に突っ伏した。顔を押さえながら起きあがり振り返ると、地面から飛び出た、手に収まりきれないほど太い根を見つける。
「いてて、何でこんな所に根っこがあるの?」
 その根から、近くに大きな木があることは一目瞭然だ。木が全くない丘を登ってきたはずなのに、広太は不思議でならなかった。
 しばらく見渡してから倒れる直前に見た陰を思い出す。
「あれって……もしかして」
 落ち着いて見ると大きなシルエットは確かに木の形をしていた。それは何よりも大きく、雄大にそびえている。
「何か見覚えがある気がするんだけど……まさか大木のおじいちゃんじゃないよね」
 しばらく黙って待っていたが、何の反応もない。あの大木なら呼びかけなくても近付けば気付く。それに、知ってる場所に戻ってきたとは考えられない。徐々に慣れてきた目で、もう一度周囲を見ることにした。
 遠くには森があり、目を凝らせば何とか見える。暗闇の中に、より深い闇が静かにたたずんでいる。長い間歩いてきたのだと知ると、寂しさがこみ上げてくる代わりに呆れて言葉も出なかった。
 木陰から出て座り込む。思い切り背伸びをしながら寝ころぶと、一面に広がる夜空を見た。
「うわぁー、きれいな星空だー」
 雲一つない澄んだ空に、真珠をちりばめたかのように幾億の星が輝きを放っている。そのどれをとっても、優しく鮮やかな美しさを持っていた。広太は星座を知らない。それでも模様のように見える星は様々な形を彼に想像させる。
「何てきれいなんだろう、こんなの初めて見たよ」
 食い入るように見ていると、眠るのも忘れてしまう。普段見る夜空は、木々の隙間からだったり、海岸からだったりと限られていた。空一面に広がる星を見ることなど到底できなかった。
 広太はただじっと、徐々に姿を変えていく空を見つめていた。
 どれくらい時間が経ったのだろう、暗闇がさらに深くなるような錯覚を感じた。と同時に、落ち着いていた鼓動が強く波打つ。反射的に立ち上がり、何かに引っ張られるように数歩進んだ。
 ゴクリと息を飲み込む。徐々に呼吸が荒くなるのを自覚しながら、空の一点をじっと見つめた。ちょうどその時だった。
「わー、何あれ!」
 視線の先で何かが光ると、尾を引きながら横に流れる。軌跡を描きながら、暗闇が追いかけてくるかのようにその姿を消していく。星空の中にあって一際目立ちながらも、その存在を現したのは一瞬だけだ。
 驚きのあまり、すぐには声が出なかった。その初めて見た光景に、ただ打ちひしがれるのみ。だが、それは見ていて心地の良い物だった。
「星が流れたんだよね、今。お空ではあんなことが起こってるんだ。すごーい」
 大声で喜び、再び起こることを期待して目を凝らす。
 普段見る夜空では絶対に起こりえない、この丘でしか出会えない偶然。そう思えてならず、帰ることも忘れて見つめ続ける。しかし、それ以上の変化を夜空は演じてはくれなかった。悠然と、ただ星々の形を変えていくだけ。
 錯覚を見たのだと言われれば、そうだったのかもしれない。それでも、広太の心にしっかりと残り、光っては消えていった姿は目に焼き付いている。
 時間が経つに連れ、鼓動は元の落ち着きを取り戻していった。気付けば感動すらも薄れ、ぼーっと立ちつくしている。何時間経ったのか分からないほど意識が希薄だ。
 いつの間にか座り込み、しばらくすると、目を焼き尽かせんばかりの光が広太を包み込んでいった。
 横一線に赤く染められた地平線。その遙か向こう側から、蜃気楼のように揺らめきながら太陽がゆっくりと昇ってくる。森を包み、丘を包み、広太をも朝日に 包まれていった。ほのかな輝きを放っていた星々も、その姿を消している。目を開けてるのさえままならない明るさの中では、あの流れる星に出会うことはでき ないだろう。
 丘を下りはじめたのは、空が完全に青く染まってからのことだった。

 広い海のただ中に、一際大きな島がある。澄んだ海、どこまでも広がる広大な丘、そのさらに奥の山々では所々に赤い影を浮きだたせていた。様々な動物が地を這い、空を舞い、人の手が加えられてない自然を演出する。
 海岸と丘に挟まれる形で、大きな樹海が広がっている。それは空からでないと見通せないほど広い。その中の、海岸からさほど遠くない場所に大きな隙間が あった。不釣り合いなほど広く、樹海の中にいることを忘れさせる。その中央に悠然と立っているのが意志を持った大木だ。周辺は栄養を吸い取られたかのよう に痩せこけ、雑草以外は何もない。
 そんな大木を避けるように広太の家は建てられている。丸太を組み上げて作った三角屋根のコテージだ。ドアや窓もついていて、屋根にある煙突から煙がうっすらと立ち上っていた。
 家のドアを勢いよく開け放って、広太は外に出る。木々の隙間から差し込む日を全身に浴び、思い切り背伸びをした。眩しい空を見据え、手先で視界に入る光を調節する。
「何してるんだい?」
「んー、何でもない」
 昼間でも何か見えないかと期待したが、それも無駄のようだ。うなだれるようにして大木の方に歩み寄っていく。
「そういえば、あれからちょうど二年経ったな」
「えー、そうだっけ」
 聞こえてくる声に、とぼけたように言葉を返す。
「そうだ。広太の両親が亡くなってから二年も経つ。ずっと一人で暮らしてきたからな。本当に長い二年だったよ」
「何才か分かんないおじいちゃんにとっては短いもんでしょ」
 大木の幹を叩きながら言うと、すぐ脇に座り込んだ。
「そりゃあ、五千年以上も生きてると分からなくなる。じっとこの場に居続けるだけでも辛いんだ。こうやって広太に会えて、話ができたおかげでここ十年は楽しく過ごさせてもらってるよ」
「そう? でも、僕とじゃ退屈でしょ」
「またそうやって年寄りをからかう」
「だって、からかいがいがあるんだもん」
 大木の反応が面白くて、広太はついつい笑ってしまう。そんな広太の反応を見て大木がへそを曲げる。それが余計に可笑しくて笑い転げ、大木もつられて笑い出した。
「最近はよく笑うようになったな」
「そんなに笑ってるかな」
「ああ、笑ってる。ちょっと前まで両親の話をすると泣いてたのに」
「そりゃ、いつまでも泣いてられないよ」
 本当はただの強がりだが、大木には十分だったのだろう、それ以上聞いてくることはなかった。
 大木は人と話すこと以外にも特殊な能力を持っていた。それは他の動物と意思の疎通をとれることだ。渡り鳥など遠くの地から訪れた動物に様々なことを教えてもらってるらしい。そのおかげか、大木からこんな興味深い話を聞かせてもらったことがある。
「流れ星って知ってるか? とても暗く、それでいて晴れ渡ってる夜に、空を流れる一筋の星があるそうだ。実際に見たことはないんだが、鳥達が時々目にする んだよ。見えたと思ったら一瞬で消えていくはかない星だ。流れてる間に三回願い事を唱えると、その願い事が叶う。どんな願い事でも叶えてくれるんだけど、 あまりにも一瞬だからそんな暇はないらしい。本当のことかどうか……でも、とてもロマンチックだと思う」
 遙か昔から島に住む、一番の年寄りからロマンチックという言葉が聞けたことに驚いた。年寄りは頑固だというイメージを持っていて、空想じみた言葉は使わないと思っていたからだ。
 この話を聞いたのは、偶然にも流れる星を見た次の日のことだった。家にも帰らず、一晩中、丘で夜空を見ていた……。
 それからというもの、広太は願い事のことばかり考えていた。
 脇目もふらず、ただ必死に生きてきた十年間。特に両親を失ってからは、心のどこかでぽっかりと穴があいている。広太の生活の中で、足りない物がある気がしてならない。それが何なのか今でも分からなかった。
 晴れた日には丘に登り、寝そべって夜空を眺めた。星空を見ていればまた流れ星に出会えるだろう。そんな期待を抱きながら何度も登る。家に帰ると、大木が 心配そうに話しかけてきた。朝帰りする理由を知りたがっていたが、なぜか話す気になれない。話すことで全てが崩れていくような錯覚に囚われていたからだ。
 そんなある日、いつものように丘に登って星空を眺めていた時だった。唐突に寂しさがこみ上げてきて、涙が頬を伝って流れた。反射的に袖で目を拭きながら、涙を流す理由が分からずきょとんとする。
「何でだろう、誰か教えてほしいよ」
 蚊の鳴くような声を出しながら、誰もいない目の前の空間に答えを求める。当然答えは返ってこないが、その変わりに、すぐ側に誰かがいるような感覚に囚わ れる。この島に人間は広太しかいないし、丘の上で動物に遇ったことはない。それなのに人がいる気がするのはなぜだろう。考えれば考えるほど混乱してきた。
 たまらず人の気配を感じた方に視線を向けた。するとどうだろう、そこにはまだ幼くあどけなさが残る少女がいて、広太に笑いかけていたのだ。確かな気配を 伴って存在して、優しい目を彼に向け続ける。それはどことなく見覚えがあり、不思議とホッとできた。初めて会ったはずなのに。
 あまりの驚きに呆然としながら、しばらくして冷静になるとおかしいことに気付く。と同時に、今までの存在感が嘘のように、少女の姿が目前から消えた。目を凝らして見るが、先を見通すことのできない暗闇が広がっているだけだ。
何が起こったのかよく分からなかった。ただ、一つだけ分かったことがある。目の前にいるはずのない人がいた。それはおそらく幻覚だろう。その幻覚を見てい る間、心のどこかでホッとし、一時的にでも寂しさを忘れることができた。理由は分からない。でも、とても心地よかったのだ。

「何を書いてるんだい?」
 背中越しに、落ち着いた口調で大木が話しかけてきた。
 日も下がりはじめ、わずかだが地平線が赤く焼けてきた。周辺の木々は紅葉の兆しを見せ始め、赤や黄色などの色がまばらに広がっている。少しずつ空気が冷たくなるのを感じながら、島全体が秋の深まりを演出していた。
 広太ははっとして振り返ると、天まで届かんとする大木を見据える。
「根元で何か書いてるからね、不思議に思ったんだ。暗くてよく見えないんだけど、教えてもらえないかい?」
 話ができるから、てっきり動くこと以外なら何でもできると思っていた。それこそ暗くても平気だと思いこんでいた。
「へー、おじいちゃんにもできないことがあったんだね」
 微笑を浮かべながら視線を戻す。
 広太が足下に描いているのは、一人の少女の絵だった。それは、先日会ったばかりの、名も知らぬ少女だ。言葉を交わしたわけではなく、側にいて笑いかけてくれただけの。
「僕と同じぐらいの歳で、優しい目をしてるの。おとなしいんだけど、笑った時の顔がすごく可愛いんだ」
 思い浮かべると恥ずかしくて顔が火照った。はっとして誰にも見られまいと手で隠す。
「どうしたんだ、急に」
「ううん、何でもない」
 広太の行動がいまいち理解できず、大木は小さい声で唸った。
 少女に出会ってから、毎日のように彼女のことを考えていた。なぜあの場に現れたのか、その悩みはとうに消え失せている。幻覚でも錯覚でも、たとえ幽霊だったとしても、少女があの場にいた事実だけは変えられないからだ。そして、今では再会を望んでいる。
 少女の姿を思い出すと幸せな気持ちになる。その気持ちで心が満たされると、会いたくて仕方がなくなる。少女に会いたい、今すぐ会いたい、気付けばそればかり願っていた。そして、幻想の彼方にいる少女も自分に会いたがっている。そう思わずにいられなかった。
「願い事が叶うといいな」
 ぼそっと呟くと、大木の全身がざわめきだす。驚いて見上げると、風が吹いていないのに枝や葉が大きく揺れていた。
「ど、どうしたの?」
 広太の声が届いてないのか、大木はすぐに答えなかった。ただ、怒ってるのだけは広太にも分かる。息を飲み込んでじっと待ち続けると、ざわめきが落ち着くと共に大木が重い口を開いた。
「この間話した願い事が叶うって話、本気にしてたんだな」
 いつもの温厚な大木とは正反対の荒い言い方に、広太はうなずくしかできなかった。
「時々出かけては、次の日まで帰ってこないことが何度もあった。それは流れ星と何か関係があるんだね。もしかして、この島のどこかで流れ星を見たのかい?」
 それは今まで必死に隠していたことだ。朝帰りするたびに大木に聞かれ、いつも嘘をついてきた。騙すことにためらいはある。自分が悪いことをしている、そんな後ろめたさをずっと抱いていた。黙っていたのは、全ては大木との関係を崩したくはないからだ。しかし、これ以上騙し続けるのは無理だろう。もう話すしかない。そう思って、広太は腹をくくった。
「うん」
 十分に間をとってから言葉を続けた。
「森のずっと奥にね、大きな丘があったの。そこにはきれいな花があって、いろんな動物がいて……見たことない場所なんだけど、すごくきれいで、すごく気持ちの良いとこだったんだ。夕方だから帰ろうと思ったんだけどね、足が言うこと聞かなくて。真っ暗になってから、丘の上で大きな木を見つけたんだ」
 そこで初めて流れ星を見た。たった一度だけだが、広太の心にしっかりと刻まれた。目をつぶれば、その光景が鮮明に思い浮かぶ。少女の姿も同様である。
「それが本当だとしても、夜中に子供が一人で出かけるのは危ないぞ。丘があるって話は聞いていたけど、どこに危険が潜んでるか分からない。何か起きてからじゃ遅いんだよ」
「だけど! ……いいじゃないか、行っても」
 顔を背ける広太。それが聞く気のない態度に見えたのか、大木を余計にいらだたせる。
「私の言うことを聞いてくれ。帰ってこない時は本当に心配だったんだよ。十年前に君を連れてきた両親も、亡くなる前に言ってた。広太をよろしくって。だから、君の成長をずっと見守っていかなければならない。危険な真似はさせられないんだ。せめて、一人で出かけるのだけは――」
 そこまで言って初めて、自分が大変なことを口にしてると気付いたらしい。広太に現れた異変に、大木は言葉を詰まらせた。
 目に溜めていた涙が流れてくる。広太は何度も堪えようとしたが、頬を伝って落ちる涙を止められない。袖で乱暴にふき取ると、大木を睨み付けた。
「仕方ないよ! 他に誰もいないんだもん!」
 思わず声を張り上げる。大木が何か言おうとするのを遮るように、広太は言葉を続けた。
「僕だってやだよ、一人で行くなんて。今までずっと一人だった。寂しかった。でも、どうしようもないんだよ。一人で行くしかないんだよ!」
 声がかれそうになりながらも、広太を突き動かす想いは止まらない。
「……誰か一緒に行ってくれる人がいるんだったらどれだけ嬉しいか……」
 声を詰まらせる広太。喘ぎながらも、真っ直ぐに大木を見据える。
 呼吸を整えるまでの間、沈黙だけが一帯を支配していた。虫の鳴き声も、風の音さえも聞こえてこない。大木は何も声をかけられずにいる。それもそのはず、広太の想いを今まで側で感じ、彼が何を思っているか知っているからだ。
「……僕だって、友達がほしいんだよ。一緒に遊んでくれる友達が。今までどれだけ願ってきたことか。パパやママを亡くしてからものすごく辛かった。僕がどれだけ辛かったか知ってるでしょ? それなのに、僕のことを分かってくれないなんて。もうお前なんてきらいだ。こんな所に帰ってくるもんか!」
 泣き叫ぶ声が一帯を包み込んでいく。大木に背を向けた広太は、周囲に目もくれずに走り出した。
「ちょっと、待つんだ、広太!」
 はち切れんばかりの大声が、広太の背中にぶつかっては消えた。立ち止まって振り返れば、大木の言葉に耳を貸したかもしれない。しかし、泣きじゃくる広太に大木の声は聞こえていなかった。
(どうして分かってくれないんだよ。どうして!)
 悲痛の叫びすらも声に出せず、ただがむしゃらに走る。すぐに大木は見えなくなり、遠くを見通せないほどの高木に囲まれた森の奥に足を踏み入れていた。気付いた時には、自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
 遠くを見ようとしても木が邪魔で見通せない。慌てて周囲を見渡すが、どこも同じ景色だ。以前に迷ったことを思い出しながら、深くため息をつく。
 その場にへたり込むと、近くの木に背中を預けた。木々の隙間からは日が差し込んでいる。徐々に変化する光具合を見ながら、何も考えずに、ただ時間が過ぎるのを待つ。
 しばらくすると、地面を照らしていた光が消えた。もう夜になったのかと思った直後、突然の眩しい日差しが目を射抜く。反射的に腕で日差しをよけ、そっと森の奥を見据えた。夕日が正面から森全体を包むように広がり、一帯を赤く染める。その光景は、あの時と全く同じだった。
「もしかして、丘の近くに来てるのかな」
 そんな期待を抱き、そっと立ち上がる。体の疲れも忘れて、吸い寄せられるように森の奥へと進んでいくと、木々の隙間から広大な丘が姿を現した。そのあまりの広さに圧倒されていると、目の前に何かが揺らめいた。じっと見つめ、そこに少女の姿を見つける。
 少女が広太に笑いかけて手招きしていた。そしてゆっくりと側に来て手を差し伸べる。広太は恐る恐る手を出したが、握ろうとしてもただ空を切るだけ。
「え?」
目の前にいるのに触れられず、驚いて瞬きした時には少女はいなくなっていた。しかし少女はさっきまでそこにいた。どこかに連れていこうとして現れたのではないか。広太にはそう思えてならない。
 遙か前方にはぽつんと木が生えている。そこは少女と初めて会った場所だ。不意にそれが視界に入り、自然と歩き出していた。
 広太は木の前で立ち止まって、沈みゆく太陽を眺めた。大空を悠然と漂っていた太陽も、時間が経てば姿を消していく。それは長年親しくしてきた親友と今生の別れを惜しむように、ゆっくりと。そして確実に辺りに闇をもたらす。日が沈むと、辺りが薄暗くなるのに合わせて、一つ二つと空に明るい点が浮かび上がらせていった。
 丘の上の木は、意志を持った大木ほどではないが、とても大きく、とても長くこの場にいる。ずっと一人で空を見続け、幾度となく流れ星に遇っているだろう。どれほどの時間なのか、広太には全く想像ができない。
「辛くなかったの?」
 答えは返ってこなかった。それが当たり前のことでも、聞かずにいられない。誰でもいいから自分のことを慰めてほしい。ただその気持ちだけが広太の心を満たしていた。
 広太は両親を亡くしてからの二年間、ずっと一人で生活してきた。食卓を囲むこともなく、眠る時も暗い家の中で一人きり。当然、昼間も誰もいない。両親から一身に受けた温もりも、今は全くない。初めは両親に戻ってきてほしいと願った。しかし、死を理解していくに連れ、死んだ人が帰ってくることはあり得ないと思うようになる。だからか、別の想いが広太の中で芽生えていった。〝友達が側にいてくれたら〟という想いが……。
「僕は辛いよ。辛くて仕方ないよ。黙って我慢してるなんて、僕にはできないよ。どうして僕だけこんな思いをしなくちゃならないの?」
 木にしがみついて、幹を何度も叩く。広太はその場に座り込むと、頭を幹に押しつけた。しずくが地面をぬらす。涸れたはずの涙が、こぼれるように落ちていく。
『そんなことないよ』
 突然聞こえた声に驚いて振り返る広太。誰かに言われた気がしたが、見渡しても人の姿はない。なぜ誰もいないのに声が聞こえたのだろうか。広太にとって、誰かに投げかけてほしかった、優しさにあふれている言葉。それは幻聴でしかないのだろうか。そう思うと余計に切なくなり、広太はうなだれた。
 すっかり真っ暗になった空を、不意に眺めてみる。澄んだ空気が辺りを包み、星々がその存在意義を主張するかのように光を放つ。時々現れる薄い雲も今はなく、満点の星空が一帯を鮮やかに見せていた。
 変化がないようで、少しずつ姿を変えていく星空。その広大な空に、ずっと願ってきた。今まで感じてきた寂しさを埋めてほしい。寂しさを埋めてくれる友達がほしい。流れ星が広太の願いを叶えてくれる、そう思って丘に登り続けた。だが、それは無意味なのかもしれない。あれから一度として流れ星は現れていないからだ。しかし――
 今夜だけは違う。いつもと同じ夜空なのに、何かが違う。そう思えてならなかった。
 不意に視線を向けた先を食い入るように見つめる。突然鼓動が跳ね上がるように波打ち、風の音も耳に入らなくなる。足下の感覚がなくなり、まるで宙を浮いている。そう錯覚するほどの浮遊感を覚えた。自分が夜空の一部であるかのように。
 もう一度見たい。もう一度見て願い事を叶えたい。そう念じるように祈る。そして、今なら見られると確信し、息を飲み込む。その直後、視線の先で一筋の光が横切った。力強く光った星は、一瞬で夜空の塵となる。
「やっぱり、夢じゃなかったよ! 本当に流れ星はあったんだ! この前のは見間違いじゃなかったんだー!」
 後に残ったのは一面に広がる星空だけだ。そのはずなのに、緊張が解けない。呼吸が徐々に荒くなる。全身から汗が流れ出てくる。感じたのは身体の異常だけではない。夜中なのに空がどんどん明るくなったのだ。
 そんなわけがない。首を思い切り横に振り、錯覚だと言い聞かせる。だが、再び視線を向けた時、驚愕せざるをえなかった。
「うそ、何でこんなにいっぱい?」
 一筋の光が横切ると、二筋三筋と呼応するように光り出す。その数を一気に増やしながら、空一面を染めていった。
「空が流れ星だらけになるなんて……」
 絶え間なく流れては光り続ける星々。昼間のような明るさに包まれ、流れ星は我先にと現れては消えていった。願い事を唱えることすら忘れ、広太は必死に見続ける。
 どれくらい経ったのだろう、時間の感覚は麻痺していた。気付けば流れ星の数が減っていき、最後の一つが弱々しく消えていく。
 広太はいつの間にか座り込んでいた。腰を抜かして立ち上がれず、呆然と空を見ていた。余韻に浸りながら、しだいに気持ちが冷めていく。
 不意に両親のことを思い出す。何で両親はこの島に来たのだろうか。その疑問を大木に何度も問いかけてははぐらかされてきた。おそらく彼は知っているのだろう。そして、広太が両親のことを吹っ切れた時に伝えようと思ってたのかもしれない。
「パパとママはこの島が好きだったんだよね。この景色が見たかったから……この丘、この空、森や海を見たかったから。自然いっぱいの島の全部が好きだったんだよね。きれいでとってもあったかいこの島が……」
 大木がなぜ丘に行くのを嫌がったのか、今なら分かる気がする。両親の思いを知るにはまだ早かったのではないか。
「……でも……でも、分かんないよ! 何でここに来る必要があったの?」
 広太には理解できなかった。両親が自分を置いていなくなるなんて――
「何で一人にするの? 僕を一人にしないでよ。パパとママがいてくれれば寂しくなんかないのに……」
 広太の言葉に答えは返ってこない。分かっていても求めてしまう。それが余計に悲しかった。
 夜空は暗闇に包まれ、広太の心に生まれた寂しさが深みを増していく。
「……やっぱり無理なんだね。おじいちゃんの言うとおりなのかな」
 願い事さえできなかったことに落胆し、願っても叶うはずがないと悟った。噂は噂でしかないのだろう。
「やっぱりこれからも一人なのかな」
 思わずため息がこぼれる。脱力感を覚えて仰向けになると、そっと目を閉じた。
 もう何も考えられなかった。このまま眠るのだろうと思うと、全てがどうでもよくなる。と同時に、脳裏に少女の姿が思い浮かんだ。
『一人なんかじゃないよ』
 優しく語りかけてくれる。そんな理想の――
「……友達がほしいよ」
 寂しさを深めるだけの悲しい響きが、周りにそっと広がる。それが波紋となって、丘全体を包んだ。
 穏やかな風は時折寒さを運んでくる。それは季節柄、仕方のないことだ。それなのに、なぜか暖かみを感じた。寒いはずなのに。
 はっとして目を開くと、広太は自分の目を疑った。
「え? どうして?」
 そこには満面の笑みを浮かべた少女がいた。すぐ側で座り込み、覗き込むようにして見ている少女がいた。
『あなたは一人なんかじゃないよ』
 優しい、透き通るような声に、胸が弾む。今まで存在の薄かった少女が、瞬きしても胸中で否定しても消えない。はっきりと目の前に存在している。広太にはそう感じられた。
「願い事が叶ったの? 本当に?」
 とっさに少女の手を握ると、彼女は困った表情を浮かべた。そして、首を横に振る。
『私は違う』
 広太には理解できなかった。友達がほしいと願い、目の前に少女が現れた。それなのに、どこが違うというのだろう。
 突然手の感覚が鈍くなる。驚いて視線を落とすと、少女の手が薄らいでいた。
『私はあなたが生んだ幻。あなたの強い願いが私を生んだの。でも、もう長くはいられない。だから、大事なことを伝えに来たの』
 上半身を広太に覆い被せるように横たわる。確かな重みと温もりを覚えたが、それすらもすぐに感じなくなる。
『私と違ってあなたは一人じゃない。生まれた時から今まで、これからもずっと。ずっと側にいてくれる友達がいる。だから、その友達のことをもっと大事にしてあげて』
「友達……って、木のおじいちゃん?」
 少女はうなずく。
「でも、ケンカして……。あいつは木だし、友達じゃないよ」
 口をとがらせる広太に、少女は起きあがり、首を横に振って説き伏せるように言う。
『木だから。動けないから。だから友達じゃないの? それは違うと思うよ。側にいて、辛いことも楽しいことも一緒に分かち合える、そんな人と友達になるんじゃないかな。友達だから言いたいことも言い合えて、時にはケンカになったりするんだと思う。それに、相手のことを本当に認めてるから一緒にいられるんでしょ。友達と聞いてすぐに思い出せるのは、その友達のことが好きだからだよ』
 少女の顔から再び笑みがこぼれる。
『友達も今頃、ケンカしたこと悔やんでると思うよ。だから――』
 幻覚だったのを認めるかのように少女の全身が薄くなっていく。
『だから、許してあげて。そして、広太も友達を大切にするのよ』
 これ以上ないほどの優しい表情を浮かべると、数秒と経たずに姿が消えた。彼女の声が耳の中で何度も響く。広太は呆然とし、しばらく動けずにいた。そして――
 立ち上がると、振り返って丘の上の木を見つめた。周りに何もなく、広太の知る限り動物が近寄ってきたこともない。ずっと独りでいたのだ。反対に、広太の側にはいつも意志を持った大木がいる。独りぼっちではないのだ。
 大木が言っていたことを思い出す。広太に会ってからの十年間は楽しかった、と。広太自身も、助けてもらったり、話し相手になってもらっていた。昔のことを思い出すと、自然と笑みがこぼれる。
「何か分かった気がする。僕にとって、木のおじいちゃんは必要なんだって。おじいちゃんも僕を必要としてる。それだけで十分なんだよね」
 目の前の木が笑ったような気がした。まるで、あどけない少女のように。
 気付けば少しずつ明るくなってきていた。夜が明けたことを知ると同時に、鳥のさえずりが聞こえてくる。
 声に耳を傾けた。いつの間にか飛んできた小鳥が木に止まり、小さな声で必死に鳴いている。木と一緒に歌っているような、優しい響きを奏でていた。
「仲直りするね。だから、君も一人だなんて言わないで。鳥さんもいるし、僕もたまには遊びに来るから。だから――」
 広太の視線の先から太陽が昇ってくる。暖かい日差しが柔らかく丘を包んでいく。あれだけ多くの流れ星を煌めかせていた空も、静かに明るさを増していく。
「だから、一人だなんて言わないで。君も僕にとっては大事な友達なんだから」
 少女が困った表情を浮かべ、すぐに笑顔に戻る様子が思い浮かぶ。そんな姿を目の前の木に重ね、広太は笑い返した。ずっと感じていた寂しさも今はない。友達がほしい、そのただ一つの願い事が叶ったから。そして、今の気持ちを大切にしようと心の中で誓う。
 不意に空を見上げた。すっかり明るくなり、星の影すら見えない。そんな空をじっと見つめ、願う。
 星降る丘――流れ星が見えるその広大な丘に、一つの願いを乗せて。