×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

神託の背信者 闇にうごめく者の息吹

 プロローグ


 荘厳な宮殿の廊下を彼は歩いていた。大理石の床、豪華なシャンデリアなど廊下とは思えない豪勢な造りだ。吹き抜けになっていて庭園を見下ろせる。そこの華やかさは絶品で、色とりどりの花が咲き乱れている。他のどの場所も手入れが行き届き、非常に綺麗だ。本来の主を失った今も重要な拠点として機能し続けている。
「ここにいたか、戦王エブィル」
 彼を呼ぶ声に反応して振り返ると、そこには大人としては小柄な男が立っていた。一六十センチを越えたぐらいか。エブィルはその男に知っていた。序列では一つ下に当たり、軍師としても非常に優秀な男だ。
「龍王ランドルフか。お前がここにいるとは珍しいな」
 ランドルフと呼ばれた男は神妙な面持ちでエブィルを見上げていた。用事があるのは明らかだ。
「今度のグローブラムへの出兵のことで気になることがあってな」
「お前を連れて行かないことが不満か」
 エブィルが失笑しながら言うと、ランドルフの表情が険しくなった。彼が冗談に応じないときはよほど切迫した事態が起きてるか、その可能性があるかだ。エブィルも真顔になり、ランドルフを見据えた。
「聖王が没してから戦いが裏目に出ることが多くになった気はしないか」
「言われてみればそうだ。これまでは何とか切り抜けてきたが」
「お前もそう思うか」
 ランドルフが思案顔でうつむいた。さほど経たずに顔を上げると、辺りを見回した。誰もいないことを、近くに人の気配がないことを確認する。その行動でエブィルは言わんとすることを察した。
「あくまで私の考えだが、こちらの情報が流れているようだ」
「スパイか」
 ランドルフは逡巡してから首を横に振った。スパイではなくて誰が情報を流すのか。作戦は重要機密だ。末端の兵士は直前にならないと知らされないし、そうなるとエブィルやランドルフの近辺にいることになる。彼らが目を光らせる中で諜報活動など不可能だ。不測の事態が起きてるのか。
「最近の作戦行動をスヴァルト側も含めて分析してみたが、あちらの動きも不可解な点が多すぎる。諜報活動で得た情報を利用すれば戦いを有利に進められるはずだ。だが、両軍とも不利になるような動きが見られた」
「それはおかしな話だな」
「お前もそう思うだろ?」
 同意を求められ、エブィルは頷くしかできなかった。
 ランドルフは戦いの流れから相手の意図を読み取る力に長けている。その彼をもってしても理解できない敵軍の動き。常に前線で戦ってきたエブィルにとって先を読めない戦場は恐怖でしかない。
「そこで私は不本意ながら一つの仮説を立てた。裏で何者かが戦いを操作し、両軍が衝突するように仕向けている、と」
「それは可能なのか」
 ランドルフは自信満々に頷いた。
「例えばの話、第三の組織が両軍に潜り込み、情報を引き出せば可能だ。スヴァルト側に潜り込んだ相手と直接連絡を取れば感づかれる。だが、間で何者かが仲介すればどうだ。仲介者が増えれば足取りを追うのは難しくなる。もしより有効な伝達手段が存在すればどうなる? 完全にお手上げだ」
 ランドルフの言う通りだ。実際に情報流出しているのは確実視される。状況がそれを証明していた。だとしても――
「それでどうなる? 次の作戦はもう始まるんだぞ」
「分かっている。証拠がない限り止められはせんよ。だからこの作戦の指揮官であるお前に教えた。後は現場で何とかしろ」
「無責任な奴だな」
 ぼやくエブィルの肩を叩いた。エブィルは項垂れ、これから戦場に向かうと思うと気が重くなるばかり。
 ランドルフの慰めを適当に聞き流していると、二人の女性の声が聞こえた。それはとても聞き心地のいい声だ。仲よさげに話している姿を一瞥する。一人は長身の、もう一人は中背の女性だ。思わず表情が緩む。にやけ面と言っても過言ではない。笑ったのはエブィルが女好きではない。背が低い方が彼の妻アイリーンだからだ。エブィルはアイリーンを溺愛している。アルヴヘイムでは有名な話だ。
 ランドルフが耳打ちする。
「お前の妻なら信用できるが他の奴には話すなよ」
「お前の副官でもか」
「ああ。頭が切れる奴は注意が必要だ」
 そこまで慎重になる理由は理解できなかったが、ランドルフの言うことに間違いはない。言う通りにしようと心に決めた。
 ひそひそ話を不審に思ったのか、アイリーン達が側に来た。
「どうしたアイリーン」
 表情を繕うエブィルの頭をアイリーンが手荷物ではたいた。見事に決まり、高い音が廊下中に響いた。うずくまるエブィル。
「何をするんだ」
「どうせ男二人で変な話をしてたんでしょ」
 アイリーンが口を尖らせた。反論しようにもおいそれと口に出来る話題ではない。不本意ながら認めることにした。
「自分たちの副官自慢をしてたんだよ。な、ランドルフ」
「そういうことにしておけ」
「そりゃどういうことだ」
 エブィルがくってかかると、ランドルフがあからさまに嫌そうに顔をしかめた。
「私を夫婦喧嘩に巻き込むな」
「そう言わずに相手をしてあげて下さい」
 そう口を挟んだのは長身の女性。ランドルフの副官イルヴィナだ。彼女は頭の回転がよく、ランドルフとは違って常識人だ。ただ、堅そうで近寄りがたい雰囲気を常に出している。仕事の出来る女、その表現が特に似合う人だ。
「勘弁してくれ。彼女が来たのなら私は用なしだな」
 「用心しろ」と言い残してランドルフは消えた。手際のいい逃走劇だ。
「ちっ、逃げたな。あいつはあれでもアイリーンを気に入っているんだぞ」
「へえ、そう……それなら彼に乗り換えようかな」
 何とはなしに呟くと、エブィルが驚愕の目を向けた。
「冗談よ」
 そう言うアイリーンの目は嬉しそうだった。エブィルが焼き餅を妬いたからだ。何だかんだといい雰囲気になる。
 しばらく見つめ合うが、アイリーンは顔を背けてそそくさと歩き去った。イルヴィナに別れの言葉を残して。
「待ってくれ」
 アルヴヘイム一の戦士形無しの情けない顔でアイリーンの背中を追った。すぐに追いつき、仲良く併走する。尻に敷かれてるのは誰の目にも明らかだが、言っておくがエブィルはアイリーンの上官だ。
 一人残されたイルヴィナが彼らの後ろ姿を見据える。実に冷たい目で。
「あなた方とはこれでお別れです。神託の下、グローブラム共々……」
 そう静かに呟いた。
 この後、エブィルは雌雄を決する為に最終決戦に望むこととなる。




 第一章 新たな出会い


       1

 旅は快適――とは言えなかった。
 ハイネンツ大陸の西海岸にはネンツ王国からアキサス市国にかけていくつかの町がある。物資の流通を行う為、町を繋ぐ街道が整備されていた。整備とはいっても地面の土を固めただけの簡単な舗装だ。所々に石が飛び出たり、脇では雑草が生い茂っている。歩くには問題はないが。
 時折車輪を蹴り上げる衝撃に荷台が揺れ、うたた寝をしていたフラットは驚いて跳ね起きた。動悸が収まるのを待ってから狭い空間を見回した。そこは人が一人寝そべるだけで窮屈な荷台に、簡単な枠をつけて幌をかぶせただけの簡素な作りだ。フラットとアンドレンが腰を下ろし、前方でみすぼらしい格好の男が手綱を握っている。荷台を引っ張る馬が激しく息を吐きながら走り続けていた。
 フラットは鞘を支えにして体を引きずり、男の横に体を乗り出した。
「ギーレン、どうにかしてくれよ」
 泣きそうになりながら言うと、ギーレンが怪訝な顔をした。
「馬車は揺れるものだ。そんなことも知らんのか」
 冷たくあしらわれ、それでも食い下がる。
「エリル達が乗ってた馬車はもっと快適だったぞ」
「あんな高級品と一緒にするな」
「だってさ」
「黙ってないと舌を噛むぞ」
 言うや否、車輪が大きな石に乗り上げ、大きな音を立てて揺れた。フラットはバランスを崩し、顔面を枠に打ち付けた。
「いてて、運転が荒いな」
「自業自得だ」
 呆れ顔を向けるギーレンを睨み付けるが、彼は平然としたまま。これ以上責めても徒労に終わると思い、フラットは引き下がった。
 フラットは文句を言いながらも馬車のおかげで旅が楽になったことを喜んでいた。最後に立ち寄った町からアキサス市国まで徒歩で二週間はかかる。ネンツ王国を離れてからの道のりは長く、合計で一ヶ月。ただでさえ遅れがちなのに、全ての道のりを徒歩で進むのは旅が初めてのフラットにとって無謀と言える。だからか、初めて立ち寄った町でギーレンに提案されたのだ。
「この町で馬車を買うぞ」
 有無も言わさぬ強気な口調にフラットは反論した。
「そんなお金は持ってない。この先のことを考えたら一円だって無駄に出来ないのに」
「だからだ」
 不敵な笑みを浮かべるギーレン。
 彼の意見はこうだ。
 徒歩での旅には途方もない労力と資金が必要になり、多くの危険を伴う。保存食や水を大量に買い込み、それを運ぶ人手。旅に慣れた人なら現地調達も可能だが、いかんせんフラットは初心者だ。だからこそ十分な準備が不可欠だ。また、一ヶ月の道のりを歩ききる体力、いつ襲ってくるか分からぬ魔王軍への対処。全てに対応していたら心身共に疲れ果てるだろう。
 馬車があれば日数をかなり短縮出来る。当然、食料は少なくてすむし、いざという時の為に体力を残しておける。目的地に着けば馬車を売り払い、資金の足しに出来る。結果的に半分以下ですむのだ。
 フラットの旅は急ぐ旅だ。お金がかからずに時間を短縮できるのなら願ってもないこと。ギーレンの意見を受け入れた。
 馬車は簡素な作りのせいか、非常に乗り心地が悪かった。ちょっとした石や段差で大きく揺れるのだ。正直、休まるものではなく、油断すると体を打ち付けたり腰を痛める。ギーレンは慣れているし、アンドレンは機械だから何ら問題はない。フラットだけが苦痛を感じていた。
 フラットはこれまでに何度も不満を漏らしたが、そのたびに軽くあしらわれた。馬車のおかげで楽な旅が出来るから強くは言えない。
 そんなやりとりをしながら日は経ち、大きな寄り道をしたが、それを含めても十日でアキサス市国の目前まで来られた。明日には辿り着けそうだ。唯一の幸いは一度も魔物に襲われなかったことだ。フラットは魔王軍の敵、エブィルの血を引いている。自らその事を暴露し、敵意を一身に受けた。その後も三日間ほどネンツ王国に滞在したが、魔王軍の噂は聞いていない。
 魔王軍はすぐにでもフラットの命を狙ってくる。誰もがそう思っていた。
 今も監視されているはずだ。まさか見失った、なんてことはないだろう。いつ襲われてもいいように常に周囲に気を配った。だが、一度も接触していない。
「なんか拍子抜けするな」
 変わり映えのしない海岸沿いを進みながらフラットはぼやいた。
「何でだ」
「てっきり襲撃があるかと思ってたのに」
 嬉しいはずなのに、警戒し損の現実に呆れた。
「この辺の魔王軍はすでに撤退した後だ。掃討を任されたサーディルンはあの怪我だ。残っているのは命令を下していた奴とシュピールぐらいだろう」
 ギーレンは少し前までネンツ王国に駐留する部隊に身を置いていた。周辺の情勢をよく知っている。彼の情報は現段階ではかなり正確だ。日を追うごとに正確さは損なわれるが、無いよりはマシだ。
「でもさ、増援とか考えないわけ?」
 魔王軍に仇為す敵がいて、そいつが前線を任された魔族をあっさり負かした。それがどれだけ大きな問題か。フラットは自身の力を自慢したいわけではない。だとしても同じ立場なら放っておいたりはしない。そう考えていた。
「その余裕も人手もないんだよ」
 意外な答えにフラットは眉根を寄せた。
「俺の知る限りでは魔王軍はそれほど大きな軍隊ではないようだ。少数精鋭なのか、魔族の戦闘力は強大だ。その反面、一度に全世界を攻める手駒がないようだ」
「だから今も世界は魔王軍の手に墜ちてないのか」
 ギーレンは頷いた。
「奴らの目的は良く分からん。侵略と言うには計画はずさんだし、力押しするにしてもどうにも進行が遅い。人手不足も一つの理由だろう。それ以上に、ある連中を捜すのに躍起になっていた。俺は下っ端だしよそ者だから詳しいことは聞かされていない。だが、その中の一人があのじいさんだったらしい。奴は何者なんだ?」
 ギーレンの言うじいさんとはハバードのことだ。フラットは話すべきか迷ったが、今さら隠すこともないと思って教えた。
「ハバード・イジェフスク・L・マクリレン。あんたならそれだけで分かるよな」
 ギーレンはさほど考えずにその意味を察した。最初は驚き、合点がいったのか納得して微笑を浮かべた。
「なるほど、かの聖王の子孫というわけか」
「正確には聖王マクリレンの意志を継ぐ十二人の弟子達の末裔だそうだ。五千年前の天上界と魔界との戦争で魔王軍の最大の敵だったマクリレン。彼の意志を継ぐ者達を憎み、亡き者にしようとしていた。結果的にハバードは命を落としたけど」
 シュピールにハバードを殺された瞬間を思い出し、フラットは唇を噛んだ。咄嗟のこととはいえ守れるはずの命を奪われたのだ。あの時突然現れたシュピールに驚いていなければ。迷わずエリルとの間に割って入っていれば。そうすればむざむざ殺させることにはならなかった。
 ハバードはフラットがこの世界に来て初めて会った人で、様々なことを教えてくれた。世界の成り立ちを、魔王軍という脅威を、フラットの運命を、一年前に失踪した父エドガルドの行方を。フラットを呼んだのは彼自身だ。その身勝手さを差し引いてもあまりある恩がある。その彼が目の前で命を落としたのだ。悔やんでも悔やみきれない。
 フラットの葛藤を知る由もなく、ギーレンは魔王軍の思惑に一つの答えを導き出して不敵の笑みを浮かべた。
「マクリレンの意志を継ぐ者達が侵略の一番の障害となると考え、探し出したのがハバードだ。とすると、世界に散らばる残りの者達も同じように命を狙われている。お前よりも優先順位が上だと考えれば俺達が襲われない理由にもなる」
「そうだな」
 ギーレンの意見を話半分に聞きながら適当に相づちを打った。
「こんなことを話した矢先に襲われたりするかもな」
 冗談にならない発言を聞き流し、フラットはため息を吐いた。胸中で呟く。ギーレンが考えてるほど簡単な問題ではないと。
 再び吐息を漏らすと、変わり映えのしない景色を眺めた。
 左手にある海は青々としてどこまでも広がっている。海岸は断崖になっていて水面が低い位置にある。水面が激しく波打ち、海水が崖に打ち付けられていた。そうやって長い期間浸食した結果、水面近くはかなりえぐれていた。街道からは見えることもなく、いたって平穏な海だけが視界に映る。
 この辺は隆起して出来た地形で、広大な丘を進むと段々と下っていく。遙か彼方まで見通せる景色には建物一つなく、どこまでも平野が続いている。その北端では木々が生い茂っていた。
「アキサスはまだ見えないのか」
 フラットは眼前の景色を見飽きて視線をギーレンに戻した。
「森を越えれば見えるはずだ。もう少しの辛抱だ」
 その森が遙か遠くにあり、一向に近付く素振りもない。
「飛行機でひとっ飛び、というわけにはいかないか。せめて自動車があればな」
 フラットの呟きにギーレンは首を傾げた。
「お前が何の話をしてるのか分からんが、旅とはこういう物だ。それに、簡単に世界を飛び交う術があれば魔王軍がすでに利用して征服し終えてる頃だ」
「そう思うと恐ろしいよ。文明の利器は」
 重ね重ね思う。地球と比べて技術の水準がかなり低いと。フラットはそれを不便に思っていたが、ギーレン達天上界の人には当然のことなのだ。その世界にフラットが歩み寄るしか不満を解消する手段はない。
「それにしても」
 視線をアンドレンに向けた。微動だにせず、会話に加わろうとしない、ブラックテクノロジーばりの異常な機械。
 自立駆動型人型兵器(オートマトンドール)。
 とある国で開発された自立型のロボットだ。アンドロイドと呼ぶ方が正しいか。科学技術も機械工学も発達していない世界にあって、異常なほど高い技術の塊であるアンドレン。存在自体が支離滅裂な彼は、先日の戦闘でかなり破壊された。フラットが点検をし、とりあえずは動くようになった。思い出すだけで発狂したくなる難解な説明書と格闘した結果だ。驚いたのはその後に起きたちょっとした事件だ。
 応急処置をすませたアンドレンを見てギーレンが一言。
「これじゃすぐに壊れるぞ」
 腰を抜かすフラットから説明書を奪い取り、熟読。
「設備があれば飛行能力も取り戻せそうだな」
 予想だにしない言葉に、フラットは信じられないと言いたげな目でギーレンを見た。ギーレンもなぜ理解できたのか分からず、困惑している。アンドレンだけは動じることもなく、さも当然のことのように言った。
「ハバード様ノ家ノ地下ニ設備ハアリマス」
「そこに案内しろ。俺が修理する」
 その提案を断る理由はなかった。もしギーレンの言う通りなら大変だ。アキサス市国に向かう途中でアンドレンが壊れでもしたらその場に捨てていくほかない。ハバードの形見である以上、それだけは避けたかった。
 アンドレンの修理の為にハバードの家に戻る。それがネンツ王国に滞在する理由になった。遠回りのようだが、結果的には近道になる。誰の目にも明らかだった。
 ハバードの家に地下にフラット達は足を踏み入れた。
「そう言えば入るのは初めてか」
 以前立ち寄ったときは一階で寝泊まりし、地下の存在を知ってからは考える余裕もないほど慌ただしかった。すっかり忘れていたのだ。
 フラットは地下室を見渡した。
 アンドレンを寝かせる為の鉄製の寝台、それを取り囲む修理道具。コンピュータらしい機械と、それをアンドレンと繋ぐ為のコード類。ハバードに受けた天上界の説明とは一線を画した異常な場景に唖然とした。
 その光景を目にしてもギーレンは驚いた素振りすら見せない。僅かに目を丸くしたが、すぐに頷いて作業に取りかかった。
 ギーレンの手際は完璧だった。蓋を開ければ訳の分からない回路ばかりのアンドレンを、何の抵抗もなくいじり回していく。側に転がっていた資材を加工し、破損箇所を修理する。一日と経たずに見た目の醜さは消え失せていた。
「こんなもんだろう。中身はここの設備では難しいか」
 当たり前のように言うと、ギーレンは一息ついた。
「ギーレン、あんたは自分が何をしたか分かってるのか」
 背中越しに疑問を投げかけると、ギーレンがさも当然のように首を横に振った。振り返ると、困惑した表情をフラットに向ける。
「良く分からんが、直せる確信はあった。いったいこれは何なんだ?」
 アンドレンを一瞥して首を傾げた。
 アンドレンに使われてる技術は天上界の常識を覆す異質な物だ。だが、それは確かに目の前に存在している。当然、ギーレンは知らない。それなのに理解できた。本人が分からないことをフラットが理解できるはずもなく、答えは出なかった。
「これほどまで足下のおぼつかない感覚は初めてだ。俺が俺ではない気がする」
「ハバードなら何か知ってたのかもな」
「だが、奴はもういない」
 言い知れぬ不安に怯えるギーレン。その姿を見て、フラットはハバードの最期を思い出した。ハバードがギーレンに何かを耳打ちした時の彼の怯え方と同じだったのだ。ギーレンの故郷――それが関係があるのは間違いない。
「クルンテフに会えば何か分かるか」
 クルンテフ・マクイン・Z・マクリレン。アンドレンの持ち主であり制作者。もう一人の転生者。現状でギーレンの疑問の答えに一番近いのは彼だ。クルンテフに引き合わせれば何らかの結果が表れる。
「そういえばどこにいるんだろう」
 フラットはハバードに詳しく聞いていないことを思いだし、がっくりと肩を落とした。ギーレンも拍子抜けし、呆れ顔を見せた。
 アンドレンの修理を追え、その足で来た道を戻った。その後、最初に立ち寄った町で馬車を買い、今に至る。


       2

 日中遠くに見えていた森に辿り着いたのは日が落ちた後だった。丘を下り追え、振り返るとずいぶん遠くまで来たことが分かる。最後の町を出発して三日。町の影はとうの昔に消え去り、ただ自然が広がっているだけだ。
 森を切り開いて造られた道を少し進んだところで馬車を止めると、そこで野宿することにした。食料も尽きかけ、のんびりする余裕はない。とはいえ夜道は危険だし、馬の疲労もピークに達していた。最後の休息、と言うわけだ。
 フラットは馬車のすぐ近くの草むらで寝そべり外套をかけて目を閉じている。
 剰りに無防備な様子を、ギーレンは木に背中を預ける格好で眺めていた。ギーレンが共に旅をするようになってから繰り返された光景だ。フラットの寝顔は鬼神のごとき戦いを演じた姿からは想像も出来ない。争乱の時代にあって、誰もが羨む安らかな表情。苦労など知らぬかのような静かな寝息。自分が魔王軍に命を狙われる立場にあることを知っているのに、どうして警戒を解いていられるのか。
 フラットが戦いとは無縁の世界で生きていたことをギーレンは知らない。かたや戦いのことだけを考えてきたギーレン。境遇が正反対の二人がお互いを理解するには無理があった。その上、少しの間だが敵同士だったのだ。
 フラットはギーレンを警戒し、多くを語らなかった。それでも自分に害はないと知り、仲間とまではいかないが同行者として心を許している。今日もハバードのことについて話したりと目に見えて進歩していた。
 そのまま信頼を勝ち取り、情報と共にフラットの首を持ち帰れば魔王軍に戻れるだろう。今のフラットなら簡単そうに思えた。
 それをしないのは魔王軍に未練がないからだ。そもそも興味がない。ギーレンが魔王軍にいたのは、旧友のロンメルと真剣勝負をするためだ。ロンメルは優しく、友に刃を向けたり出来ない。それが正式な試合だとしても。そんな彼と本気で戦うにはただの敵ではなく憎しみの対象になる必要があった。憎まれるには魔王軍の肩書きがちょうど良かったのだ。
 かつて慕ったエリルを手にかけようともした。そうして勝負した結果はギーレンに失望を与えただけだった。
 罪を償って魔王軍に戦うとか、彼に正義の心があれば迷わず考えただろう。守る者もなく、復讐だけが生き甲斐になっていた彼は戦う目的を見いだせずにいた。
 ハバードに故郷を目指せとも言われた。エリルを正しく導いたハバードの言うことは信じられる。だが、鵜呑みにして行動できるかと言えば、そこまで素直ではない。答えは出ぬまま、かといってネンツ王国に残る気分にはなれず、フラットとの旅を選んだ。
 たき火の中に枯れ枝を放り込んだ。バチバチと音を立てながら僅かに火が強まる。森の中で唯一の明かりを眺め、ぼやいた。
「俺は何がしたいんだ」
 それに答える声もなく、ギーレンは黄昏れた。しばしぼんやりとしてから夜空を見上げた。晴れてはいるが月明かりはなく、木々の隙間から瞬く星が姿を見せる。火がなければほとんど暗闇と変わりない。
 馬車の向こう側で無造作に立つアンドレンがいる。ただ立ってるだけにしか見えないそれは、フラット曰く周囲を警戒している。本人に聞いてもまともな答えを得られず、ギーレンは深く考えるのをやめた。アンドレンが人間ではない人工物なのは知っている。疲れ知らずで、エネルギーさえあれば動けるのだ。日中は力を蓄える為に休み、夜は見張りをする。アンドレンの目が光っている限り、安心して休めるのだ。
 フラットに警戒心の欠片もない理由の一つを再認識した。それにしても、
「全く眠くならん」
 そろそろ眠気に襲われてもいい頃だ。それなのに意識ははっきりしていく。惰眠を貪るフラットを見ると、石を投げて起こそうかと思えてくる。若干苛々しながら視線をフラットに向けると、さっきまでの幸せが嘘のように悲しげな顔になった。
 涙が流れると、フラットは目をこすりながら夢から覚めた。
「どうしたんだ」
 呆然とするフラットに声をかけると、彼は視線をギーレンに向けた。
「ちょっと昔の夢をな」
 ばつが悪そうに笑うと、フラットは上体を起こして向き直った。
「ギーレンこそどうしたんだ。ずっと起きてたのか」
「ああ、そうだ。何だか寝付けなくてな」
 その答えで感心が失せたのか、フラットは何も聞かなかった。反対に、ギーレンは涙の訳が気になっていた。
「良かったら聞かせろ」
 フラットはぼーっとした頭で逡巡してから頷いた。
「昔、兄と話したことがあるんだ」
 そう言って語り始めたのは一年以上前のこと。家族が全員いた頃の話だ。

 木枯らしが吹きすさぶ夕暮れ、フラットは自宅近くの公園に足を運んだ。一軒家が建ち並ぶ住宅街の真ん中辺りにある大きな公園。子供が遊ぶのに適した遊具などがある広場。その裏にある植樹林。林道をのんびりと歩きながら、兄――ロウブ・エブィルに思いを馳せた。
 今朝も普段と同じように家族と談笑して家を出た。フラットは中学校に、ロウブは高校に。別れ際、ロウブはフラットに話があると言い残していった。その日はお互いに部活もなく、少女と別れた後に待ち合わせ場所に向かった。
 両親に聞かれたくない。ロウブがそう言っていたことを思いだし、フラットは眉根を寄せた。理由が掴めず、その表情から深刻な話題であることは十分に伝わった。だからこそ言われたとおり公園に一人で来た。後ろ髪を引かれながら。
 林道にはほとんど人影はない。空が夕焼けに染まり始めたとはいえ、時間も時間だ。大人は仕事中だし、よほどの暇人ではない限り植樹林に来ることはない。住宅街に中途半端な林を設けたのは、自然な雰囲気を売りにしたい業者の意図を形にしただけだ。初めはそれに飛びついた住人も、今では遠巻きに見るに過ぎない。
 枯れ葉の山の間を縫いながら殺風景な景色を見た。誰が整備するのか。そんなどうでもいい疑問を抱きながら歩いていると、見覚えのある後ろ姿が視界に入った。
 短めの黒髪、均整の取れた長身、その背中は力強い雰囲気を醸し出している。近くの高校の制服を着込んだ彼がフラットに気付いて振り返った。切れ長で端麗な顔立ちは初めて見れば思わず見とれてしまう。フラットは正反対の大人びた男だ。
「ロウブ兄さん」
 名前を呼ぶと、男――ロウブは愁いに満ちた瞳でフラットを見つめた。
「フラットか。早かったな」
 ロウブの声は冷たく相手を射貫くような鋭さがある。一見するとクールな彼。その中にも暖かみがあることをフラットは知っていた。身近な者にだけ見せる優しさ。それはけして押し売りではない、本当の優しさ。
 フラットはこの二つ年上の兄を尊敬していた。フラットは何でもそつなくこなせるが、ロウブはほとんどを完璧に行える。勉強も運動も、どこで努力してるのか誰よりも優れているのだ。剣の道でも本気になればフラットを凌駕するのは間違いない。弟ながらそう思っていた。
 フラットはロウブの傍に歩み寄った。
「お前のことだから彼女との別れを惜しんでいると思ったが」
「あいつとはそんなんじゃないよ」
 フラットは頬を染めて目を背けた。言葉とは裏腹の反応が事実を物語っているが、ロウブは追及をしなかった。
「話って何?」
 恥ずかしさをごまかそうとして聞いた。ロウブはうつむき、しばらくして答えた。
「フラット、お前は俺達の血についてどう思うか」
「血?」
 質問の意味が分からず、フラットは首を傾げた。
 血。それは血液のことか。それとも血筋のことか。ロウブの深刻な表情から言葉の裏に何かが隠れていることはフラットも感じ取った。それでも答えには至らない。
 言葉を詰まらせて黙っていると、ロウブが吐息を漏らした。
「俺は最近、嫌な夢を見るんだ。この手が血に染められる夢を。目の前で生きる命をいとも簡単に摘み取る力。とてつもない流れに呑み込まれ、抗うことも出来ずに大いなる力を行使する。それは俺が持つ血筋のせいなんだと」
 ロウブは自分の手の平を見つめ、悔しそうに握り拳を作る。肩が震えるロウブを、フラットは訳が分からず見つめ続けた。
「時折、感じる。闇の中から殻を破って溢れようとする力の奔流を。それが怖くて目を背けるが、けして逃れられない」
 視線をフラットに戻す。
「いつかお前も悩む日が来るのかもな。その時、俺は何もしてやれない。俺はもうここには……」
「兄さん……」
 何かに怯えるかのように震えるロウブに、フラットは言葉をかけられなかった。
 やりきれない気持ちで思い悩むフラットに、ロウブは優しく微笑んだ。
「たかが夢の話だ。お前が気に病むな」
「でも……」
「大丈夫だ。俺も親父もお前の傍を離れたりはしない」
 その力強い言葉すらも無に帰すことになるとは夢にも思わなかった。まさか離ればなれになる日が訪れるとは。いや、予感はあったのだ。この時の兄は、普段の彼からは考えられないほど思い詰めていた。
 そして、この日から僅か三ヶ月後に現実となる。

「その時の兄さんの苦しそうな表情が目に焼き付いて離れないんだ」
 交わされた言葉の数々。フラットは困惑して聞くばかりだったが、それ以降話題になることもなく、父と兄が傍から消えた。
「血筋ってのはあれか? エブィルの子孫だとか言っていた」
 フラットは頷いた。
「ギーレンはエブィルを知っているか」
「史実程度には。五千年前の天上界と魔界の戦争で、滅びかけた世界を救って姿を消したという。今も英雄として語り継がれる最強の戦士だとか」
 それ以上のことは誰一人として知らない。ハバードでさえギーレンと同じ知識しか持ち合わせていなかった。唯一残る記録がフラットの夢だけなのはおかしい。違和感を覚えながら、ギーレンの話を補填した。
「当時の地上界が戦場になってエブィルと魔王ロウトゥスが激突した。その最後の戦闘で世界はバランスを失い、三界は衝突して消滅――そんなシナリオが用意されていた。世界は滅びる。その運命を変えたのがエブィルを中心とした戦闘に参加した人達だ。みんなが知ってるとおり世界は救われたけど、地上界はどうなったと思う?」
 問いかけたところでまともな答えが返ってくるとは思えない。消えた世界が滅びたと考えるのは当然のことだ。
「エブィル達と共に消滅したんじゃないのか」
「いいや、世界は離れただけだ。地上界は地球と名を変えて今も存在している」
「それではエブィルは生き残ったのか」
 フラットが頷くと、ギーレンは驚いて目を見張った。
「お前がシュピールの前でエブィルの子孫だと宣言したときは驚いたし、半信半疑だった。エリル達を救う為の出任せだとも。信じたとしても、天上界に残された子孫と思うのが普通だ。だが、そんな話は聞いたことがない。エブィルの血は完全に途絶えたのだと誰もが思っている」
 そんな話をシュピールは真に受けた。それだけでも驚きだが、フラットが語った話は更なる驚愕をもたらした。
「しかし、地上界は滅びずエブィルが生き残り、その子孫が現れたのだとすればつじつまが合う。お前は本当にエブィルの子孫なのか。奴の名を継ぐ者なのか。だとすれば世界の救世主になるのか」
 詰め寄るギーレン。
 五千年も昔の人間の子孫であることを証明するのは無理だ。証拠となるのはフラットが繰り返し見た夢とエドガルドとハバードの証言だけ。正直に話すと、ギーレンは考え込んだ。
「俺だって信じていないし、世界が救えるとは思えない。でも、父さんは争乱を予見していたし、これからさらなる混乱が起こるとも言っていた。父さんは一年前に天上界に来て、地球に残された俺もつい二週間前に召喚された」
「それを使徒であるハバードが行ったのか」
「だからこそ意味はあると思う。その意味を知っていたから兄さんは……」
 真実はどうであれ、現実として魔王軍にとってフラットは敵となった。おそらく本物のエブィルの子孫として認識されたはずだ。
「それだけの強さをお前は示した。少なくとも狂言ではない」
 信用されることが良いか悪いか難しい問題だ。フラットは素直に喜べなかった。脱線した話を戻す。
「俺は家族と地球で平穏に暮らしていた。父さんと母さん、ロウブ兄さんとルシア……みんなに囲まれて本当に幸せだった」
 一年前までの団らんの時を思い浮かべ、はっとして立ち上がった。何かを思い出したのか、馬車に置いてある自分の荷物を探りだした。しばらくして一枚の写真を手にフラットが戻ってきた。
 フラットはギーレンに写真を渡す。
「こっちに来たときに持ってたみたいなんだ。無いよりはマシだし、元々いつも持ち歩いてた物だから」
 写真が珍しいのか、ギーレンは食い入るように見ていた。驚いてないところを見ると、全くの異物ではないようだ。
 少し皺になっている写真を指差しながらフラットは家族のことを話した。
 写真には五人の男女の姿が映っていた。それは写真立てに飾られていた物とは違う。後ろの中年の男女が両親。男の名はエドガルド。屈強な体付きに、雄偉な顔立ちと年相応の渋さを兼ね備えている。前列には少年が二人と女の子が一人。真ん中が今よりも幼いフラットだと一目で分かる。
「左側の切れ長の男は?」
「ロウブ・エブィル。俺の二つ年上の兄さんだ。格好いいだろ。何でも完璧にこなす俺の憧れなんだ」
 誇らしげに言うフラットを後目に、反対側でフラットの腕に抱きついて満面の笑みを浮かべる少女に視線を移した。
 目がぱっちりとして整った顔立ち。あどけなくてとても優しい表情。黒く澄んだ瞳は吸い込まれそうな魅力がある。降ろせば背中の中程まで届きそうな髪を頭の後ろで束ねていた。瞳と同じく綺麗な黒だ。身長は僅かにフラットよりも低い。
「その子はルシア・イレネウス。近所の幼馴染みだ」
 フラットは頬を染めて顔を背けた。暗がりで表情は分かりにくいが、声音が恥ずかしそうに跳ね上がるのがギーレンにも伝わった。
「家族でもないのに一緒に写ってるのか」
 それは当然の疑問だ。フラットは聞かれることを最初から覚悟していたが、いざ現実となるとどう表現すればいいか迷った。
 フラットに抱きつき顔を寄せるルシア。そんな彼女に、恥ずかしがりながらも少しだけ体を寄せている。傍から見れば――
「うーん、まあその、何というか……家族みたいなもの、かな」
「ほう、家族か。さしずめ将来を誓い合った仲か」
「な、何を言ってるんだよ。ルシアとはそんなんじゃ……」
 思わず否定するフラット。その反応をギーレンは微笑ましく見ていた。幼き頃のエリル達とのことを思い出してむず痒い気持ちになった。
「だったら何なんだ」
「大切な友達だよ。誰よりも大切な……」
「それを恋人って言うんじゃないのか」
「この時は十三才ぐらいの子供なんだぞ。そんな気持ちがあるわけ……」
 そこまで言ってはっとし、慌てて口を噤んだ。だが、もう手遅れだった。ギーレンはにやにやとフラットを見ている。
「この時は違うが今はそうなんだな?」
 否定する余地もなく、フラットは渋々頷いた。
「でも、あいつはどうだか知らない。告白してないんだし」
「そんなの必要ない場合もある。この写真を見れば一目瞭然だ。お前達は間違いなく仲のいい恋人だよ」
 そうだといい。フラットは素直に思った。だが、もう彼女は……。
 フラットの表情が沈む。今の三者での旅を始めてから初めて見せる暗い表情に、ギーレンは困惑した。
「もう会えないんだ、ルシアとは」
「お前がこっちの世界に来たからか」
 フラットは首を横に振った。
「俺が天上界に来る一ヶ月前に光に包まれて消えた。一年前には父さんと兄さんも」
「三人とも天上界にいるのか」
「それは分からない。ハバードが召喚したのは父さんと俺だけ。兄さん達のことを教えたらハバードは驚いてた」
「ハバード以外が喚んだとか」
「その可能性はあるが確証はない。もうどこにもいないのかも」
 力無く項垂れるフラットに、ギーレンはかける言葉を見いだせずにいた。
 目の前の少年は大きな力を持っている。それを持て余してしまうほど心は弱かった。力のせいで、血筋のせいで家族と引き離され、翻弄されている。本来なら天上界と魔王軍との戦いとは無関係のはずだ。それなのに今はこうしてここにいる。
 憐れむようにフラットを見ていると、彼の目に何かの意志が宿る。
「ギーレンには最初に言ったはずだ。俺はこの世界のどこかにいる父さんを探す為に旅をしてるって。父さんなら世界のことや血筋のことを教えてくれる。兄さんやルシアのことも何か知ってるはずだ。だから会うんだって」
 フラットはギーレンから写真を奪い取ると、立ち上がって家族の顔を見た。
「俺はもうくよくよしない。父さんを見つけて、みんなを見つけて……今も地球で待つ母さんの所に帰るって決めたんだ」
「天上界はどうするんだ」
 フラットは僅かにうつむき、首を横に振った。
「それは分からない。分からないけど今は考えられない」
「それならなぜエリルを助けた? なぜネンツ王国を救った?」
 それもフラットがずっと悩んできた問題だ。
「あの時はそうするべきだと思ったんだ」
「結果、自分の身が危険にさらされてもか」
 フラットは頷いた。
「ハバードには恩がある。抜け殻だった俺に希望を与えてくれた。だから助けたいと思った。エリル達もそうだ。目の前で苦しむ姿を見ていられなくて……彼女を救えるのなら救いたい。素直にそう思った」
「そうやって行く先々で同じことを繰り返すのか」
「そうなるのかな」
 そうなるとすれば、結果的に世界を救うことになる。自分でも気付いていた。侵略をする魔王軍を嫌う気持ちに。人々を苦しめる彼らを憎む気持ちに。だが、シュピールの言葉が心を縛る。『あなたに人を殺せる覚悟はありますか』と。その覚悟無くして魔王軍と本気で戦うことは出来ない。
 世界を託す、と言ったハバードの気持ち。その重圧に押し潰されそうになる。フラットは本当に世界を救えるのか。改めて考えた。
「でも、俺には無理だよ」
「それがお前の答えなら仕方ない。だが、下手に助けて人々に希望を持たせるようなことはするな。次に同じような状況に遭遇したら覚悟を決めろ」
 ギーレンの言う通りだとフラットは感じた。
 何をするのにも覚悟が必要だ。戦う覚悟、見捨てる覚悟、エドガルドを捜すのも覚悟。なあなあですまさせられる状況ではない。そして、すでに魔王軍の敵となっている。個人の意志に関係なく争乱の波に呑み込まれようとしていた。
「一つ聞きたいことがあるんだが」
 ギーレンが神妙な面持ちでフラットを見た。
「どうして俺に家族のことを話してくれたんだ」
「聞かれたから」
 当たり前のように即答するフラット。ギーレンは突っ伏しそうになるのを堪えた。
「そういうことじゃなくてだな」
「最初から信用できると思ってた」
「警戒してただろ」
「そりゃ、背後に魔王軍がいるかもと思ったさ」
「それならなぜ?」
 ギーレンの疑問に対する答えは共に旅を始める前に出ていた。エリル達に事前に話を聞いたからかも知れない。ギーレンのエリルに対する気持ちが分かったからかも知れない。それらは些細なことだけど、話して確信した。
 とはいえ、初対面の人間との距離感が掴めず、今まで何を話せばいいのか困っていた。きっかけはロウブの夢だ。なぜ今になって夢に見たのか分からない。だが、それがとっかかりになって楽に話せたのだ。
「ギーレンから悪意が感じられなかった。それが一番の理由だよ」
「それだけなのか」
「見てられなかったんだよ、あたふたするのが」
「なっ! お前、それはもう……」
「諦めたんだっけ」
 エリルへの思いを吹っ切れていないと知りながら冷やかした。ギーレンがフラットを冷やかした、その仕返しだ。
 ギーレンの反応が面白くて腹を抱えて笑った。仕方なさそうにギーレンも笑う。顔を引きつらせていて、必死に怒りを抑えてるのは明らかだ。それが余計におかしかった。
 しばらく笑いあう二人の表情が突然険しくなった。何かを関知したアンドレンが戻ってくる。空気が張り詰めていた。
「魔物の気配がする」
 ギーレンが周囲に気を配りながら火を消した。
「まだかなり遠いが」
 側に立てかけてあった剣を拾うと、気配のする方に、森の奥に目を向けた。
「移動した方が良いのか」
「いや……」
 ギーレンが眉根を寄せた。その意味をフラットは察した。遠くに感じられる魔物の気配、殺気がフラット達以外に向けられていた。
「目的が俺達ではないとすると、誰かが襲われてるか」
「それなら助けに行こう」
「分かってるのか」
 ギーレンが鋭い視線をフラットに向けた。フラットは逡巡してから頷いた。
「放ってはおけない」
 迷いを捨てきれぬまま言うフラットに、ギーレンは呆れて言葉を失った。無理に止めてもいいが、寝覚めが悪いのはギーレンも同じだった。
「分かった。二人で助けに行くぞ。アンドレンは馬車を守れ」
 言うや否、ギーレンは魔物の気配がする方へ走り出した。アンドレンを残し、フラットも彼に倣う。魔物の気配に近付くにつれ、別の大きな気配の存在に気付いた。それがフラットの旅をかき回す嵐となると知らずに。


       3

 フラット達は森をひた走り、アキサス側の平野に躍り出た。星明かりだけが一帯を照らし、数メートル先の木すら目を凝らしてもぼやけて見にくい。その暗がりの中に赤黒く光る無数の点が現れた。
 気配で魔物の群れだと分かる。群れは森を背にする誰かをとり囲み、奇声を発していた。夜更けに何も無い場所で魔物に襲われる。釈然としない状況に眉根を寄せるが、それで答えが出るわけもない。その誰かを助けようと近付いた。
 魔物と戦う誰かはフラットさほど変わらぬ少女だった。ショートヘアをなびかせ、小柄な体躯を駆っている。時折見える横顔は幼顔で可愛らしく、違和感を覚えるほど冷たい目つきをしていた。暗がりでは分からないが、翡翠の瞳、髪が特徴的だ。そんな彼女の目からは生気が失われてるようだ。
 両手に握られた二本の小太刀を流れるように振るい、近付く魔物を切り裂いていく。少女はあまりに無駄のない動きで確実に急所を捉えていた。喉元を裂かれ、首筋を切られ、次々と死骸が生まれていく。
 少女の近くにはすでに多くの魔物の死骸が転がっていた。残ってる魔物は倍以上。見える範囲でも二十匹はいる。それ以上に多くの気配が一帯に溢れていた。
 動き続けていた少女が後ろに飛び、魔物との間合いを空けた。魔物達は攻めあぐね、飛びかかる機会を窺っている。少女は肩で息をし、疲労が限界に達しようとしていた。そう何度も攻撃をくぐり抜けられそうもない。
 再び向かってくる魔物を切り伏せるが、徐々に攻撃の正確さが殺がれていった。ついには急所を外し、たたみかける僅かな隙が命取りになる。気付けば三方から魔物が迫り、同時に飛びかかろうとしていた。
 少女は死を覚悟する素振りを見せず、目の前の魔物を倒した。両横に迫る魔物に視線を向けると、刀を振るうよりも早く鋭い爪が少女の柔肌を傷つけようとした。それでも表情を変えず、そこには感情が存在しないかに見えた。
 少女は死ぬ。傍から見ればそれは間違いないと誰もが思うだろう。だが、両脇に迫る魔物に二つの影が肉薄し、風のように通り過ぎるのと同時に斬り伏せたのだ。何が起きたのか分からず崩れ落ちる魔物の先に悠然と立ってるのはフラットとギーレンだ。
 ギーレンが最大限の殺気を周囲に放つと、間髪入れずに飛びかかろうとする魔物達が後ずさった。
「大丈夫か……」
 フラットが少女に駆け寄った。反射的に繰り出される攻撃を受け止める。
「ちょっと待て! 俺達は敵じゃない!」
 慌てて声を張り上げると、ようやく声が届いたのか少女の瞳に生気が宿る。目の前のフラットに気付き、慌てて刀を退いた。
「ご、ごめんなさい。てっきり魔物かと」
 あたふたする様は全くの別人だった。どう見ても年相応の少女だったからだ。冷徹に見えた表情は完全に失せていた。
「あの、あなたは……」
 おずおずと聞く少女に、敵意はないことを証明しようと優しく笑いかけた。
「俺はフラット。魔物の気配がして来たら、君が一人で戦ってるのが見えたんだ。多勢に無勢だから手助けに来た」
「そ、そうなの……」
 少女がきょとんとした。いまいち状況が理解できず、首を傾げた。
「話は後にしろ。奴らを倒すのが先だ」
 ギーレンが声を荒げ、つられるように魔物に向き直った。
「後は俺達に任せてくれ」
「え……あ、うん」
 そう言うフラットの背中を、少女は戸惑いながら見つめていた。
 少女を守りながらとはいえ、フラットとギーレンの連携は文句の付けようがなかった。疾風のごとき動きで次々と魔物を倒し、他の追随を許さない。気付けばほとんどの魔物が死骸となっていた。剰りの強さに気怖じした残りの魔物が散り散りに逃げていく。先を見通せない場所で追うのは危険だと判断して剣を収めた。戦闘はものの数分で終わった。一息つくフラットの背中を、少女はじっと見つめていた。
 フラットとギーレンは少女の側に駆け寄った。
「怪我はないか」
 フラットの問いに戸惑いながら頷いた。未だ落ち着かぬ様子の少女から話を聞くのは難しそうだ。少女を連れて野営地まで戻ることにした。

 馬車の側で再び火を熾し、腰を落ち着かせた少女に紅茶を差し出した。少女はちびちびと口にしながら何度も首を傾げ、釈然としない状況を整理していた。フラットは少女の隣に腰を下ろし、彼女と同じようにコップに口を付けている。ギーレンは続けざまに疑問を投げかけたい衝動を堪え、フラットに任せようと一歩下がっていた。
 フラットが顔を向けると、少しは落ち着いたのか少女は微笑んだ。その表情が可愛らしくて、思わずドキリとする。
 思えばこの世界に来て初めての同年代の子だ。透き通るような目が印象的で、無邪気な笑顔や小さく縮こまってる姿が猫を思わせる。思わず頭をなでたくなるほど子供らしい少女だ。
「君の名前を聞いていいかな」
 つい触れそうになるが、気付かれぬように手を引っ込めて愛想笑いを浮かべた。少女はまた首を傾げてから頷いた。
「あたしはレイカ。レイチェリカ・ラグーン」
 優しくてはきはきした声だ。
「レイカか。いい名前だね」
 これではナンパしてるみたいだ。言い知れぬ寒気に襲われ、振り払おうと頭を振る。それが可笑しかったのか、レイカが苦笑する。フラットは恥ずかしくなり、頬をかいた。
「俺はフラット・エブィル。彼がギーレン・ゲ・ビエト。向こうで見張りをしてるのがアンドレン。俺達はアキサスに向かう途中なんだ」
「フラット……さん」
 レイカが名前を口にすると、むず痒い気持ちになった。フラットの心情を知ってか知らぬか、彼女は笑顔をぐいと近づけた。
「フラットさんはいくつなの?」
「もうすぐ十六才になる。君は?」
「十四才よ。二つ違いだね」
 無邪気に笑うレイカ。これが魔物と戦っていたときの冷徹な少女と同一人物とは思えない。それほど表情に違いがあった。
 少し打ち解けたところで、フラットは本題を切り出した。
「レイカはどうしてあそこにいたんだ。あんなにいっぱいの魔物に囲まれてるなんてただ事じゃない。理由があるなら教えてくれ」
 真顔を向けると、レイカは姿勢を戻して考え込んだ。悩むというよりは言葉を選んでるだけのようだ。
「あたしは今、わけあってアキサスにいるの。その辺は話せないから聞かないでね」
 フラットが頷くと、レイカは満足げに笑った。
「今夜は寝付けなくて散歩してたの。そしたら町の外のずっと遠くに強い気配を感じたの。来てみたら魔物に囲まれちゃって」
「レイカが狙われたのか」
「うーん、どうだろう。狙われる理由はあるけど、違うかな。強い気配に吸い寄せられるように集まってきただけかも。近くに大きな群れがあるって噂は聞いてたし、そこに入ったから襲われたんじゃないかな」
 雲を掴むように話で納得するわけもなく、問い質そうとギーレンが身を乗り出した。フラットは彼に目配せし、発言を制した。渋々引き下がるギーレンを、レイカが怯えるような目で見ていた。
「あそこにいたのは偶然なのか」
「多分」
 レイカ自身も分からない。だからこそずっと困惑していたのだ。彼女の発言からいくつかの疑問を抱くが、それは後回しにした。フラットが一番疑問に思っているのはレイカの表情の変化だ。
「魔物と戦ってるときの表情からは感情が読み取れなかった。助けに入った俺に攻撃してくるし、あの時の君は別人だった」
「ごめんなさい。周りが見えなくなってたの。暗かったし、よく見えなかったから」
「本当にそれだけなのか」
「疑ってるの?」
「そうじゃないよ。レイカが意味もなく攻撃する子じゃないのは分かる。でも、あまりに違ったから」
「そう?」
 自分の変化に気付いてないのか、それともフラットの見間違いなのか。フラットはレイカが何かを隠してるように感じた。何かの気配を感じたり、狙われる理由があったり、謎多き少女だ。ひょうひょうとして質問を躱し、差し障りのない答えを返す。聞き出すのは難しかった。だが、聞き出せない一番の理由は別の所にあった。
「でもね、きっと神様があたし達を引き合わせてくれたんだよ。まるで運命だね」
 そう言って無邪気に笑う。その表情が可愛くてドキリとさせるのだ。魅惑、というわけではないが、突っ込んで聞く気が失せる。正直な話、積極的な子は苦手だった。恥ずかしいし、対応に困る。しまいには腕に抱きつかれ、フラットはたじたじになる。ギーレンが咳払いし、その視線が痛かった。
「きょ、今日は休もう。明日になれば何か思い出すだろ。どうせ行き先は同じだし、一緒に行くといい」
「うん、そうするね」
 満面の笑顔を浮かべるレイカ。フラットは困り果てて視線を泳がせた。そんな彼を呆れ顔で見ていたギーレンの表情が険しくなる。
「どうしたんだ」
 ギーレンが周囲を見回し、何かを警戒している。魔物かと思ってフラットは周囲に気を配るが、その気配はない。殺気も感じられず、眉根を寄せた。さっきまで気付かなかったが、何者かに囲まれていた。魔族やギーレンのような強い気配はない。ごく僅かな、とても弱い気配だ。
「これは人間……?」
 ようやく気配の正体に気付くと、同時に地面を踏みしめる音が周囲から聞こえた。木陰から人影が姿を現した。その数、五人。短剣を手にした大人の男で、死んでるのかと思うほど表情が欠落していた。友好的ではないと一目で分かるが、悪意も殺意もない。盗賊という奴か。それにしても違和感だらけだ。
「何なんだ、こいつらは」
 嫌な匂いが鼻を衝き、フラットは顔をしかめた。生ゴミが腐ったような匂いがかすかにする。その正体が分からず、余計に気分が悪くなった。
「なぜかは分からんが、敵のようだな」
 ギーレンの言葉にフラットはびくりとした。どう見ても普通の人間なのに、敵対行動をとっている。その意味を嫌でも理解した。これから起ころうとしている事態。それは人間同士の殺し合いだ。本気で戦えばフラット達が確実に勝つ。自信を持って言えるほど相手は弱そうだ。言うなれば一般人を相手にするような物だ。
 そう、一般人だ。フラットを取り囲む男達は屈強でもなく、厳つくもなく、戦いとは無縁の体付きをしている。服装も家で着るような普段着だ。その普通の男がなぜここにいて襲いかかろうとしているのか。
「フラット、油断するな!」
 ギーレンの声に、呆然とするフラットは我に返った。いくら相手が普通の人でも短剣で刺されれば命取りだ。慌てて立ち上がり、剣を構える。レイカも背中合わせに構えていた。
 フラットを苛む問題はもう一つある。相手は魔物でも魔族でもなく、ただの人間だ。ただでさえ人の命を奪うことに抵抗を感じてるのに、戦えばどうなるのか。間違いなく殺すだろう。フラットが何もしなくてもギーレンが殺す。でなければレイカやアンドレンが。
 男達が無表情のまま間合いを詰めた。フラットは息を呑む。覚悟を決める間もなく男達が襲いかかってきた。
 フラットは難なく攻撃を受け止める。ギーレンとレイカも簡単に捌くが、攻撃できずにいた。一般人による敵意無き敵対行動に彼らでさえ迷っているようだ。だが、いつまでも防戦一方とはいかない。
 鼻を衝く匂いがいっそう強くなる。何かに気付いたのか、レイカが目の前の男を切り伏せた。驚くギーレンに向かって声を張り上げた。
「彼らは死人(しびと)です。倒しても問題ありません」
「そうか、この匂いはそう言うことか」
 ギーレンはレイカの言葉を理解し、素早く相手を倒した。
「な、ど、どういうことだ。何でこの人達を殺すんだ?」
 フラットの疑問に答えるよりも先に相対する男をレイカが倒した。崩れ落ちぴくりとも動かない男を見下ろし、唇を噛んだ。
 悔しがるフラットの腕をレイカが引っ張る。
「早く離れて。すぐに起き上がるから」
「それってどういう……」
 フラットが言い終えるよりも早く男達がのそりと起き上がった。レイカに手を引かれ、慌てて距離を置く。
「彼らは一度死んだ人達なんです。何らかの術で自在に操り、手足のように使う。それが死人(しびと)なの。剣で斬ったのに、血の一滴も出ない。それが何よりの証拠よ。文献でしか見たことがないけど、こんなのが実在するなんて」
 レイカの言う通り男達は出血していない。斬られても痛みを感じず、変わらず無表情を向けていた。匂いの正体も、腐敗臭と思えば納得がいく。言われてみれば気付くかすかな酸っぱい匂いに、フラットは余計に気分を悪くした。
「どうすれば倒せるんだ」
 いつの間にか隣にいるギーレンが聞いた。
「術者を倒さない限り止めを刺すのは無理よ。ただ、動きを止めるだけなら首を落とせば事足りる。どうせ死んでるんだし、問題ないよね」
「そうだな。レイカは左側を、俺は右側の奴らを殺る」
 そう言って散開。一人状況について行けないフラットはその場に立ち尽くした。ただ、敵が一度死んだ身だと言うことは分かった。それが現実に存在するのが信じられない。レイカが平然と『首を落とせ』と言ったことも受け入れられなかった。
 唖然としている間に、ギーレンとレイカが戦闘を始めた。アンドレンは敵を人間と認識してるからか、戦いに加わろうとしない。戸惑うフラットにも男が一人迫ってきた。
 一度死んでる。人殺しではない。
 理屈では分かっていた。だが、未だ生前の形が残る人に、自分の意志ではなく操られて襲いかかる人に剣を向けられなかった。ましてや首を落とすなど。
 全身が竦み上がる。大して速度のない攻撃も受け止めるのが精一杯だった。震え上がるフラットを後目に、ギーレン達は次々と敵を再起不能にしていく。
「フラット、何をしている? こんな奴らはお前の敵ではないはずだ!」
 ギーレンの言う通りだ。しかし、フラットには相手が普通の人間にしか見えなかった。手をかけるなんて怖くて出来ない。
「ばか野郎っっっ!」
 ギーレンが声を荒げるよりも早くレイカが迫り、フラットの目の前で相手を分断した。転がる死体に顔をしかめるフラット。視界の隅に映る冷徹なレイカの横顔が実に印象だ。魔物も“人”も同じように殺せる。自分よりも二つ下の少女がそれをやってのける。その現実にフラットは嗚咽を漏らした。
「フラットさん、大丈夫?」
 無邪気な笑顔を向けるレイカ。
 フラットは怯えをひた隠しにして、ぎこちない笑みを浮かべて頷いた。罪悪感の欠片もなく人を殺めるレイカから目をそらした。レイカの表情がかすかに沈む。
 ギーレンがずかずかと近付いてきてフラットを殴った。咄嗟のことに反応できず、フラットはもんどり打つ。
「お前はいつまで甘ったれるつもりだ。人を殺める覚悟がないのは分かってる。だが、それで自分を危険にさらせば本末転倒だ。このままではお前が死ぬぞ」
「でも……」
 ギーレンの言うことは尤もだ。やるかやられるか、フラットはそういう世界にいる。ましてや自分が殺されそうになったのだ。それでも戦えないとなれば死ぬしかない。分かっている。生きる為には戦わねばならない。目的を果たすには生き続ける必要がある。
 迷い続けるフラットが気に入らず、ギーレンは手を振り上げた。レイカが間に割って入る。
「やめてよ。理由は分からないけど二人が争うことないよ」
 レイカに真剣な目で訴えられ、ギーレンは引き下がった。納得がいかず、側の木に拳を打ち付けた。
 振り返るレイカ。
「フラットさん、あなたが出来ないのならあたしがするから。汚い仕事はあたしが全部受け持つから」
「で、でも……」
「いいの。フラットさんになら……」
 レイカはその後の言葉を呑み込んだ。慌ててかぶりを振る。咄嗟のこととはいえ、それ以上は言うべきではないと理性で押さえ込んだ。これではまるでプロポーズだからだ。好意を抱いたとはいえ、初対面の相手に言うことではない。重荷になりたくない。なぜかそう感じていたのだ。
 レイカは膝をつき、そっとフラットの肩を抱く。はっとして見上げるフラットからすぐに手を離した。
「あの、深い意味はないから」
 恥ずかしそうに目を背けるレイカ。そんな彼女の年相応な反応を見て、フラットは安堵した。そして疑問に思う。冷徹なレイカと無邪気なレイカ、どちらが本物なのか。答えが出るのは当分は先だ。
 覚悟。その言葉がいつまでもフラットの心にしこりを残す。

 フラット達の戦いを遠くから窺う影があった。屈強な男が二人、長身だがほっそりした女性が一人。
 男の一人が失望に似た表情を浮かべる。
「あの程度の力か。恐るるに足らぬ」
「油断はするな。俺様は奴に苦汁を飲まされたのだぞ」
「我は貴様のように油断したりはせぬ」
「くっ……まあいい。どうであれこの傷の礼が出来れば文句はない」
 そう言って肩の傷に手を当て、苦々しく顔を歪めた。
 女は二人のやりとりを横目で見る。すぐに視線を戻した。
「あれがLが遺した遺産……」
 呟き、微笑を浮かべた。
「死人(しびと)を見抜くなんてなかなかね。それに、あの子……うふふ、楽しませてくれそうだわ」
 そう言って闇に溶け込んだ。遅れて二人の男の姿がかき消える。もうそこには人影どころか気配の欠片も残されていない。闇だけが漂っていた。




 第二章 謎多き少女


       1

 うつらうつらと繰り返してる内に夜が明けていた。木々の隙間から差し込む朝日にフラットは重いまぶたを上げた。
 死人との戦いの後、さすがに死体の側で眠るわけにも行かず、野営地を移動した。相変わらずアンドレンが見張りをする。ギーレンとは一言も言葉を交わすことなく眠りにつくが、惨劇が頭から離れず、すっかり寝不足だ。
 大きなあくびをし、すぐ側で寝息を立てるレイカに気付く。彼女はフラットに寄り添うようにして眠っている。
 フラットはレイカを起こさぬように起き上がると、ギーレンの姿を捜した。近くにはおらず、心配しているとしばらくして何食わぬ顔で戻ってきた。
「起きたのか」
 慣れた手つきで朝食の準備を始める。フラットの視線に気付き、ちらりと顔を見た。
「どうした、難しい顔をして」
「だって昨日……」
「気にするな。あんな敵がそうそう現れることもあるまい」
 昨日の戦闘でフラットは敵に刃を向けられず、そんな彼にギーレンが激怒した。今も怒っている。そう思っていたのに、責めようとしない。フラットが眉根を寄せると、うつむいて視線をそらす。
「怒っているさ。だが、言っても仕方ない」
「失望したのか」
 ギーレンはかぶりを振り、フラットにコップを手渡した。
「俺でさえ寝覚めが悪いんだ。人を殺したのは初めてだからな」
 フラットは意外な発言に耳を疑う。
「ましてやお前は平和な世界にいたと聞く。逃げ出さなかっただけでも驚きだよ」
 褒め言葉のつもりで口にしたのだろう。その投げやりな言い方に、フラットは肩を落とした。期待していないと遠回しに言われた気分だ。
「それにしてもまさか死人とはな」
 ぼそっと呟いた。
 死人。人の死体が何らかの術により操られ、どんな傷を負っても命令のまま相手を襲う。そこに本人の意志はなく、首を落とされるまで動き続ける。
「死人って何なんだ」
「俺にも分からん」
 即答するギーレン。
「分からんが、遙か昔、死体を操る奴がいたっていう噂だ」
「死体を操る……」
 目の前で見たのに、未だに信じられない。天上界に来て非現実的なことを目にしてきたが、今度ばかりは理解の範疇を超えていた。事実だとすればこれからも同じ事象を目の当たりにするだろう。気分のいいものではない。
「一体何なんだ……」
「その疑問にはあたしが答えるね」
 いつの間にか目覚めたレイカがフラットの横に腰を下ろした。ドキリとして仰け反るフラットを後目に、ギーレンからコップを受け取った。
「あたしも文献で読んだだけだから詳しいことは知らない。ただ、話は遙か昔、世界が交わっていた頃に遡るわ」
 それは天上界と魔界の最後の戦争以前のことだ。
「五千年よりも前、世界に英知を授けし神託の徒がその力を示す為、一つの奇跡を起こした。死した者を蘇らせ、人々はその奇跡に驚喜した。蘇りし者は生前を凌駕する力を手にし、神託の徒の手足となり繁栄の礎となったという」
「それが死人と関係があるのか」
 ギーレンの問いにレイカは頷いた。
「死した体を操る秘術が戦争で兵士に利用された記録が残されていたの。記録によると、腐敗臭を発し、何度倒しても立ち上がり襲ってきたって。無表情なのも昨夜の人達と酷似してるわ。それが神託の徒が起こした奇跡と同一のものかは分からない。ただ、人道的にも問題があるし、大戦後、禁忌として封じられたの」
「封じられたはずなのにどうして奴らは現れた?」
「それはどうなんだろう。ただ、秘術を用いる人がこの世界にいるのは間違いないよ。その人があたし達を襲ったのは偶然ではない。あたしはそう睨んでる」
「そうだとしても腑に落ちん」
 ギーレンは思い詰めた表情をして言った。
「俺達を襲う理由は何だ? 魔物に襲われているレイカを助けた後の襲撃……そこに繋がりは? 繋がりがあるとすれば相手は誰だ?」
 死人を操るのは術者だとレイカが言っていた。
 男達を放ち、どこかで様子を見ながらほくそ笑む。その何者かの姿を想像して、フラットはため息を吐いた。知らず知らずの内に何かに巻き込まれていたのだ。
 フラット達を襲う相手。その心当たりは一つしかない。シュピールやサーディルンの姿が思い浮かび、ついに襲撃を受けたのだと悟った。
「魔物の狙いは俺か」
 フラットは独り言のように呟いた。
 レイカを襲った魔物達は、本来はフラット達を待ち伏せていた。そこにレイカが紛れ込み、結果としてフラットは引き寄せられた。不満はあるが、納得するのに十分な答えだ。確証は得られないのだが。
「アキサスに行く前に敵を知れればいいが」
 ギーレンが神妙な面持ちをしている。彼の疑問の意味が分からず、レイカは首を傾げた。
「何を心配してるの?」
「町中で死人に遭うと厄介だ」
「どうして? あんなに弱いのに」
 レイカの言う通り、死人は弱い。戦って負けるとは思えない。だが、もし強い人間が死人となって襲ってくればどうなるのか。手加減することも逃げることも不可能な状況になればフラットは相手を殺すことになる。自分の手を血で染める状況を想像し、フラットは身震いした。
「レイカは平気なのか」
「何で? 敵を倒すのに何を悩むの?」
 フラットの疑問を一蹴するレイカ。彼女の表情からは罪悪感の欠片も読み取れない。
「あの人達はもう死んでるのよ。それをどうしたって何も感じないわ」
「普通の人はそうは思わないぞ」
 ギーレンが訝しみながら言った。
「住民の前で倒せば、騒ぎが大きくなるだけだ。死人なんて物を口で説明したとして誰が信じるものか。俺達はあっという間に殺人者だ。お尋ね者になり、行動も制限される。逃亡生活はまっぴらだ」
 ただでさえ魔王軍に命を狙われてるのだ。その上、天上人に追われる身となれば目的を果たすのは夢のまた夢。
「だからこそ対策が必要だ。術者が見つかりさえすれば後はどうとでもなる」
「凄い自信ね」
「せこい手を使う奴だ。どうせたいして強くないだろう」
「それはどうかしら」
 素っ気なく言うレイカに、ギーレンが眉根を寄せた。
「知ってるような言い種だな」
 鋭い目で睨むと、レイカの視線が泳いだ。暗がりでは良く分からなかった表情の変化が手に取るように分かる。
 ギーレンがレイカに詰め寄った。
「お前の発言には不審な点が多すぎる」
「何の事かしら」
 視線をそらすレイカ。彼女の一挙一動が全てを物語っていた。十四才の子供だから感情のコントロールが上手ではないのか、たんに素直なだけなのか。
「さっきの話も鵜呑みには出来ないな。さあ、洗いざらい吐いてもらおうか。俺に色仕掛けは通用しないぞ」
 そう言ってフラットを一瞥する。
 フラットは昨夜のギーレンの痛い視線を思い出し、申し訳なく項垂れた。その横でレイカがぼそっと呟いた。そんなつもりじゃなかったのに、と。
 ギーレンは向き直ると、元の位置に戻って冷たい視線をレイカに向けた。未だに話そうとしないレイカに冷たく言い放つ。
「何も話せないのならここに置いて行く。アキサスには自力で戻るんだな」
「そんなぁ……」
 困った顔をフラットに向けた。無言で助けを求めるが、フラットはギーレンの冷たい視線を浴びせられて助け船を出せずにいる。
「分かりました。何を話せばいいの?」
 投げやりに言うとギーレンが思案を始めた。
 ギーレンの手際の良さをフラットは感心して見ていた。打ち解けるには向かない脅迫じみた対応。どこから計算なのか分かりかねるが、案の定レイカがぼろを出した。
「昨夜、森の近くにいたわけを聞かせてもらおうか」
「それはもう話したとおり……」
 ギーレンの凍り付くような視線にびくりとし、レイカは項垂れた。これ以上そらし続けるのは無理だと感じ、仕方なさそうに言った。
「あの場にいたのは本当に偶然なの。昨日も言ったけど、強い気配を感じて町を出たら、気付いたときにはあそこにいた。魔物に関しては心当たりもない。だけど、私が求めてる物と何らかの繋がりはあると思う」
「繋がりか。その気配というのがどうにもな」
「あたしは感じたの!」
 レイカはふくれっ面をして顔を背けた。
 彼女が感じた気配にフラット達は気付かなかった。探知能力が優れてるのか、それともアキサスの町中からじゃないと察知できないのか。少なくとも魔物と戦った場所には別の気配はなかった。それはレイカも認めている。
「とすればレイカが誘い出されたか、それともイレギュラーか」
「誰の気配か分かるのか」
 フラットの問いにレイカは首を捻ると、さほど経たずにかぶりを振った。
「あたしにはちょっと……」
 肩を落とすフラットに、レイカが慌てて笑顔を取り繕った。
「でもね、見当はついてるの」
「ほう、それは初耳だな」
 訝しむギーレンにうんざりするレイカ。フラットに対しての反応と比べて明らかな差異がある。邪険にするように、鬱陶しがるように。ギーレンの何かを嫌がっていた。そんな彼女の気持ちが伝わり、ギーレンは嘆息した。
 尋問をフラットに任せて逃げ出したい気持ちに駆られる。とはいえ、あからさまな逃げはレイカを助長するだけ。ぐっと堪え、鋭い視線を彼女に向け続けた。
「分かったのには理由があるの。それがあの死人よ」
「死人を操る奴がいると言ったな。それと関係があるのか」
 レイカは悔しそうに唇を噛んだ。
「知り合いに古い書物を所持管理する人がいるんだけど、その保管庫から禁忌として封じられたある文献が盗まれたの。その文献には蘇生に関する事細かな記述があって、悪用を恐れた管理者はその犯人を追うようにあたしに依頼したの」
「犯人捜索の依頼か」
「犯人の手がかりはこれまで見つかっていない。まさかここで遭遇するとは思わなかったから逆に驚いてるの」
 レイカはうつむいたきり押し黙った。その差し迫った何かを湛えた様子にフラット達が気を呑む。しばらくして彼女が決心の表情を浮かべてフラットを凝視した。
「これは二人を信用して話すの。だから二人にはあたしを信用して欲しい。たとえどんなことがあっても」
 真剣な面持ちにフラットは思わず頷いた。拒否する理由も思いつかず、ギーレンも頷いた。話を聞いた後に判断すればいい、と腹黒いことを考えながら。
「犯人の名はメンティラ・アーヴィン。彼女がこの死人に関する事件の首謀者だと思われる。いえ、これは間違いない」
「なぜそう言いきれるんだ」
「あたしも文献を読んだことがあるけど、誰でも出来ることではない。相応の知識を兼ね備えた人じゃないと無理。その点、犯人であるメンティラは全ての条件を満たしてるわ。膨大な知識と魔力を兼ね備えている。また、常々世界を疎むような発言をしていたから」
「やけに詳しいな」
 探りを入れようとするギーレンに、レイカは嫌そうに頷いた。答えるのが嫌なのではなく、メンティラの存在その物を嫌悪するかのように。
「彼女は裏切り者なの」
 衝撃の告白にフラットもギーレンも言葉を失った。
「メンティラは管理者と共に書物を管理する“守護者”なの。世界に禁忌が流出しないようにする価値ある仕事をしていた。当然、あたしも彼女のことを知っていたし、尊敬していたわ。でもね、ある日を境に世界を疎むようになり――事件を起こした」
「それが文献の盗難か」
 レイカは苦々しげに笑った。
「今回の事件はそこに端を発してる。だからこそずっと追い求めてきた。彼女を止めるのがあたしの役目。出来ればフラットさんにも手伝って欲しいんだけど」
 すがるような目をフラットに向ける。フラットはいまいち会話について行けず、まさか助けを求められるとは思わず戸惑った。
 慌てて答えようとするフラットを遮るようにギーレンが口を開いた。
「たいして強くないと言う俺に、お前は否定したな。メンティラとはどれほどの奴だ」
「少なくともあたし一人で止めるのは難しい。でも、どんなことをしてでも止める。その為にあたしはここにいるんだから」
 レイカが決意を込めて言った。強い意志に彩られた瞳にフラットは魅入ってしまう。
「命を狙われる理由はそれか」
 メンティラを追ってレイカが来た。それを知った敵が手を講じた。だが、あまりに手ぬるい攻撃、レイカだけでなくフラット達も襲った理由。繋がりがあるとすればそれは何か。深まる謎にギーレンはため息を吐いた。
「アキサスにはそいつを追って来たんだな」
 レイカはきょとんとし、すぐに首を横に振った。
「さっきも言ったけどそれは偶然。ここには別の理由で来たの」
「別の理由……だと?」
「ある人を訪ねてきたの。ハイネンツ大陸西部のどこかにいる人に。アキサスにいるつもりはなかったのに、へまをしちゃって」
「へま?」
 口を挟むフラットに、レイカは慌てて手を振り目を背けた。
「そ、それは聞かないで。恥ずかしいから」
 そこに重要な情報は何も無いと思い、ギーレンは聞き流した。問題は誰を訪ねてきたのか、ということ。それも先程の話と関係はなく、聞く必要はなさそうに思えた。物のついでだ。
 気を楽にして適当に耳に入れるつもりだった。レイカの反応が微笑ましくてフラットも油断していた。何より驚いたのアンドレンかも知れない。これまで何の反応も示さず突っ立っていたのに、振り向いたのだ。
 今まで神妙な面持ちで話していたレイカが安堵の笑みを浮かべて言った。
「フラットさんは南から来たから知ってるかな。知ってるといいな。多分、何年かで八十才になるおじいさんなんだけど」
 心当たりは一人しかいない。フラット達の表情の変化に気付かぬレイカは、何食わぬ顔で言葉を続けた。
「ネンツ王国にある樹海のどこかに住んでるらしいの。でも、そこの樹海はもの凄く広いから見つけられるかな。その人の名前はね――」
「ハバード・イジェフスク」
 フラットが暗く沈んだ顔で呟いた。まさかここでその名を口にするとは思わなかった。驚きと痛恨の念を隠さずにはいられない。
 場の空気が一変したことにレイカは戸惑った。フラットもギーレンも、アンドレンでさえ沈んで見えたのだ。
「ね、ねえ、どういうこと?」
 困り果てるレイカ。そんな彼女をフラットはじっと見つめ、目を背け、また見つめる。申し訳なさそうに項垂れると、悲壮感を漂わせて事実を告げた。
 レイカは驚きに表情を染め、衝撃に目を潤ませる。彼女が捜していたハバードはこの世にはもういない。レイカが何を目的に彼を捜したのか、呆然として話すこともないままショックに打ちひしがれた。


       2

 日が昇ると、フラット達は森を出発した。目的地はアキサス市国。死人への対処法を考えぬまま、かといって野宿を続けられる状況でもなく、やむなく進むことにしたのだ。
 馬車の荷台は静まりかえり、地面を蹴る音だけが響いていた。誰もが神妙な面持ちで黙り込んでいる。それは昼下がりまで続けられ、ようやく終わったときにはアキサスに到着していた。
 森を発つ直前、フラットはハバードが亡くなった経緯をレイカに話した。ハバードに世話になったこと、彼に連れられてアキサスを目指していたこと、途中で魔王軍とネンツ王国の戦いに巻き込まれたこと、エリルを助けて命を落としたことを。ギーレンが魔王軍にいたことやエブィルに関する話題は伏せた。ギーレンに止められていたからだ。わざわざいらぬ誤解を招く必要はない。それに英雄にあやかってエブィルと名付けるのは一般的で、正体に気付かれる心配はない。
「結局、何の用事だったんだ」
 フラットが聞くと、レイカはうつむいて言った。
「天上界きっての情報通との噂を耳にしてね、色々聞こうと思ってたの。会えないのは残念だけど仕方ないよ」
 実のところ他にも理由があったのだが、レイカは話さなかった。おいそれと口に出来る話題ではなく、ギーレンも不審に思いつつ追及はしなかった。言い知れぬ暗さに包まれたまま馬車に乗り込むこととなった。
 アキサス市国に着いたフラット達は、町の入口でレイカと別れることにした。別れを切り出したのは他ならぬレイカだ。
「連れてきてくれてありがとね」
 顔を背けつつ恥ずかしそうにフラットを覗き込む。いじらしくて思わず抱きしめそうになるフラット。ぐっと堪えて笑顔を浮かべた。
「色々と情報も聞けたしお互い様さ」
「うふふ、それもそうね」
 軽い足取りで馬車から離れると、くるりと振り返ってフラットを見つめた。
「フラットさんはこれからどうするの」
「アキサスはただの通り道だ。何も無ければ明日にでも出てくよ」
「そうなんだ、寂しいね」
 残念がるレイカに何も言えず、フラットは肩を落とした。残念なのはフラットも同じだった。男二人機械一体の旅はむさ苦しい油臭いの二段構えだからだ。実際は油の匂いはしないが、花があるのと無いのとでは大違いだ。ギーレンは子供に興味ないようだが、フラットにとって初めての同年代の子だ。共に旅をしたいと思うのは至極当然のことだ。それが無理なのは分かっていた。
 彼女とは目的が違う。レイカは謎の敵、メンティラを追っている。フラットはエドガルドの足取りを追っている。
 魔王軍の脅威もある。天上界に安全な場所はないが、フラットと一緒にいると否応なしに危険にさらされる。危ない橋を渡る誘いが出来るはずもなかった。
「そんな顔しないで、ね」
 泣きそうに顔をしかめるフラットに、優しく諭すように言った。
「別れるのが辛くなるよ。それにね、会おうと思えばいつでも会えるよ、きっと。なんならあたしが泊まってる宿に来る? そうすればもう一晩はお話しできるし」
 フラットにとって願ってもない誘いだ。気持ちが傾き、レイカの提案を呑もうと口を開きかけた時にギーレンが割って入った。
「その提案は嬉しいが断る」
「どうして……」
 有無も言わさず、フラットをレイカから引き離した。ギーレンは彼女に聞こえないように小声で言う。
「目的を忘れていないよな、お前」
「それはもちろん」
「ここがただの通り道でも、お前の父親に関する情報収集は必要だ。一緒にいればペースを狂わされるのがオチだ。それに……」
 ギーレンがちらりとレイカを見た。レイカはにこにこしながら首を傾げている。
「お前は彼女に惹かれてるだろ」
「そ、それは……」
 図星だった。否定できずに困っていると、フラットの腰に下げた袋をギーレンが叩いた。
「ルシアだったか。彼女に悪いとは思わないのか」
 その言葉にフラットははっとした。荷物の中に潜ませている写真に触れ、自分の浅はかさを悔いた。がっくりと項垂れる。
「ギーレン、すまん。ありがとう」
「分かればいいんだ、分かれば」
 そう言いながらギーレンは馬車に戻っていった。
 フラットは自分の意志の弱さを嘆き、肩を落としたままとぼとぼとレイカの側に戻った。ギーレンとの会話の内容を知る由もなく、レイカは期待に目を輝かしていた。フラットなら受け入れると信じて疑わない。
「フラットさん?」
 レイカの甘えるような催促に、フラットは首を横に振って答えた。
「ごめん、やっぱりここでお別れだ」
「ふーん、そっか」
 残念そうにうつむき、断られて寂しい気持ちを悟られないように笑顔を浮かべてフラットを見つめた。
「フラットさんにも都合があるし、仕方ないね。うん、分かったよ」
「ごめんよ」
「ううん、何も考えずに誘ったあたしが悪いの。それにね、あなたにはまたすぐに会える気がするの。これは本当よ」
 唇に指を当てて意地悪く笑うレイカ。フラットは言葉を失い、首を傾げた。だが、彼女の言う通りその予感はあった。ただの気のせいだと思って首を振る。
「じゃ、今度こそ」
 レイカはにこりと笑い、背を向けて走り出した。一度だけ振り返ると何度も飛び跳ねながら手を振る。
「バイバイ!」
 元気よく言うと、手を振り返すフラットに背を向けて走り去った。すぐに喧騒とした人混みの中に消えていった。背中を見送る暇もないまま。
 フラットは馬車に戻り、荷台に腰を下ろした。
「浮かない顔だな」
 ギーレンに言われ、名残惜しむ自分の気持ちに気付いた。
「なんなら追うか」
 フラットは間を置かずに首を横に振った。ギーレンの言う通り追えばすぐに捕まえられるだろう。そうしたい気持ちはあるが、してはいけないと漠然と感じていた。
「こういうのを浮気心って言うのかな」
「俺は実った経験がないから分からん」
「寂しい奴だな」
「ほっとけ」
 そっぽを向くギーレンが可笑しくてフラットは笑いを漏らした。それもそうだな、と納得した。ギーレンがフラットの悩みを理解できないし、その反対もしかり。
「宿を探す前に馬車を売っ払うが構わんな」
 フラットは頷いた。もとよりそのつもりだ。
 そうしてフラット達も町の奥に消え、馬との短い旅に終わりを告げた。はした金にしかならずギーレンと言い合いをしたのはまた別の話だ。

 アキサス市国はハイネンツ大陸西海岸の北端にある都市国家だ。町その物の規模は大陸一で、流通が盛んな商業都市である。一都市で国家を形成している為、国としてはさほど大きくはない。だが、アキサスが有する巨大な港は世界各地からの船で賑わい、様々な情報や物資が乱雑する国だった。
 何の理由か、アキサスは魔王軍に襲われることはなかった。天上界を侵略し終えた後に流通の拠点として利用する為だと噂されているが、真意を知る人はいない。無傷とはいえ戦時中のあおりで船は極端に減り、賑わいは減退している。
 フラット達は馬車を売った足で町を散策することにした。まだ日は高く、夕暮れ時に宿を探せば十分だと判断したからだ。情報収集もそうだが、エドガルドが西に向かったのはハバードの情報で明らかだ。同じ航路の船があるか確認する必要があった。
 客船が停泊する一帯に足を運び、西に向かう船を一隻だけ見つけた。
「ああ、この船は西のサロスト大陸きっての大都市ルンブルクへ向かうぜ」
 昨日停泊したばかりの船で、忙しなく動く船乗りの青年が声を張り上げて言った。元気が有り余ってるのか職業柄か、遠くまで響く大きな声だ。
「いつ頃港を発つんだ」
「三日後だ。これを逃せば二ヶ月は船はないぜ」
 ギーレンの問いに迷うことなく答えた。
「そうか、三日後か。ありがとう」
 そう言って船乗りの傍を離れた。船乗りはすぐに自分の仕事に戻る。
「しばらくここで足止めだね」
 離れて様子を見ていたフラットが言った。ギーレンは肩をすくめて頷いた。
「馬車で来たのが幸いだな」
「そうだね。二ヶ月後なんて勘弁してほしいよ」
 冗談じみた言い方のフラットだが、内心は冷や冷やしていた。そしてほっとする。ただでさえ一年前の人間の足取りを追うのだ。どれだけ引き離されているかも分からず、足取りが薄れていく恐怖に苛まれ、悠長に足踏みしてる余裕はない。出航の前に立ち寄れたことがせめてもの救いだ。
 問題はエドガルドが西のどの辺りに向かったか分からないことだ。写真を片手に通りすがりの人を捉まえては聞くが、見たことがあるもののどこに行ったか知らないのが最有力な情報だった。ただ、西に向かう便はいくつかしかなく、そのいずれかの航路を利用したのは窺い知れた。そして、今は一隻しかない。採る道は自ずと決まっていた。
 空が夕日に染まり、収穫も得られぬままふかふかのベッドを求めて宿屋街に足を運んだ。閑散としているのに、発展した都市に店を構えるプライドからかどこも料金が高い。やっとの事で安宿を見つけたときには宵の口を迎えていた。
 その道すがら、ギーレンがレイカの話題を口にした。
「どうにも気になることがあるんだが」
「ギーレンはついにロリコンに目覚めたのか」
「そんな低俗な話ではない」
 フラットの冗談に、ギーレンは思案顔のまま否定した。そこには呆れも動揺もないつまらない反応だ。エリルの話題になら過剰な反応をするから、レイカにたいして女性としての興味がないのは明白だ。
「レイカの名前はなんと言ったか」
「レイチェリカ・ラグーンだっけ」
 フラットはフルネームを何とか絞り出した。ギーレンの言わんとすることが分からず、首を傾げる。
「彼女の姓をどこかで聞いた覚えがある。ラグーン……それにアーヴィンも」
「よくある名字なんじゃないの?」
「そんなはずはない!」
 珍しく声を荒げ、ギーレンは再び考え込んだ。
「大事なことのはずだ……特別な姓のはず……」
「そんなに悩むなら本人に聞けばいいんだよ」
「あれだけ奥歯に物が挟まったような言い方の奴から聞き出せるとは思えん」
「そりゃそうだろうけど」
 ギーレンが深く悩むときは大抵、記憶から大事な部分が抜け落ちている。一所(ひとところ)に長年いた割には博識で、その知識量はハバードに勝る物がある。ただ、いつ知識を得たのか定かではなく、記憶が古いせいで思い出せないのだ。アンドレンを直したときも惚けていた。
「次に会ったときに聞いてみろよ。言葉を濁せばあんたの勘が当たってたと思えばいいさ。それから悩めよ」
「検討しよう」
 そう言ってギーレンは黙り込んだ。どうにもあいつは苦手だ、と言い残して。
 会話が終わる頃に目的の宿に着いた。今のも倒壊しそうな、というのは言い過ぎだが、貧乏人が利用するにはちょうどいい趣のある建物だ。それなりに利用客もあり、屋内は意外にも掃除が行き届いてるという評判。休めれば何でもいいというギーレンに連れられて来たフラットは不安に駆られていた。
「嫌な予感がする」
 引き返そうとするフラットの首根っこをギーレンが掴む。
「壊れたりはせん。それとも、幽霊でも出そうなのか」
 半眼で言うギーレン。抵抗空しく引き戻されたフラットは恐る恐る宿を見上げた。
「そういうんじゃないんだけど」
「なら問題ないな」
 そう言って扉を開けてずかずか入っていく。客なのだから横柄な態度は問題ではないが、それにしても偉そうだ。ギーレンの後ろ姿を見送り、慌ててついて行くとカウンターに気の良さそうな壮年の女性がいた。客の到来に女性は会釈して笑顔を浮かべた。営業スマイルなのか本物の笑顔なのか区別がつかないほど洗練されている。感心して見てると、ギーレンが手続きを始めた。フラットは少し離れた場所で壁に背中を預け、手続きが終わるのを待つ。会話の内容から部屋が半分ほど空いてることが分かった。ほっとして吐息を漏らすと、張り詰めていた気持ちが解けた。
 さっきまで感じていた予感も外れたと結論づけ、フラットは油断していた。“それ”が視界の隅に入っていたことに気付かなかった。
「フラットさん?」
 聞き覚えのある声を訝しみ、知人がいない土地で名前を呼ばれたことを不思議に思った。フラットは首を傾げつつ振り向き、その目をみるみる見開いていく。驚きと共に口を開き、声の主を指差した。
「レ、レイカ?」
「やっぱりフラットさんだ!」
 嬉しそうに声を張り上げ、他には目もくれずに駆け寄ってきた。そして、フラットに飛びつく。その笑顔を腕の中にうずくまらせた。
「どうしてここに……」
「フラットさんこそどうして」
 レイカが目を潤ませてフラットを見上げた。困惑と動揺に縛られ、フラットは言葉を紡ぎ出せずにいた。
「安い宿でも探しに来たんでしょ。ここはアキサス一の安宿だから」
 しれっと言うレイカをそっと引き剥がし、フラットは首を捻る。
 レイカの言う通り高級宿を避けてここまで来た。無駄金をはたけない身分だから仕方がなかった。だが、昨日会ったばかりのレイカに見破られるとは。それほどみすぼらしい格好なのかと自分の姿を顧み、納得した。けして高いとは言えない服が所々破けていたのだ。ぼろぼろの服を平気で着られるのは貧乏性の証だ。そろそろ替え時かと考えたが、今気にすることではなかった。
「その安宿に何でレイカがいるんだ」
「会える気がするって言ったでしょ」
 別れ際のレイカの言葉だ。フラットが忘れるはずもなかった。それでもここで会えた理由が分からず、再び言葉を失った。レイカがぷくーっと頬を膨らませる。
「んー、あまり嬉しそうじゃないね」
「そ、そんなことは! ただ……」
「ただ?」
 不思議そうに首を傾ける。幼い仕草にフラットはドキリとして目をそらした。恥ずかしさをごまかすように頬をかく。
「こんなにすぐに会えるとは思わなかったから驚いてるんだ」
「そう?」
 レイカが照れるフラットの顔を覗き込んだ。あどけない顔に恥ずかしさが増す。フラットは慌てて逃げようと後ずさるが、逃がしまいと顔を近づけてきた。
「会えて嬉しい?」
 ぐっと腕を掴まれ、フラットは逃げる手立てを失った。しぶしぶ頷くとレイカが満面の笑みを浮かべた。ようやく解放されてぐったりするフラットを見て、レイカがくすりと笑う。
「偶然って凄いね。運命を感じちゃうよ」
「そうか?」
「そうよ。だって私が泊まってる宿にフラットが来るんだもん」
「そうか、レイカもここに」
 当然と言えば当然だ。宿で待ち伏せするのも変な話だし、遊びに来るとも考えられない。ここが実家ではないのもレイカとの会話で知っている。元々客としていると考えるのが妥当だ。そんな簡単なことに気付けないとは。ギーレンの言う通り、レイカといるとペースを狂わされてしまうようだ。
 フラットは納得した。したにはしたが、どうにも解せない。違和感を覚えて首を傾げた。レイカの印象が少し違って見えたのだ。首を捻っても答えは出ず、レイカ本人に聞こうとしたときだった。
「あの子はどこでさぼってるんだい!」
 宿の奥の方から怒声が響き、レイカがびくりと体を震わせた。何が起きたのかと訝しみ、目を向けるフラット。その視線の先にふくよかな中年女性が現れた。客に気付いても憤怒の形相を崩さないところを見ると、笑顔と無縁の人間か、怒りの対象が目の前にいるからか。怯えるレイカと現れた女性に一つの共通点があった。
「そこにいたのかい、レイカ。さぼってないで仕事しな。でないと放り出すよ」
「あ、う、うん……」
 女性の迫力に気圧されてレイカがたじろいだ。腕が掴まれ、有無を言わさず引きずられる。目で助けを求めるレイカが宿の奥に消えていく。その様をフラットは呆然と見ているしかなかった。
 立ち尽くしてレイカを見送り、フラットはようやく疑問を口にした。
「同じ……服だよな」
 レイカともう一人の女性は、サイズは違えど同じ柄のエプロンを着けていた。宿の名前が記されたエプロンを。
「何があったんだ」
 手続きをすませたギーレンが戻ってきた。一連の騒ぎが耳に入っていたはずだが、背中越しでは状況が掴めなかったようだ。顔をしかめるギーレンに、フラットは苦笑を返した。二人が状況を理解するにはもう少し時間を要したのだった。


       3

「とすると、何か。お前は宿代も払えず働かされてるのか」
 ギーレンはあまりに呆れた内容に絶句し、きっかり十秒経ってからこぼした。そんな彼の前のベッド上には正座をしてしょんぼりするレイカがいる。どうしてこんな状況になったのか。遡ること三時間前、フラット達が宿を訪れた後のことだ。
 フラット達のやりとりを遠目で見ていた受付の女性が色々と教えてくれた。
「あなた達はレイカちゃんの知り合いなのね」
「ええ、まあ」
 知り合いといっても、昨晩出会ったばかりの浅い仲だ。はしょって話すと、女性は意外そうに眉をひそめた。
「親しげだったからてっきり」
「いや、もうすぐそうなる予定だ、こいつが」
 ギーレンがフラットを指差す。
「そんなわけないだろ」
「照れるなって」
「まあ、やっぱりそうなのね」
 当然のように納得する女性に、フラットは何も言い返せなくなった。何を言っても照れ隠しにしか聞こえないだろう。こういう手合いは思い込めば吉日。そのおめでたい思考で果てしなく妄想し続ける。他人の声が聞こえなくなるのだ。
(そう言えば母さんもそうだったな)
 フラットは小さい頃からルシアと仲が良く、二人の間に割って入るのはおこがましいと誰もが思う間柄だった。互いに意識する前からフラットの母親は関係を怪しみ、冷やかし、妄想を繰り返していた。何度被害に遭ったことか。
 確定事項なら心地いいかもしれない。だが、フラットはレイカに好意を抱いてはいるが、それ以上の関係になる気は毛頭無い。レイカも同じ気持ちだと確信していた。はっきりと言えるのはギーレンのおかげだ。傾きかけた気持ちを引き戻された。今は自分の中にある一番の気持ちを大切にしている。自信を持って言える。面倒なので口にはしない。
「あの子ね、密航者で一文無しなの」
「はあ?」
 剰りの仰天告白にフラット達は仰け反るほどに驚いた。
「聞いてなかったのね。でも、そんなことわざわざ話すわけないわね」
「そりゃまあ」
 フラット達は目を見合わせ、首を捻る。二人の記憶にあるレイカは貧乏人の素振りなど見せず、比較的裕福に見えた。軽装ではあるが服装もそうだし、佇まいも基本的には洗練された雰囲気だった。そんな彼女が密航するとは予想だにしない事実だ。
「全部を信じるわけではないけど、どこぞのお嬢様には違いないわ。ここに来る途中で荷物を無くしてね、それで一文無しになったの」
「かなりの間抜けだな」
「うふふ、それもそうね。レイカちゃんはお金もないのに密航して、それがばれて捕まったの。けれど、不思議なことにすぐに釈放されたのよ。いつの間にかお金が支払われていたり、おかしなことばかりよ」
「よほどの金持ちか、大きな後ろ盾があるのか」
「そうとしか思えないわ」
 何だか大変な方向に話がずれている。フラットはそう思い、めまいを覚えて壁に寄りかかった。レイカの自信はそこに起因するのか。それにしてもお嬢様らしからぬ行動が多い。それとも、男を誘惑したり魔物を倒すのも仕事なのか。考えるほど溜め息が漏れた。
「この宿で働く理由は何だ」
「さあ、詳しいことは……ただ、一文無しでは何も出来ないし、何か入り用なのよ」
「そんな得体の知れない奴をよく働かせられるな」
「頼み込まれたのよ。宿代が払えないから働かせてって。当局の紹介状もあるし、無下には断れなかったから」
「当局?」
「行政府よ」
 それを聞き、ギーレンは腰を抜かしそうになる。行政府は都市国家にとって唯一無二の国家権力の温床。国の機能を維持するのに必要な組織だ。そこからの紹介状を密航者が得るのを異常だ。
「最初は信じられなかったわ。当局には知り合いがいて問い合わせたけど、そこでさっきの話を聞いたの。仕方なく働きぶりを見て雇うことにしたの」
 女性は肩を落としてため息を吐いた。
「嫌そうだな」
「それはまあ。よく働いてくれるけど、時々ふらっといなくなるの。昨夜もそう。気付いたらいなくなっていて昼過ぎに帰ってきた。服に血を付けてね。その理由を話してくれないの。何だか怖いわ」
「その血は魔物の返り血だな」
「魔物っっっ?」
 素っ頓狂な声を出す女性に、ギーレンは頷き答えた。
「魔物と戦う場に居合わせてな。レイカ自身を怖がることはない」
「それもそうね。でも、この近辺にも魔物が出るようになるなんて」
 今まで平和を保っていたアキサスにも魔の手が忍び寄っている。戦争を他人事のように感じていたアキサス市民もようやく実害に怯えるようになった。良くないことだが、危機意識は必要だ。怯える女性を落ち着かせると、礼を言って離れた。
「あのさ、レイカは魔物の群れの噂を耳にしたって言ってたよな。あれは嘘なのか」
「どうしてそう思う?」
「そんな噂、普通ならすぐに広まるだろ。なのに、さっきの人は知らなかった。それって変じゃないか」
「言われてみればそうだな」
 レイカは魔物に心当たりは無いとも言った。それを信用するなら、噂は嘘だがばったり出会した、ということになる。
「魔物がいるのを分かっていたのかも」
「そう考えるのが妥当か」
 ここで顔をつきあわせていても意味はない。忙しなく働くレイカを捉まえ、仕事終わりに部屋に来るように言った。ギーレンが言うと軽蔑するような目をして返事を渋ったが、フラットに頼まれると喜んで頷いた。現金な少女だ。
 それから三時間が発ち、レイカが恥ずかしそうにドアを開けて顔を出した。付き合い始めた恋人のように頬を染めている。部屋の中にフラットを見つけてぱあっと明るい笑顔になった。
「フラットさん、夜のお誘い、とても嬉しいです」
 目を背け、胸に手を当てながら頬を赤らめた。もじもじする姿は本当に初々しく、汚れ無き少女が初めてのことに望むかのようだ。
「レ、レイカ、何を言ってるんだ。変な想像するなよ」
 慌てるフラットに、はっとして我に返るレイカ。冷静になると余計に恥ずかしくなり、思わずうつむく二人。目を合わせるのもはばかられるほどのゆでだこ状態だ。湯気が上がるのが見えそうだ。
 傍から見ていたギーレンがため息を吐いた。
「ああもう、いい加減にしろ」
「何よ」
 レイカがギーレンを睨め付けるが、迫力に乏しい。
「あとでいくらでもいちゃつけばいい。それよりも話が先だ。お前がこの宿にいるわけを聞かせてもらおうか」
 しょぼくれるレイカ。彼女の口から語られる話は先程の女性の話通りだった。肝心な部分は濁して何も語らない。それは予想通りではあった。所持金を無くし、密航し、宿で働いている。叩けばいくらでもほこりが出てくる。どれだけ謎を抱えてるか計り知れない。
「お金がなかったらネンツ王国に行くのが大変だと思ったの。歩きで行くのは嫌だし、野宿はもっと嫌だから」
 当たり前と言えば当たり前の答えだ。フラット達もその意見には同意する。先立つものがなければ旅は出来ない。ただ、レイカの浅はかさには納得がいかない。密航してまで先を急ぐわけも。
「一文無しになった時点でどうにかしろよ」
「そう思ったけど、ゆっくりしてならなかったから」
「それで周りに迷惑をかけて悪いと思わないのか」
「思うよ! 思うけど……」
「それならなぜ仕事をほったらかしにするんだ」
「それはその……」
 ギーレンにしかられ、レイカがどんどん縮こまっていく。
「ギーレン、もうやめたら? レイカだって反省してるよ」
「フラットさん……」
 目を潤ませてフラットを見つめる。
「そうやって甘やかすからつけあがる。本気で付き合うなら心を鬼にしろ」
「ちょ、ちょっと、何を言うんだ。俺はそんな気は……」
「あたしはいいよ」
「レイカまで何言ってるの」
 フラットは力無く項垂れ、言い返す気力をも失った。ギーレンはフラットを疑い、レイカはすっかりその気だ。なし崩しに恋人にされかねない。フラットは肩を落として立ち上がり、期待の眼差しを向けるレイカを後目に部屋を出た。尋問はギーレンに任せておこうと心に決めて。
 レイカが慌てて着いてくるが、ギーレンが間に割って入り道を塞ぐ。
「レイカよ、お前は何者だ。密航が許されるなんてただ事ではない。それに、ラグーンの姓が引っかかる。どこかで聞いた気がするんだが」
「よく聞く名前よ。ちょっとお金持ちなだけの」
「教えられぬというわけか」
「だから違います」
「フラットに聞かれてもそう答えるのか」
「当たり前です」
 疑惑の眼差しが不満なのか、レイカは頬をふくらませた。口を割る気がないと分かり、ギーレンは仕方なく道を譲った。
 目の前を通り過ぎるレイカを半眼で見据えた。
「俺はお前を信用せん。思い出したら必ず問い詰める」
 レイカが目の下を指で押さえ、舌を出しながら廊下に消えた。部屋に一人残され――眉根を寄せた。いつの間に一人になったのか、と。
「アンドレンはまた外か」
 根拠もなくぼやくと、ベッドに身を投げた。色々と考えるのも億劫になり、目を閉じた。明日には何か変化が起こるだろうと感じながら眠りについた。

 フラットは火照った体を冷やそうと宿の外に出た。暦の上では夏が過ぎたとはいえ未だに暑さが残っている。ただ、寝苦しいほどではなく、薄着なら快適に過ごせる。海に面しているからか内陸よりは涼しいようだ。
 深くため息を吐くとアンドレンの姿が目に映る。
「何してるんだ」
 駆け寄ると、アンドレンがその無表情を向けた。
「星ヲ見テイマシタ」
「星? ロボットなのに変な奴だな」
 率直な感想を漏らすと、アンドレンが僅かに顎を引いた。肯定の意思表示のつもりだろうか。意外に人間くさいと感じてフラットは苦笑した。
「お前はやっぱり変だよ」
「マスターノ趣味デス。マスターガプログラムヲ組ミマシタ」
「ハバードか」
「イエ、クルンテフ、デス」
「お前を作った奴か」
 ハバードが唯一会ったことのあるもう一人の使徒だ。一度だけ聞いたが、アンドレンを作りハバードに託した人物でもある。いつかはアンドレンを届けねばならぬ相手だ。
 アンドレンはハバードを守る為にいた。ハバード亡き後その目的を失い、修理したとはいえ体はぼろぼろだ。満足に飛行も出来ず、はっきり言えば旅の荷物に成り果てていた。金はかからないし、夜間の見張りを買って出てくれたので助けられてはいるが。
「クルンテフは西の大陸の奥にいるんだったな」
「肯定。内陸ノ山脈ニアル魔道王国“マギナタウン”ニイマス」
「魔道王国か。また凄そうな所だな」
「マギナタウンは幻の国と言われてるのよ」
 意図せぬ第三の声に驚き、フラットは振り返った。そこにはレイカがいたのだ。膝に手をつき肩で呼吸をしている。走ってきたのは会話中に響いた足音で分かった。
「どうしたんだ、そんなに息を切らして」
 呼吸を整えながらレイカが顔を上げた。
「フラットさん、勝手に部屋を出てくんだもん。宿中を捜して走り回ったのよ。おかげで疲れちゃった」
 その場でへたり込むレイカをフラットが支える。
「大丈夫か」
「うん、平気」
 フラットに支えられて立ち上がると、レイカはその腕に身を寄せた。フラットはドキリとして慌てて離れる。レイカが不満そうにふくれた。
「それよりも幻の国って……」
「あまりの僻地で人が入り込めない土地だと言われてる。そこは魔術が先進技術として利用され、異常なまでに発達してるらしいの。存在の噂は結構有名よ。ね、アンドレンさん」
「肯定。巧妙ニ隠サレ、人目ニツカナイ」
 どうやらレイカの証言は事実のようだ。アンドレンが肯定するまで疑問の眼差しを向けていたフラットが、意外そうに眉根を寄せた。
「失礼ね。あたしは嘘は言わないよ」
「どうだか」
 証明されてはないが前例がある。というより、偽装に偽装で重ねた話ばかりで何を信用すればいいのかフラットには分からなかった。「言えないことが多すぎるの」とレイカは呟き、視線をアンドレンに向けた。
「そんなことより、アンドレンさんは魔道王国出身なのね。どんなところなの?」
「分カリマセン」
 まさかの答えにレイカは目を丸くした。レイカ以上に秘密主義なのか、それとも話せない理由があるのか。その答えはすぐにアンドレンの口から語られた。
「秘密保持ノ為、記録ガ削除サレル。ヨッテ情報ハ皆無。フラットサン、貴方ノ記憶ガ事実ニ近イハズデス」
「どういうことだ」
 初めて聞く名前の天上界の国をフラットが知るはずはない。事実に近い。それがどういうことか考え、一つの答えに辿り着いた。フラットの記憶と言えば地球上での常識だ。それに近い姿が魔道王国と言うことになる。
「科学技術の粋を極めた国か。だからこそのアンドレンか」
 フラットだけが納得し、レイカは何の話か分からず不満を漏らした。
「ずるいよ。あたしにも分かるように教えて」
「そうは言ってもどう説明すればいいものやら」
 フラット自身が科学を理解してれば説明も出来たはずだ。だが、それが当たり前の世界で当然のように過ごしていた人が、全くの無知な人に説明するのは無理だ。フラット自身も初めて触れた魔術を理解できず、困惑したまま受け入れた。そうできたのは肌で感じられる環境下にいたからだ。口で説明されただけでは絵空事でしかない。
「うー、不満はあるけど強く言えないよ」
「レイカも秘密だらけだもんな」
 それが止めとなり、レイカはがっくりと肩を落とした。
「結局は手詰まりか」
「心配アリマセン。緊急帰投システムガ稼働スレバ戻レマス」
「今すぐは駄目なのか」
「肯定。システムニ不備有リ。サロスト大陸近辺ニ移動ガ必要」
 それなら仕方ない。そう言い聞かせ、フラットはため息を漏らした。二者の意味不明なやりとりにレイカの困惑は増すばかり。
「折を見て話すよ。その変わりレイカも話してくれよ。ギーレンは疑ってるみたいだけど、俺は信じてるから」
「フラットさん……」
 レイカは目を潤ませ、フラットをじっと見つめる。しばらく見つめ合い、感極まってレイカが飛びついてきた。それを躱すフラット。躱されてふてくされるレイカ。
「どうして避けるの」
「いや、何となく」
 もうこれ以上のスキンシップは避けるべきだと本能で感じた。何度も言うがフラットはレイカに惹かれている。だからこその罪意識と言うべきか。自身が抱える一番大切な気持ちを失いたくない。その為の自衛行為だ。
 格好良く取り繕っても、結局は浮気心を押さえ込んでいるだけだが。
「いいもん。チャンスはまだあるんだし」
 そう言ってレイカは背中を向けた。宿の入口まで走り、振り返ってフラットを見た。
「信じてくれてありがと。あたし……」
 言いかけてかぶりを振った。そして、おやすみと言い残して宿の中に消えた。その後ろ姿を見送り、フラットは嘆息した。
「俺、これからどうなるんだ」
 ある意味魔王軍よりも厄介な相手に目を付けられた。手を付けられそうになっている。現状を打破できず、嘆くしかない。げんなりしてると、アンドレンがぼそりと言った。
「成ルヨウニシカ成リマセン」
 やはり変なロボットだとフラットは思い、何度目かのため息を漏らした。
 夜が更けていく。




 第三章 闇にうごめく者


       1

「え? あと二日もいるんだ」
 レイカが驚きに目を丸くし、嬉しそうに微笑んだ。それは食堂で朝食を摂っていたときのことだ。
 夜が明け、フラットは半開きの目をこすりながら宿の食堂に入った。そこで目も覚める光景を目にした。レイカがウェイトレスになり、宿泊客に笑顔を振りまいていたのだ。
 朝食を運び、食器を片付ける。たまに取りこぼしそうになるが、持ち前の反射神経で惨事には至らない。迷惑をかけることはないが、危なっかしくて見ていられなかった。微妙にどじっ子なのが新鮮なのか、レイカは宿泊客の注目を集めていた。可愛いものを愛でるような暖かみに満ちた視線。フラットもその中の一つとなり、入口で突っ立っていた。
 呆然とするフラットの横にギーレンが並ぶ。
「なにを見とれてるんだ」
 呆れたような言い種で、フラットを一瞥することもなく通り過ぎた。はっとしてギーレンの背中を目で追い、朝一の失態を嘆いて項垂れた。
 いつまでも入口にいては邪魔だ。分かってはいたが、しばらくその場から動けずにいた。幸い誰も通らず、フラットが最後の客のようだ。
 自責の念に囚われたフラットにレイカが気付いた。レイカは他の宿泊客に向ける物より格段の笑顔を見せる。飛び跳ねながら手を振り、器用に抱えていた大量のコップや皿を流しに放り込んで駆け寄ってきた。食器はたいして大きな音も立てず、水の中に沈んでいく。曲芸じみた行為に歓声が上がった。
 レイカは観客に向かって二本指を突き立てた。すぐに向き直り、フラットを嬉しそうに見つめる。
「フラットさん、おはようございます」
 軽くお辞儀をし、その場でくるりと回る。妙に短めなひらひらのスカートがふわりと浮き、フラットは目のやり場に困った。
「似合ってるでしょ」
 フラットの気持ちなどお構いなしに顔を近づけてきた。答えを渋ってると、レイカの表情がみるみる曇っていく。彼女は顔を背け、声を震わせながら言った。
「そう……こういうのは好みじゃないんだ」
「そ、そんなことないよ」
「それならどうなの?」
「うん、似合ってるよ」
「どうだか。本当にそう思ってるなら証明してよ」
「証明?」
 フラットが首を傾げると、レイカは不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「抱きしめて」
「はあ?」
 素っ頓狂な声を上げるフラット。そんな彼に、レイカは頬を染めてにじり寄った。
「似合ってると思うなら出来るでしょ」
「で、でも……」
 あまりに理不尽で突拍子もない要求にフラットはたじろぐ。会話に聞き耳を立てていた宿泊客が、その瞬間を今か今かと待ち構えていた。目の前には迫るレイカ、周囲には野次馬と化した人達。ギーレンだけは素知らぬ顔で食事を始めている。
「ねえ、お願い。あたしもフラットさんにいつまでも見られるだけじゃ恥ずかしいの。あたしのこと、可愛いと思ってるんでしょ。それなら、お・ね・が・い」
 言ってることが支離滅裂だ。事実、フラットはレイカがすごく可愛いと思った。思ったが、抱きしめる理由にはならない。それに、恥ずかしい姿を望んで曝してるのは本人だ。怖さを覚え、思わず後ずさった。
「どうして逃げるの」
「だ、だって、みんなが見てるし」
「あたしは気にしないよ」
「俺は気にするの!」
 レイカは驚きに顔を染め、うつむき、何かを納得したのかはっとしてフラットを見た。瞳を潤ませ、僅かに視線をそらす。ちらちらとフラットを見る姿は、照れを必死に隠そうとしているようだ。
 意を決して口を開く。
「人目のつかない場所ならいいのね。うん、分かった。あたしも覚悟を決めるね。まだ朝早いけどフラットさんになら全てを捧げてもいいわ」
「ちょ、ちょっと何を言ってるんだ」
 慌てるフラットの手を掴み、視線を絡ませる。実のところ視線をそらすフラットを目で追っているだけなのだが、抵抗を照れと勘違いしたレイカはただでさえ赤い頬をさらに紅潮させた。
「もう何も言わなくていいよ。全部分かってるから。さあ、行きましょう。あたし達の愛の巣へ!」
 フラットを強制連行しようとするレイカの背後に大きな影が覆い被さった。レイカは現れた気配にびくりとし、恐る恐る振り向く。そこには昨日もレイカを叱っていた中年の女性がいた。鬼のような形相で小柄なレイカを見下ろしている。
「あ、あの、その……」
 しどろもどろになるレイカの頭上に鉄拳が振り下ろされた。鈍い音が響き、レイカは頭を両手で押さえてうずくまった。涙目になりながら女性を見上げる。そんな彼女が不満を漏らすよりも早く女性が言い放った。
「またこの子はさぼって。まだまだ仕事は山積みなのよ。食器洗いにテーブルふき、床掃除にベッドメイキングも。のんびりしてたら日が暮れるわよ。さあ、働く働く!」
 レイカは力無く返事をし、とぼとぼと厨房の奥に消えていく。
「きりきり動く!」
 女性の怒声にレイカの背筋が真っ直ぐになり、元の手際の良いちょいドジ従業員に戻った。ほっと胸をなで下ろすフラットを女性がじろりと睨む。
「あなたもうちの看板娘に手を出さないで」
「は、はあ」
 気のない返事に耳を傾けもせず、女性は持ち場に戻った。
「そんな気はないのにな」
 フラットは肩を落としてため息を吐いた。手を出してのではなく、手を出されたのだ。何を言ったところで迫力のある目で睨まれて一蹴されるだけ。結果的に助けられたことに感謝し、フラットはギーレンの向かい隣の席に座った。少ししてから目の前に皿が荒々しく置かれた。視線を向けると、先程の女性と目があった。女性は何も言わず、ずかずかと去っていく。
「目を付けられたな」
「ああ、そうだな」
 フラットは項垂れた。とはいえ、いいこともある。
「レイカが来なくて寂しいだろ」
「そんなことないよ」
 ギーレンの適当な冷やかしに軽く受け答えをし、残念な気持ちと安堵に心を揺らした。女性が間に入ればレイカへの抑止力となる。今はありがたい気持ちが勝(まさ)っていた。
 先に食事を終えたギーレンが席を立つ。
「ここじゃ落ち着いて話も出来ん。食べ終わったら部屋で今後の予定を立てるぞ」
 そう言ってそそくさと食堂を出て行った。その時には賑わっていた食堂も人がまばらになっていた。
 急ぐ理由もなく、フラットはのんびりと食事を口に運ぶ。仕事も落ち着き休憩をもらったレイカが向かいに座った。
「はー、やっと休憩だよー」
 身を投げるようにしてテーブルに突っ伏した。投げ出した手で無造作にフラットの手に触れる。フラットは慌てて離れ、皿と一緒に横にずった。
「どうして逃げるよー」
 顔を上げる気力もないのに、不満は言葉にする。そんなレイカの根性に感服した。
「どうしてと聞かれてもな」
「ふーんだ。逃げれば追うだけだもん」
 そうは言うものの、レイカは動く気配すら見せない。それほどまでに疲れ切っているのだ。何だかんだと仕事はしっかりこなしている。やはり凄い少女だとフラットは思った。せめてもの褒美にとレイカの頭をなでる。
「えへへへ」
 レイカは嬉しそうに微笑み、目をつぶる。フラットに迫るときとは違い、実に優しく年相応の少女らしい寝顔だ。
(思い出すなあ……)
 ひだまりの下でのんびりと過ごしていた日々。傍らにたたずむ愛らしい寝顔の少女。その幸せに満ちた光景がいつまでも続くと信じて疑わなかった。それなのに全てが消え去った。望みもしない運命のせいで。
 フラットは脳裏に浮かぶ大切な人を想い、気付いたときには頬に涙が伝っていた。
「どうしたの?」
 レイカがフラットの顔を心配そうに覗き込む。フラットは涙をぬぐい、かぶりを振った。
「何でもないよ。ただ、ね……」
 似ても似つかぬレイカを見て思い出すとは予想していなかった。フラットは困惑を悟られぬように顔を隠した。テーブルに肘をつき、手を組んで額に当てる。考えてる素振りだ。レイカは上体を起こし、フラットの仕草を訝しんだ。
「何だか悲劇の主人公みたい」
「そんなことはないさ」
「でも、泣くなんて変だよ」
 レイカは本気で心配していた。目の前で泣かれれば誰もが心配する。好意云々以前の問題だが、好意を寄せてるからこそレイカの心配は一入(ひとしお)だ。
「あたしには話せない?」
 それは無理な話だ。レイカにルシアのことを話せるはずがない。フラットは首を横に振り、目を合わせようとするレイカから顔を背けた。
「あたしじゃ支えられないの?」
「そういう問題じゃないんだ」
 悲痛の叫びを必死に押し留めながらフラットは答えた。それでも溢れる感情を抑えきれず、顔をしかめた。
「どういう問題なのよ」
「ごめん」
「謝っても分かんない」
「ごめん」
 フラットはそれ以外の言葉を紡ぎ出せなかった。いや、考えたくなかったのだ。追及されれば考えてしまう。レイカも追及はフラットを苦しめるだけだと気付き、口を噤んだ。お互いに黙り込み、気まずい空気が流れた。すでに食堂に人の姿はなく、食器を洗う音だけがいつまでも響いていた。
 しばらくしてレイカが口を開いた。
「この話は終わり。他の話をしよう、ね?」
 出来うる限りの笑顔をたたえるレイカ。その気遣いにフラットは救われた気持ちになり、僅かな笑顔で応えた。
「よし、いい笑顔だ。フラットさんは笑顔が似合うよ」
 恥ずかしいセリフにレイカ自身が顔を赤くする。女の子が男にかける言葉ではないと今さらながら感じた。フラットも背中がかゆくなり、恥ずかしそうにうつむく。
「あ、あのね、フラットさんはいつまでここにいるのかな。やっぱり今日出て行くんだよね。し、仕方ないね」
 レイカにはあるまじき酷い動揺だ。そこには理由があった。昨夜はまだ機会があると粋がっていたレイカも、別れが迫っているのが寂しいのだ。その気持ちを拭うには方法は一つしかない。唯一の方法を、望みを口に出来ずにいた。困っていると、フラットが思わぬ答えを返したのだ。
「あと二日はいることになったよ」
 レイカは予想だにしない朗報に驚き、目を丸くした。「二日も……」と何度も繰り返し、嬉しそうに微笑んだ。
「俺達は多分、船でルンブルクに行くことになりそうだ」
「ルンブルク……サロスト大陸の?」
 フラット自身の記憶は定かではないが、ここで言葉を詰まらせては疑惑を抱かせるだけだ。声が上ずることを恐れ、無難に頷くに止めた。
「そっか、だから二日後なのね」
 密航してきただけに、船の事情には詳しいようだ。フラットは説明の手間が省けて安堵し、その間に冷静さを取り戻した。
「でも、どうして“多分”なの」
「場合によっては別の船を探すことになるから断言は出来ない。ただ、九割方予定の変更はないよ」
 怪訝な顔をするレイカ。事情を知らなければ当然の反応だ。
「そういえば何で旅をしてるんだっけ」
「いなくなった父さんを捜してる」
「お父様を?」
 聞かれて問題があるわけではなく、フラットは頷いた。
「俺の父さんは一年前に突然姿を消したんだ。そしてようやく手がかりを見つけた」
「どこに行ったか分かったのね」
 フラットはしばらく迷い、首を横に振った。地球の視点から見れば天上界に来たという事実を知れたのは大きな進歩だ。だが、いざ天上界に来てみるとその所在は不明だったのだ。うつむきながら僅かな手がかりを口にする。
「父さんが最初に立ち寄ったのがネンツ王国だったんだ。そこでハバードに会い、世界の中心を目指すと言い残した。その手始めとして西の大陸に渡ったらしい」
「世界の中心……?」
「そこに何があるか知らないけど、足取りを追えば会えると思うんだ」
「ふーん、そう……」
 レイカはさほど驚いてはいない。首を捻り、何かを思案している。しばらく逡巡してから項垂れた。何かを言いかけて口を噤む。そんな彼女の反応を見るほどフラットに余裕はなかった。家族のことを想うと周りが見えなくなるからだ。
「父さんがサロスト大陸のどこに向かったのか、その情報がアキサスで掴めるかも知れない。分かれば大きな収穫だ。父さんが通った道をなぞるのが一番の近道だから」
「そうだね。分かるといいね」
 相づちをうつレイカに視線を向けた。いつの間にか元の表情に戻ったレイカは、視線に気付いて恥ずかしそうに目を背ける。
「そんなに見つめないで。緊張するから」
 何気なく見ただけなのになぜ照れているのか。また変な想像をしてるのだと決めつけ、過剰反応を避けた。取り合えば調子を狂わされるだけだ。
 まじまじと見るだけのフラットを訝しみ、レイカは視線を戻して首を傾げた。
「な、何? あたしの顔に何かついてるの?」
 慌てて手触りで確認する。レイカの動揺する様が可笑しくてフラットはくすりと笑った。
「違うんだよ。ただ、不思議に思ったんだ。どうしてレイカは俺ばかり構うのかなって」
「そ、それはその……」
 視線をそらし、口ごもりながら言った。
「ほ、ほら、あたしはその……フラットさんが……す……」
「す?」
 聞き返した直後、フラットは自分の失態に気付いた。わざわざ告白の誘導をしてしまったのだ。嘆く間にもレイカの頬が紅潮をしていく。逃げだそうとしてそっと立ち上がると、その場から離れる前に視線が合わさった。
 レイカの熱い視線にドキリとして体が硬直する。身動き一つとれなくなり、びくつきながらレイカの言葉を待った。頭の中では必死に逃げる方法を探るが、何も思いつかない。
 ゆっくりと口を開くレイカ。その意外な答えにフラットは唖然とすることとなる。
「……捨てられた子犬のような顔をしていたから」
「は?」
 耳を疑って聞き返すフラット。レイカが恥ずかしさを振り払おうと声を荒げた。
「だ・か・ら、捨てられた子犬みたいだったの!」
 はっとして周囲を見回すが人影はなく、それでも恥ずかしさは増すばかり。しょんぼりして小声で言葉を続けた。
「何だが凄く寂しそうで放っておけなくて。だからあたしが慰めようと思ったの。それにね、とっても好みなの……フラットさんのこと。だからその……」
 言葉尻がしどろもどろになり、肝心な部分はフラットの耳には届かなかった。それでも効果覿面で、フラットは答えに困った。だが――
「そうか、子犬か」
 妙にしっくりくる表現だ。母以外を失い、悲しみに暮れたフラット。彼がすがるように何かを求めるのは当然の成り行きだ。そんな心情を言わずに感じ取ったのはレイカが初めてだ。図らずもフラットに好印象を与えたのだった。
「レイカ、そろそろ休憩は終わりよ」
 図太い声が響き、レイカは仕方なさそうに立ち上がった。去り際、フラットに向き直り、優しく微笑んだ。
「今日も街に行くんでしょ。あたしも連れてってね」
 そう言い、そそくさと走り去った。そんなレイカの後ろ姿を見送り、冷め切った残りの食事をかき込んだ。レイカが食器を片付けに来るよりも早く食堂を後にした。
「俺が子犬ならレイカは子猫かな」
 独りごちたフラットは安堵に彩られた笑顔を浮かべていた。


       2

「で、どうしてこいつがいるんだ」
 ギーレンは半眼でレイカを見た。レイカはフラットの背後に隠れ、怯えるようにしてギーレンを見ている。今にも総毛立ち、声を上げて威嚇しそうだ。
 うんざりとして視線をフラットに向けた。
「お前、余計なことを話してないよな」
「余計なことって?」
 口を挟むレイカをギーレンが睨んだ。レイカは縮こまり、フラットの陰に隠れる。恐る恐る顔を出してギーレンの顔色を窺っていた。首筋にレイカの吐息が触れ、フラットはむず痒い気持ちになる。
「大丈夫、何も話してないよ。ギーレンは気にしすぎだって」
「そうよそうよ。目くじらを立ててたら彼女も出来ないよ」
 ギーレンは眉間に皺を寄せ、握り拳をぐっと堪えた。彼女が出来ない=エリルに振られた、ギーレンの頭にあるその構図をレイカは知らない。怒ってわめき散らせばぼろを出す可能性があるし、フラットのにやけ面が後の惨劇を容易に想像させた。黙って話を進めた方がいいのは自明の理だ。
「まあいい。分かってるな、さっき話したとおりだ」
 朝食時に食堂でギーレンに言われた。部屋で今後の予定を立てる、と。
 予定とは言っても、今日明日の二日間情報収集をし、有力な情報が得られなければルンブルクに渡るだけだ。その間の懸案事項は二つ。いつ襲ってくるかも分からない魔王軍と死人を操るメンティラ・アーヴィン。二日の間に必ず何か起きると予想し、警戒する必要がある。後は無事に出航できることを祈るだけだ。
「そこの小娘のことは放っておいて行くぞ」
「あたしも一緒に行くの!」
 小さい子供のように手足をばたつかせる。その仕草は可愛らしいが、それが余計にギーレンの癇に障った。
「なあギーレン、いいだろ」
 フラットまでレイカの肩を持つ。そんな状況の異常さにギーレンは嫌気が差し、二人を睨み付けた。
「好きにしろ。だが、ここからは別行動だ。こいつと一緒にはいられん」
「良かったな、レイカ」
「ありがとう、おじさま」
「お、おじ……?」
 いくら老けているとはいえ、まさか“おじさま”と呼ばれるとは思わず、怒りはしたが言い返す気力を失った。フラット達を後目にさっさと宿を出る。つくづくレイカとは反りが合わない。そう再認識した。
「何で怒ってるんだ」
 ギーレンが怒る理由が分からず、フラットは首を傾げた。その横でレイカがしたり顔でギーレンの後ろ姿を見据える。
「厄介払いできたし、あたし達も行こう?」
「え、あ、うん」
 困惑するフラットの手を引き、レイカが走り出した。フラットはされるがままついて行く。レイカの満面の笑みを見ると、断る気が起きなかった。このままでもいいか、そう思えてしまう。ちなみに、アンドレンは部屋で日向ぼっこをしている。

 宿を出たフラットはレイカと町中をさ迷っていた。昨日は港近辺で聞き込みをしたが有力な情報はなく、それ以外の場所をあてもなく歩く。
「一年前のことだとなかなか難しいな」
 写真を片手に通りすがりの人を捉まえてはエドガルドのことを聞いて回った。昨日と同じで、目撃情報だけは多い。その理由に服装が挙げられる。天上界ではあまり見かけない服装だったらしい。そのせいか人々の目に止まり、記憶に残ったのだ。ただ、数日と経たぬ内に町から姿を消した。最後に目撃されたのが港だという。
 フラットが忙しなく聞き込みを続ける中、その後ろでレイカは少し離れて歩いていた。フラットの背中に釘付け、と思いきやしきりに周囲を気にしていた。特に背後への警戒は入念だ。レイカの様子を横目で見ていたフラットもさすがに気になって振り返る。
「さっきから何してるんだ」
 半眼で見据えるフラットと目が合い、レイカは慌てた。自分の不審な挙動を気付かれるとは思わなかったようだ。
「あ、あの、いや、その……」
「周りに何かあるのか」
 レイカはかぶりを振り、再び周囲を気にする。否定したのにその行為をやめない。フラットは吐息を漏らして視線を戻すレイカをじっと見つめた。
「ギーレンさんに後を付けられてないかなと思って」
「どうして」
「どうしてってその……あたしを疑ってるみたいだし」
 それが本当の理由とは思えなかった。疑いの眼差しを向けるフラットに、レイカは苦笑いを浮かべて視線をそらす。
「ギーレンは尾行なんてしないよ。レイカが苦手なだけだから」
「そ、そうよね」
 納得するのも変な話だが、フラットの言うことは事実だ。振り回されるのが嫌で、近付くことを避けていた。気持ちはギーレンの言葉の節々に表れてる。それはレイカにも十分伝わっていた。
「本当の理由は何なんだ」
 レイカに詰め寄ると、彼女は考え込むようにしてうつむいた。しばらく誰にも聞こえない声で呟くと、恐る恐るフラットを見る。
「あのね、フラットさん……」
 レイカは口ごもり、逡巡してから意を決した。
「あまり他人には聞かれたくないの。ギーレンさんにも。でもね、フラットさんにだけは話しておくべきだと思ったから」
「俺にだけ?」
 レイカは神妙な面持ちでフラットを見て頷いた。
「これはとても大事な話なの」
 フラットはゴクリと飲み込み、視線を返した。
「フラットさんのお父様は世界の中心に向かったと話してくれたよね。でもね、普通の人があそこに行くのは考えられない。あそこに住んでる人か、特別な目的がある人しか。お父様はよそ者だからきっと後者よね」
 なぜ聞かれたのか分からず、フラットは戸惑いつつ頷いた。
「世界を襲った歪みの原因を調べると言っていた。一番大きな歪みが観測されたのが世界の中心だとハバードが」
「やっぱりそうなのね」
「何か知ってるのか」
 フラットは勢い余ってレイカの肩を掴んだ。「落ち着いて」と諭され、ばつが悪そうにして手を離した。レイカは頷き、話を続ける。
「正確には知らないけど、あたしの知識と照らし合わせると彼の行動の答えが導き出されるの。その前に世界の中心が何なのか話さないとね」
 フラットは気持ちを落ち着かせ、レイカの話を聞き入る。
「世界は五千年前の大戦以後、天上界・地上界・魔界の三界を繋ぐ柱は失われた。それは魔王と戦王による激しい戦闘で起きた時空の乱れ、時空震が原因なの。その結果、地上界はこの時空から姿を消し、世界の往来が出来なくなった。これは有名な話だし、フラットさんも知ってるよね」
 フラットの記憶にもある、誰もが知る史実だ。
「でもね、実は天上界と魔界を繋ぐ道が一つだけ残されていた。それがある場所が世界の中心、通称“へそ”と呼ばれてるの」
「どういうことだ」
 ハバードも知らぬ初めて聞く話に、フラットは疑念を抱いた。話の真偽もそうだが、それを話すレイカの存在に。
「世界の中心に残された道、それはとても不安定で、実質は道と呼べる代物ではないの。どうしても通れない、ただそこに在るだけの道だった」
「無いのと同じじゃないのか」
「そう言ってしまえばその通りなんだけど。でも、確かに存在していたの。そして、そこを人目につかぬように隠し、守ってきた人達がいる。いつか繋がることを恐れてね。魔王軍との戦争が再開するのを望む人はいないから」
「父さんはその人達に会いに行ったのか」
「それは分からない。けど、可能性は高いと思う」
 天上界の中でも神聖な土地とされた場所。世界の中心に住む人々。父がそこに向かった理由。空間の歪みとの関連。少しずつ明かされるピースの数々も、未だ答えを導き出すには足りない。
「話は戻るけど、確か記録では二十年ぐらい前に空間に歪みが生じたの。本来は天上界と魔界の間に地上界があるんだげど、消滅してからは謎の異空間が漂っている。地上界の残りカスとも別の何かが出現したとも噂されてるけど、それが何なのか未だに分からない。でもね、その何も無いはずの空間に異常が現れてから状況は一変したわ。
 へそにある道は天上界と魔界を繋ぐ物。その空間が歪む数年前から予兆が現れたの。何をもって予兆とするかは判断が難しいけど、魔界の存在を強く感じられるようになったの。離れていた空間同士が引き合うように。そして途切れた空間が歪むと、さほど経たずに一度だけ魔界と繋がった。とても不安定で、数日で再び途切れたの。その道が利用されたか定かではないけど、そこを守る人達にとって大きな意味を持つのよ。だって、五千年近くも途切れていた道が繋がったんだから。
 原因の発端は、間にある空間の歪み。それが一番強く観測されたのが世界の中心。そこに残された使えないはずの道が繋がった。空間はさらに歪み、閉ざされた他の道が開くことは容易に想像できた。確かな関連性はない。でも、現実に世界のあちこちで道が出来て魔王軍が現れた。その道の全ての位置が過去の記録と一致した。それに、空間の歪みは沈静化する様子もなく、増大していってるの。一連の流れを考えると、世界の中心が大きく関わってるのは間違いない」
「だからこそ父さんは」
「そうだと思う。あそこに行く目的はそれしかない。だから、あたしはハバード様に……」
 言葉尻は口ごもり、フラットの耳には届かなかった。それよりも、世界の中心で起きていた事象でフラットの頭はいっぱいだ。少し前に抱いた疑念も吹き飛ぶぐらいの衝撃があった。誰もが知る現実との兼ね合いも、信じる大きな要因となったのだ。
「でも、どうして俺に話してくれたんだ」
「それはその……何となく……」
 自分でも理由が分からない。そう言いたげな不安な表情をしていた。
「多分ね、フラットさんもお父様も世界の中心を目指してるって聞いたから。あたしが知ってることを話すべきだと思ったから」
 ここでフラットが追及すれば口を割ったかも知れない。だが、不安に苛まれる今のレイカを責める気にはなれなかった。エドガルドの目的を想像するのに十分な情報を得られたし、世界の中心の役割も知れた。今はそれで十分じゃないのか。フラットは自分自身に問いかけてみた。
 ふとレイカの視線がフラットの手元に移る。視線に気付き、フラットは手にしたままの写真を見下ろした。少し迷ってから物欲しそうに見るレイカに渡した。迷う理由が何なのかは写真を見れば一目瞭然だ。それはギーレンにも見せた五人で写る写真だから。
 写真を受け取り、最初は嬉しそうに見ていたレイカも僅かに瞳が曇る。すぐに笑顔を浮かべ、フラットと写真を見比べた。
「真ん中の子がフラットさんだね。何だか可愛い」
 顔を綻ばせて言われ、いつもは嫌がる賛辞がこそばゆく、フラットは照れ笑いを浮かべた。その反応が可笑しくてレイカは声に出して笑う。
「笑うこと無いだろ。まさかそんなこと言われるとは思わなかったから」
「ふふ、やっぱり今も可愛い」
 レイカは本当に嬉しそうだ。だが、その笑顔の裏に隠された疑惑の目をフラットは感じ取っていた。触れずとも、写真を見るレイカの愁いを帯びた目で気持ちが伝わる。話を終わらせようと本題を切り出した。
「後ろの男が父さんだ」
「渋いお父様だね。でも、凄く格好いい」
 うっとりと見とれ、しばらくしてフラットと見比べる。将来こんな大人になるだろうか、なんて想像をしてるのか。あいにくフラットは母親似だ。
「もういいだろ」
 レイカはしぶしぶ頷き、写真をフラットに返した。名残惜しそうにフラットを見つめる。写真を思い浮かべながら言った。
「後ろの人がお母様で、隣がお兄様と……」
 最後は口を噤み、目を背ける。フラットも話す気にはなれず、ただ頷くだけ。気まずい空気が二人を包み込んだ。
「……これが理由なのかな……」
 レイカはうつむき、フラットに聞こえないように呟いた。すぐに笑顔をたたえ、フラットを見つめる。フラットは言葉に詰まり、写真を懐に隠しながら話題を変えた。
「そういえばレイカは一人旅なんだな」
「うん、途中までは連れがいたけど今は一人」
「親と離れて寂しくないのか」
 レイカは首を傾げ、考え込む。
「うーん、どうだろう……そんなこと考えたこともなかったな」
 遠い目をするレイカを訝しんで見た。
「あたしね、両親はいないから」
「え?」
 目を丸くするフラット。レイカは苦笑して言葉を続けた。
「小さい頃に亡くなったの。もうしばらく経つし、よく覚えてないから。ただ何となくお父様とお母様がいたことを知ってるだけ。でもね、寂しくなかったよ。年の離れた兄が親代わりになってくれたし、お爺様もホントによくしてくれたから」
「そうだったんだ」
 話題を間違えたことを悔やんだ。そんなフラットの気持ちが伝わり、レイカはにこりと笑って首を横に振った。
「フラットさんが悲しむことはない。あたしにとっての家族が傍にいてくれたから幸せだったよ。だから気にしないで」
 不覚にも慰められてしまい、フラットは項垂れた。だが、次の言葉で自分の浅はかさを呪うこととなる。
「うん……でも今は少し寂しい。ううん、悔しいという方が正しいかな。お兄様が目の前で殺されたから」
「そ、それって」
 レイカの目がみるみる曇る。苦々しく唇を噛み、視線をそらした。その反応が少し前に見た暗い表情に似ていることにフラットは気付いた。
「お兄様はあいつの婚約者だったの。とても仲むつまじくて誰もが羨む二人だったのよ。大好きなお兄様が取られるのは嫌だったけど、あいつはあたしの憧れでもあったし嬉しかった。だから祝福しようって。でもね、あいつはあたしを、お兄様を、みんなを裏切った。そしてお兄様を、人々を殺して姿をくらました」
「その人はまさか……!」
 レイカは顔をしかめ、その目に憎しみの火を点す。
「そう、あたしが追ってる人」
 メンティラ・アーヴィン、その人だ。死人に関する文献を盗難し、逃亡した人物。レイカはメンティラを追うよう“管理者”に依頼されたと言っていた。それは嘘ではないだろうが、彼女がメンティラを追う一番の理由は私怨なのだろう。
 なぜレイカはフラットに話したのか。黙っていれば気付かれることも知られることもなかった。悔しさに胸を詰まらせることもなかった。それなのに。
「ホントは言う気はなかったんだよ。でもね、フラットさんには話したくなっちゃった。あたしのことをもっと知ってほしいって」
「なんでそんなことを」
 レイカは目を潤ませてフラットを見つめた。
「フラットさんが悪いんだよ」
 あの写真を見せるから。その言葉は呑み込んだ。レイカは必死に首を横に振り、フラットに背を向けた。自分がどれだけ顔を歪ませてるから見られたくないからだ。フラットも言葉を失い、さっきよりもさらに気まずい空気が漂った。それを破ったのは剰りにも意外で恐るべき第三者だった。
「ようやく見つけました。フラットさん」
 呼ばれた瞬間に背筋が凍り付く。殺気の欠片もないたんたんとした口調。その声は聞き覚えのある声だった。フラットがなぜ怯えるのか分からず、レイカが首を傾げる。“彼”を知らぬ者は綺麗な顔立ちの男性が無造作に佇んでいるようにしか見えないからだ。
 フラットは恐る恐る振り返る。視線の先には想像通りの青年がいた。
「なぜあんたがここに……」
 男は微笑を浮かべてフラットを見据えていた。そう、そいつはフラットが何度も会ったことのある人物、シュピール・ゲルスだったのだ。


       3

 悪いことは重なるものだ。
 一番恐れていた男を前にし、フラットはそう考えていた。
「会いたかったですよ」
 出会い頭に言われ、フラットは身震いした。シュピールの言葉から、フラットを追っていたのは明らかだ。
「俺は会いたくなかった」
 苦虫を噛み潰したようにしてシュピールを見据えた。いつ襲いかかられてもいいように片足を踏み込み、剣の柄に手をかける。
「つれない返事ですね」
 警戒するフラットを嘲笑うかのようにゆっくりと近付いてきた。状況が分からず困惑するレイカを庇うようにフラットは進み出た。レイカはフラットの肩越しに頭を出し、二人を見比べる。
「ねえ、どういうこと」
「いいから下がってろ」
 その口調に含まれる怒気を感じ取り、レイカはフラットから離れて二人の様子を窺った。敵意むき出しのフラットに対し、シュピールは落ち着き払っていた。存在が希薄に思えるほど気配がない。視界に収めなければ見逃しそうな程だ。現に声をかけられるまで近付かれたことに気付かなかった。
「そういえばもう一人の姿が見えませんね。あの天上人はどちらに行ったのですか」
 シュピールはきょろきょろと周囲を見回した。フラットは誰のことかすぐに気付く。
「ギーレンとは別行動だ」
「そうでしたか。常に一緒に行動していると思っていたのですが……仕方ありませんね」
 独りごちると、さっきから視界に入るレイカを見て首を傾げた。
「おや、そちらの女性は初めて見る方ですね」
「彼女は関係ない。それより何をしに来た!」
 無関係なレイカを巻き込むわけにもいかず、シュピールが言い終わるよりも早く声を荒げた。世間話を続ける気は毛頭ない。フラットの敵意に対してシュピールが怪訝な顔をして肩を落とした。
「警戒する理由は分かります。ですが、私はあなたと事を構える気はありません」
「それを信じろというのか」
「いえ、私はそこまで短絡的ではありません。私達は敵同士、信用を得るには相応の苦労を要するでしょう」
 当然のように言うシュピール。ため息を吐き、遠い目をする。
「ああ、私がここに来た理由でしたね。あなたに報告があったのですよ。我が主のご判断を伝えにね」
 シュピールの言わんとすることが分かり、フラットはゴクリと飲み込んだ。
 目の前の敵と最後に会ったとき、エリル達ネンツ王国を救う為にフラットは正体を明かした。エブィルの名を継ぐ者だと。仇敵であるエブィルの子孫がいると知れば魔王軍は他のことを棚上げにしても襲いかかるだろうと考えた。案の定シュピールはフラットを敵と認め、その情報を持ち帰った。
 すぐに答えは明るみに出ると思っていた。だが、十日以上も魔王軍との接触はなく、今日初めて魔族が現れた。よりにもよってシュピールが。
「あなたがアキサスに向かうのは分かっていました。戦いの集束したハイネンツ大陸を離れるのは火を見るより明らか。尾行するのも大変ですし、最初からここで待たせてもらっていました。それにしても予想より遅い到着ですね」
 それが監視がない理由だった。最初からつけられてなければ襲撃されはしない。あれだけ警戒していたのに全てが水の泡だ。
「出発まで手間取ったからな」
「なるほど、それでは仕方ありません。でもまあ、それは大した問題ではありません。こうして会えたのですから」
 淡々と言ってるようで、節々に鋭利さが見え隠れしている。シュピールはフラットに会えたことが本当は不満なのか。
「まずは結果を伝えます。『我々はフラット・エブィルに対し、一切の敵対行動を行わない。だが、天上人との戦いに関与した場合に限り敵と見なし、排除する』と」
 フラットは剰りに意外な答えに耳を疑った。
「どういうことだ」
「言葉の通りの意味です。そこが戦場でない限りあなたとは戦わない。それが私達が取り決めた約束事です。我が主はあなたが本当にそうなのか見極めたいとも仰っていた。それでは遅いとの声もありましたが、現状ではあなたの目的は別にあるようですし、眠れる獅子は起こさぬ方がよいでしょう」
 魔王軍の力を持ってすれば子供一人ひねり潰すのは容易いはずだ。それでも戦わないとする意味が分からなかった。単純に敵と見なす以外に何かの思惑が働いているのは明らかだ。シュピールの言葉を鵜呑みにするほどフラットはばかではない。
 疑いの目を向けるとシュピールは困り果て、肩を落とした。
「信用するかどうかはあなたが判断して下さい。それでもここで戦うというのならお相手しましょう」
 今までならこのタイミングでシュピールが殺気を漲らせていた。だが、今回は全く変化がない。それどころかその場から一歩も動こうとしなかった。フラットの答えを待っているのか。それにしては様子が変だった。表情の変化が皆無のシュピールが何か言いたげにしていたのだ。
 シュピールの内心には触れず、とりあえずは答えることにした。それで相手が去るのなら願ってもないこと。戦えば町が破壊され、フラット自身もただではすまない。守りながらでは勝てる自信は微塵もなかった。
 フラットは警戒心をそのまま、戦う姿勢を解いた。
「分かった。あんたらに戦う意志が無いのならそれを信じよう」
「そうしてもらえるとありがたいです」
 シュピールの気配が一変することはない。だが、安堵が垣間見えたことがフラットの不安をかき立てる。報告の為だけに現れたわけではない。不思議とそう感じていた。
 張り詰めた空気が僅かに緩み、レイカはフラットの傍らに行く。シュピールを警戒しながら、疑念に満ちた視線をフラットに向けた。
「どういうことなのかあたしにも教えて」
 ここまで会話を聞かれては隠し通せるとは思えなかった。だが、話せば巻き込むことになる。どうしたものかと困り果てた。
「私は構いません。逆に理解頂けると楽ですし」
 シュピールの意味深な発言にフラットは眉根を寄せた。何かを言いたげにしていたのはそこに起因するのか。
 迫るレイカに、話す決心がつかないフラット。シュピールが魔王軍の一員だと知れば敵意を向け、密約を交わすフラットを疑うのは予想できる。教えるのならエブィルのことも全て話すべきだ。どこから話すべきか、どこまで話すべきか。シュピールの目があるし言葉を選ぶ必要がある。それにギーレンと約束した手前、全幅の信頼を寄せてないレイカに教えてもいいものか。
「ねえ、フラットさん」
 レイカが真剣な表情で詰め寄った。恥ずかしさよりも後ろめたさでフラットは顔を背ける。それを拒絶と思ったのか、レイカが悲しげにうつむいた。
「そう、あたしには教えられないのね。会ったばかりだから信用できないんだ。あたしを信じるって言ったのは嘘だったのね」
「ち、違うんだ!」
 フラットは思わず叫んでいた。レイカはびくりとしてフラットを見上げる。すがるような目でじっと見つめた。
「何が違うの。あたしには言いたくないんでしょ」
「そうじゃない。これはかなり複雑な問題なんだ。どう話せばいいか……」
 迷っているとシュピールが口を挟んだ。
「言えないのなら私が話しますよ」
「シュピール、お前っ!」
 フラットはシュピールを睨み付けた。それで引き下がるような男ではない。レイカが望めば知りうることを全て話すだろう。言葉を選ぶ手間が省けて楽なのは間違いない。それでもフラットは言い渋った。
「私にも急ぎの話があります。先に進めたいのですが、そちらのお嬢さんが許してくれそうにありませんし。これ以上渋るのなら殺してもいいんですよ」
 さらりと言い放ち、シュピールは懐に手を入れた。平然としたままレイカを注視する。どこまで本気なのか分かりかねるが、魔族が天上人を手にかけるのはおかしなことではない。フラットは項垂れた。それを肯定と取ったのか、シュピールは姿勢を戻した。
「私はシュピール・ゲルス。魔王軍隠密部隊所属の魔族です」
「魔王軍? 魔族?」
 予想外の言葉にレイカは首を傾げた。こんな町中に佇む男が口にするとは思わず、理解するのに時間がかかった。遅れて警戒心を露わにし、刀を抜き放ちシュピールに向けた。シュピールは手を挙げて敵意のないことを示した。
「先程も申しあげたとおり事を構えるつもりはありません。おそらく存じてるとは思いますが、私達はアキサスを無傷で手に入れようと考えています。そちらに敵意がない限り魔王軍は手を出しません」
「で、でも……」
 言い返そうとして口を噤み、フラットに視線を向けた。フラットは頷き、レイカに視線を戻すように促した。
「魔王軍は最近までネンツ王国の残党を消して回っていました。最後に王女を捕まえて任務は終わり。その直前に彼が私達の邪魔をしました。自分の正体を明かすから王女達に手を出さぬよう取引を持ちかけた。フラットさん、あなたは確かこう言いましたね。『エブィルの血を引き、名を継ぎし者だ』と」
「え? フラットさんがあのエブィルの……子孫?」
 レイカは目を丸くしてフラットを見た。世界の英雄の子孫がすぐ隣にいるのは魔族が目の前にいることより驚きだった。
「その証拠はあるの?」
「あると言えばあるけど、無いと言えば無いかな」
 他人に説明するのは難しい。フラット自身も本当かどうか未だに疑っている。ハバードやエドガルドを疑うわけではないが、何かの間違いの可能性は捨てきれずにいた。
「今さら嘘とは言わせません。それに、魔王は子孫が現れることを示唆していました。そしてあなたは現れた。時が一致したからこそ私達はあなたをエブィルの子孫と認めたのです。これからの動向を監視させて頂きますよ」
 魔王軍にとって真実はどちらでもいい。エブィルの子孫を名乗る男が現れた。その事実が大事なのだ。
「不満はあるけど信用するわ」
「それはありがたいです。これで話が進められます」
 そう言ってシュピールが微笑んだ。非常に冷たい笑みだ。不気味さがフラットの悪寒をかきたてる。ふと、何度も聞く言葉に疑問を抱いた。
「話――と言ったな。魔族が俺に何の話があるんだ」
 フラットの問いにシュピールがうつむいた。
「非常に言いにくいことですが……魔王の判断を不服とした一派が離反し、フラットさんを捜しているのです」
 フラットは怪訝な顔をした。
「俺を……誰が何の為に」
「復讐です」
「それって……まさか!」
 直接的に関わった相手ではないと復讐は成立しない。フラットが知る魔族はシュピールと、後もう一人。シュピールは頷いて言った。
「サーディルンです」
 フラットは驚愕に顔を染めた。それは有り得ないことのはずだからだ。
「あの時は動けないほどに傷ついたはずだ。十日やそこらで回復するとは思えない。魔族は特別治癒力が高いのか」
「そんなことはありません。何度も申しあげたとおり魔族も人間。外傷だけならすぐに魔術で治せますが、内部はそうもいきません。早く見積もっても一ヶ月はかかるはずでした」
「それが治ったのか」
「はい。私には信じられないことですが」
 シュピールが驚きを露わにするのは意外だ。それほど驚愕の事実なのだ。
「でも、どうやって」
「分かりませんが、何者かが手引きして治療された形跡が残されていました」
「あんたらの仲間じゃないのか」
「そうかもしれません。ただ、誰もその正体を知らないのです。唯一分かるのは女性だったと言うこと」
 信じられない物を目にしたときのようにかぶりを振るシュピール。魔王軍の中でも問題が生じている。天上界にとってそれは好都合だ。だが、妙に引っかかる物を感じてフラットは首を傾げた。
 レイカが恐る恐る手を挙げる。
「あたし、心当たりがあるかも」
 二人の視線が集中し、レイカは縮こまった。思いの外鋭い視線が怖いようだ。フラットは迫るのを堪えて一歩退く。シュピールも表情を落ち着かせた。
「あの、可能性の一つとしてだけど、メンティラが関わってるかも」
「どういうことだ」
「ほら、昨日話したじゃない。蘇生について。死人は全てを再生させたような物だし、部分的な治療に応用できるかもしれない」
「それは興味深い話ですね」
 案の定シュピールが食いついてきた。魔族に話すべきか迷ったがレイカは話すことにした。メンティラが死人を使っていたこと、死人とは過去にあった蘇生術の可能性が高いこと、その女を追ってることを。
「あくまで可能性だけど。だって天上人と魔王軍が関わるとは思えないから」
 そう締めくくるレイカ。現にギーレンという前例があることを彼女は知らない。フラット達は教えるつもりが無い。
「まあ良いでしょう。その辺はサーディルンを捕まえて吐かせれば分かることです。それよりも問題は彼がこの近辺に来ていることです」
「返り討ちにするだけだ」
「そうはいきません。私達はアキサスが破壊されることを望みませんし、あなたも住民に危害が及ぶのは良しとしないはずです。それに……」
 そこで言葉を句切り、シュピールの表情が曇る。続けて発せられた言葉にフラット達は耳を疑った。
「それに魔族がもう一人、サーディルンと行動を共にしているのです」
 魔族が三人。それにレイカが追うメンティラも加わり、アキサスはかつて無い危機に見舞われている。
「私がこうして出向いてきたのはフラットさんに協力を依頼したいからです。魔族同士で争うのは気が進みませんし、周囲への被害を顧みないでしょう。アキサスへの被害がどれだけになるか。それに彼らはあなたが狙いです。利害は一致しているはずです。離反した二人の魔族を捕らえるのに協力して頂けませんか」
 願ってもない提案に聞こえた。事実、対応しなければいけない案件だ。だがそれは魔王軍の尻ぬぐいでもある。どこまで信用できるのか、依頼を受けるべきなのか、フラットは答えに困った。
「どうするの」
 レイカが不安げにフラットを見上げている。
 引き受ければ魔王軍に荷担したことになる。結果として人々を救うことになっても。ラットの良心が一長一短の答えの狭間で揺れ動く。
「それでも魔王軍に協力は出来ない。俺は俺で戦うよ」
 フラットは迷いを押し隠して言った。シュピールは残念そうにうつむいた。
「それでは仕方ありません。被害の拡大はそちらで防ぐようお願いします」
 あっさり引き下がるとは思ってなく、フラットは怪訝な顔をした。
 シュピールが苦笑して見せた。その何気ない仕草に自信を感じさせる。どうせ最後には協力することになる。そう言われてる気がした。不満を漏らせば認めたことになる気がしてフラットは押し黙った。
「その方が我々はありがたい」
 どこからか響く図太い声にフラットとレイカが辺りは見回す。聞き覚えがあるのか、シュピールは平然としていた。誰にも気付かれず、僅かに片方の眉をつり上げている。気配はすぐにはっきりし、道の先から大柄の男が姿を現した。
「サーディルン……ではないな」
 殺気に満ちた悪鬼のごとき形相の男とは違い、静かに闘志を湛えた武人のような男。卑怯という言葉とは無縁の真っ直ぐな目つきをしている。
「お初にお目にかかる。我が名はドルガン・ランクリード。貴公をフラット・エブィルとお見受けする」
 視線はフラットを真っ直ぐに捉えていた。
「我は魔王軍とは縁を切り、貴公を倒す為に参った。今すぐ勝負といきたいところだが、まだ時は満ちてはおらぬ」
 今ここで戦うわけではない。ドルガンの言葉は不思議と信用できた。剣の柄に手をかけながらも飛び出さなかったのはそれが理由だ。
 ドルガンの視線がシュピールに向けられる。眉根を寄せて言った。
「貴公は確か隠密部隊の」
「こうして顔を合わせるのは初めてですね。私はシュピール・ゲルスです。ドルガン将軍、あなたの戦歴は常々伺っております」
「貴公がかの有名なシュピールか。何の謀略か知らぬが、貴公らの共闘が成しえなかったのは好都合だ」
「ええ、とても残念に思ってます」
 シュピールの残念そうには聞こえない口調。遠回しに挑発しているのかも知れない。ドルガンは平然と聞き流し、視線をフラットに戻した。
「今日は破壊予告に参った」
「破壊予告……だと?」
「明日、我らが力を持ってアキサスを破壊する」
「なっっっ?」
 フラットの声が驚きに半ば裏返った。目の前で平然と予告するのも驚きだが、ドルガンは魔王軍の意向を無視してまで破壊行為をする気だ。何かに自信を裏付けされたかのように高笑いを上げた。背を向け、追う間もなく姿を消した。
「我が戦友が今頃は裏切り者の天上人を始末しておる頃だ。止めたければ急ぐが良い」
 そう言い残して気配も消えた。
 フラット達はドルガンの言葉の意味をすぐに理解した。顔を見合わせる。
「ギーレンか」
「サーディルンですね」
 別行動を取るギーレンがサーディルンに狙われている。それに気付いて走り出すのと同時に、町のどこかで殺気が膨れあがるの感じた。




 第四章 深まる謎


       1

 フラット達と別れ、ギーレンは町中をぶらついていた。エドガルドの情報はフラットが得たのと大差ない。完全にお手上げだ。
 エドガルドが本当に世界の中心に向かったとする。そこはハイネンツ大陸の遙か北に位置している。海流の問題で直接南から行くのは無理で、西から迂回していくことになる。西のサロスト大陸に渡るよりもすぐ北にあるアナトリア大陸に向かった方が近道なのだ。ハイネンツ大陸、サロスト大陸、アナトリア大陸に囲まれるようにして広がる海は比較的落ち着いていて、わざわざ西に向かうのは遠回りでしかない。
「西に向かったのかどうかも怪しいな」
 そうギーレンが疑問を抱くのは当然だ。
 西に向かうと言ったのはエドガルド自身だ。本人に聞いたのはハバード。ハバード伝いにフラットが知り、それをギーレンが聞いた。伝言ゲームと化しては情報としては正確さを欠いている。そもそもエドガルドの気が変わればそれでお終いだ。雲を掴むような話をフラットは信用し、真剣に求めている。
「西に行くとしてもその後、俺はどうすべきか」
 フラットとの旅を続けるべきか。ギーレン自身が目的を見つけて自分の旅を始めるのか。ネンツ王国を離れるという当初の目的を果たした今、次の目的が必要だ。
 先のことは後で考えればいい。今は目の前の問題が先だ。とはいえ、それが一番の難題だった。どうしたものかと嘆き、吐息を漏らした。そんなギーレンの耳に一つの事件の噂が飛び込んできた。
「また謎の失踪事件か」
 住民の言葉に引っかかるものを感じ、ギーレンは目を向けた。そこには数人の男女がたむろし、雑談をしていた。
「最近は多いわね。この間も近所の人がいなくなったし」
「見つかった人もいるらしいの。全員死体なんだけど」
「それは俺も聞いたぞ。何か頭に奇妙な傷跡があったとか」
「えー、何それ。猟奇殺人?」
「おいおい、勘弁してくれよ」
 いまいち危機感のない口調だが、大きな事件のようだ。ギーレンは吸い寄せられるように彼らに近寄る。
「その話、俺にも詳しく聞かせてくれ」
「え? ああ、いいですよ」
 ギーレンの厳つい容貌に怪訝な顔をするが、すぐに話してくれた。
 失踪事件の始まりは一週間前に遡る。町の各所で人が消え、その内の半分は死体で発見された。被害者はゆうに三十人を越えている。年齢も性別も様々だが、被害者に何の関連性も見当たらない。分かっているのは失踪した事実と、発見された人には同じ傷があったこと。鋭利な刃物で切り、縫い付けた奇妙な傷跡。また、血が全て抜かれ、犯人は吸血鬼などと噂されている。それともう一つ、犯行時刻と目される時間帯に現場近くで透き通るような女性の歌声が聞こえるという。
 男女に礼を言ってから離れ、ギーレンは無意味な徒歩を再開した。変わったことと言えば考え事が増えたことぐらい。
「失踪事件か。まさか魔王軍がこんな回りくどいことをするわけはないと思うが」
 ギーレンは思案顔でうつむき、首を捻る。
「消えた人は必ず死体になる。死因は失血死。外傷は例の傷だけ。それなら戻ってこない人はどうなるのか」
 発見されてないのか。まだ犯人の下にいるのか。生きてるのか死んでるのか。考えるだけで答えが出るはずもなくギーレンは項垂れた。
「目の前に現れてくれると手っ取り早いが」
 無駄だと思いながらぼやき、ギーレンは眉根を寄せた。
「死体が目の前に……まさか死人か」
 至った答えはあまりにも単純明快で、可能性は高い。結論づける材料も揃っている。動機が分からず証拠もない。半信半疑ではあるが、偶然にも懸案事項の一つにぶち当たったようだ。
「とすると、アキサスの住民を使って死人を作る研究をしていることになるな。単純に考えて成功率は半分。生きてる人間を捕まえて殺し、成功すれば死人に、失敗すればただの死体になる。傷跡も何らかの理由があって付けられたか。メンティラって奴は何を考えてるんだ」
 人間をただの研究材料としてしか考えていない。だからこそ平気で人の命を奪う。そう想像してギーレンは身震いした。今ならフラットが嫌がる理由も理解できた。本当に気分のいいものではない。
 ギーレンはメンティラがレイカの家族の命を奪ったことを知らない。知っていればこの時点で答えに至っていた可能性もある。だが、この時は想像の範疇を超えることはなかった。分かっていれば自分自身に注意を促せたはずだ。悔やんでも手遅れなのは明白だ。
 ふいに立ち止まる。不思議な匂いがかすかに鼻腔を刺激したのだ。
「なんだこれは」
 匂いに誘われて横道にそれると、何かが耳を打つ。それが歌声だと気付き、戦慄を覚えた。ギーレンに聞き覚えはない。その透き通るような高い歌声が耳の奥に直接響く。耳を塞いでも音量に変化はない。
「まさか例の事件か」
 現場近くで聞こえた歌声。何かの旋律を奏でるも、聞き慣れない言葉で意味は分からない。だが、これがその歌声と同じなら付近で事件が起きていることになる。新しい被害者が生まれようとしている。それはアキサスの住人かギーレン自身か。じっとしていられずに歌声を追って走り出した。
 角を曲がり、建物の隙間を抜け、住宅地の奥へと進んでいく。不思議なことに住民とは出会さない。事件を恐れて隠れているのか。ギーレンにとって邪魔が無くて好都合だ。そしていくつめかの角を曲がりその足を止めた。思いもかけない光景に驚いたからだ。
 眠っているのか、力無く地面に横たわる男達。足元には魔方陣が描かれ、妖しげな光を放っている。その光に包まれて男が一人、また一人消失していく。その前に大柄な男がふんぞり返って愚痴を漏らしていた。その傍らにはトレードマークの斧の代わりに二メートルはあろうかと思われる大剣があった。
「なぜ俺様がこんなまどろっこしいことを。実験だか何だか知らんが、こんな奴らはさっさと皆殺しにすればいい」
 側の壁に八つ当たりする男を見てギーレンは目を見開いた。人の気配に気付いた男がゆっくりと振り返る。
「全く、面倒ごとを増やしやがって。奴の魔術もたいしたことないな」
 再び愚痴を漏らすその男は確かに見覚えがあった。男もギーレンを見て眉根を寄せる。お互いに見知った人物の存在に、両極端な反応を見せる。ギーレンは嫌な物を目にしたかのように顔をしかめ、男は懐かしい人間に会ったときのように気さくに声をかけた。
「よう、久しぶりだな、ギーレン」
「貴様はサーディルン!」
 ほくそ笑むサーディルンを睨み付けた。それでひるむ男ではない。生きとし生けるものが全て自分の足下にひれ伏すものだと考える男だ。今頃ギーレンをどう料理するか想像を膨らませているだろう。
「くくく、よもやこんな単純な罠にかかるとはな。貴様も堕ちたものだ」
「どういうことだ」
「どうもこうもない。貴様は罠にかかったのだよ」
 大声で笑うサーディルン。自分の存在を誇示するような行為は周囲の人達を呼び寄せることになる。これから戦場になるはずの場所に人がいては大変だ。その心配は徒労に終わる。周囲は異常なまでに静まりかえったままだ。
「この辺の奴らは魔術で眠っている。殺されても起きはせん。死んだ奴が起き上がればそいつは死人だ」
「死人……だと?」
 サーディルンの口から聞かされるとは思わず、ギーレンは困惑した。
「貴様、死人と関わりがあるのか」
「何を今さら。こいつらを見れば分かるだろ。こいつらがこれからその死人とかいうのに生まれ変わるのだよ。いや、死に変わるのか」
 言い終わる頃には転がっていた男達が姿を消した。残っているのは魔方陣だけで、妖しい光もかき消えていた。
「なぜ貴様が知っている」
「そんなのは簡単だ。俺様が犯人だからな」
 当たり前のように言うサーディルンに、ギーレンは怪訝な顔を向けた。誰にも気付かれずに誘拐するなんて芸当をサーディルンが行ったのだ。直情型で、目の前に天上人がいればつい手をかけてしまう奴だ。現場を前にしても信じられなかった。
「俺様も驚いているよ。こうも素直に命令を聞くとはな」
「命令?」
「貴様らに復讐させてくれるというから着いてきた。早い話が俺様は実行犯だ。理由を聞かれても困るぞ。知りたければ首謀者に聞け。貴様が生きていればの話だがな」
 やけに不満ばかり漏らす。サーディルンの性格から考えて破壊以外の命令を聞くとは考えにくい。不満が言葉だけですむとはそれほど異常なことはない。
「首謀者とは何者だ。これは魔王軍の作戦か」
「だから俺様に聞くな」
 めんどくさそうに嘆く。
「まあいい。少しは教えてやろう。だが、俺様も奴が何者なのか詳しくは知らん」
「知らないのに仕えてるのか」
「ふん、俺様が誰かに仕えると思うか」
 サーディルンの言うことは尤もだ。妙に納得して頷くと、サーディルンが思い返すように語り始めた。
「奴に敗れた後、俺様は不覚にもシュピールに救われ、魔王軍の拠点で目を覚ました。左腕と両足が動かず、負けたことが認められずに暴れたものだ。完全に治療し終わるまで一ヶ月もかかると言われたのだぞ。この憎しみをどこにはき出せばいい? 俺様が苦汁を飲まされたままじっとしていられるわけがなかった」
「一ヶ月もだと? それならなぜ貴様はそこで立っていられる?」
 サーディルンの憎悪に満ちた表情が一変し、不敵な笑みを浮かべた。
「聞くまでもない。治療し終わったからだ」
「たったの十日でか。信じられんな」
「いや、実質三日だ」
「まさか……」
「俺様にも信じられん。だが、これは事実だ。通常の治療を続けていた俺様の前に謎の女が現れた。一瞬天上人の匂いを感じたがすぐさま否定した。天上人が基地の中にいるわけが無く、奴からは深い憎悪と濃い血臭がしたからな。奴はこう言った。『この傷なら三日で治せる』と。そして実際に治り、今まで以上に強靱の肉体を手に入れられたのだ。感謝せねばなるまい」
 何よりの証拠が目の前で踏ん反り返っている。疑いようもない事実だ。あの場で止めを刺しておけばこんな面倒な事態にはならなかった。自分の浅はかさを悔やみ、フラットの甘さを恨んだ。
「治療するには条件が二つあった。何のことはない、奴を――フラット・エブィルを倒す、もしくはアキサスに足止めしろと。拒む理由も迷う理由もない。ましてや奴を殺す理由まである。願ってもない条件だった」
 そうしてこの場に現れた。だが、それだけでは誘拐についての説明は不十分だ。肝心の首謀者について何も語られていない。
「治療を終え、すぐに奴を追おうとした。だが、あろう事か魔王軍は奴への関与を禁じた。奴には手を出すなと。それでは恨みを晴らすことも出来ん」
 ギーレンは自分の耳を疑った。エブィルの子孫であり、魔王軍にとって脅威となりうるフラットに関わらないというのだ。信じられるわけがない。
「魔王軍がフラットを放置するのか。ますます信じられん。現に貴様はここにいるんだぞ。魔王軍の一員としてフラットを倒しにきた。そうじゃないのか」
「奴らはもうただの生ぬるい集団だ。俺様が残る価値もないくず共だ。俺様は命令を不服とする同志と共に魔王軍を抜け、治療した女との約束通りにここに来た。そしてもう一つの条件は命令には絶対服従することだ。女の手足となり死人となる人間を集めるよう命令され、貴様らがこうして来るのをじっと待っていた。ようやく俺様の願いが叶う時が来たのだよ、ふはははは」
 高らかに笑うと空気を激しく振るわせ、耳をつんざく。相変わらず大声だ。
 サーディルンは魔王軍を離反した。そしてフラットに受けた屈辱を、恨みを晴らす為に現れた。治療して手引きしたのは謎の女。女は死人を作る為に人間をさらっている。死人を操るのは――
 今まさに一連の事件が繋がろうとしていた。だが、答えに至るまで思考に費やす時間は残されていなかった。サーディルンが殺気を漲らせて飛びかかってきたからだ。
「俺様から逃れられると思うな」
 手にした大剣は豪快に振り上げ、サーディルンが地を蹴った。まともに受ければ潰されかねない。ギーレンは剣を引き抜き、後ろに跳びつつ攻撃を捌いた。
「こうして貴様と戦うのは初めてか」
 続けざまに大剣を振るうと、ギーレンの鼻先を掠める。風圧に押され、避けきったはずのギーレンの体が吹き飛んだ。
「俺様は嬉しいぞ、貴様と戦えて」
「俺は御免被りたいよ」
 ギーレンは着地しつつ言い返すと、再び向かってくるサーディルンを睨み付けた。
「これならどうだ」
 地面すれすれから大剣をすくい上げると、地面が割れ、土埃を巻き上げながらギーレンを捉える。ギーレンは横に跳んで躱し、サーディルンに肉薄する。翻し襲い来る大剣をかいくぐり、懐に飛び込んだ。サーディルンを目前にし、剣を振るうよりも先に横に転がった。ギーレンの頭上を大剣が通り過ぎる。
 ギーレンは距離を取りつつ膝をつき、予想外の速度に目を見張った。
「どうもしっくりしないな」
 サーディルンは左腕を振り回し、治療後の治り具合を確かめた。
「まだ調整が必要か。武器が斧でないのもいかんな」
 そう独りごちると大剣を両手で握り直し、前に構え直した。
「剣は軽すぎて持ってる気がせん。気付かぬ間に首を落とされても文句は言うな」
 不敵な笑みを浮かべてギーレンを見据えた。余裕に満ち溢れているようだ。現に、サーディルンの余裕の意味を肌で感じ取ったのはギーレンだ。剣速が斧に勝るのは不思議なことではない。それ以上にサーディルンの動きは俊敏さを増していた。間違いなく以前より強くなっていたのだ。これで本調子ではないとは、怪我明けとは到底思えない。
「その動きは何だ」
「治療の結果だよ!」
 サーディルンは声を荒げて地を蹴った。ギーレンめがけて乱暴に横薙ぎにすると空を切り、すぐ横にあった壁を粉砕する。大きく穴を空け、風圧で支柱が破壊されて家屋が崩れ落ちた。続けざまの攻撃もギーレンにいなされるが、近場の家屋を倒壊させた。大剣を振り上げ振り下ろし地面が抉れていく。
 狭い通路で戦っていると建物への被害はどんどん広がっていく。かといって大通りは多くの人でごった返している。アキサス市外へ誘い出すにしてもそれまでにどれほど被害が拡大するか分からない。被害を最小限に抑えるには攻撃に転じて速攻で片付けるほか無い。サーディルン相手にそれが可能とは思えなかった。
 悩んでいても解決しない。ギーレンは覚悟を決めて踏み止まった。振り下ろされる大剣を受け止める。激しい振動と重圧に襲われ、腕が痺れるのを厭わず押し返した。鍔迫り合いは体格が上のサーディルンが有利。長時間のせめぎ合いは命取りとなるのは明らかだ。
 ギーレンはほんの僅か剣を引き、前のめりになるサーディルンの攻撃を身を翻して躱した。そのまま脇をとり、体勢を立て直す暇も与えずに剣を振るった。だが、すでにサーディルンの姿はなく空を切る。
 気配を探った。気付けば背後を取られ、大剣が頭上に迫っていた。ギーレンは横に跳んで躱すと、地面に手をついて体勢を立て直す。さっきまで立っていた場所が抉れ、土が飛び散った。視線を向けるとサーディルンがにやりと笑っていた。
「スピードは俺様よりも上か。だが、いつまで避けていられるかな」
「さあな。避ける気はないんだが」
 速度の差は体格の差だ。だが、サーディルンの立ち回りは乱暴なのに無駄がない。速度で翻弄することも適わぬほど俊敏だ。その上で腕力に物を言わせた攻撃を繰り出す。狭い場所では速度が有効ではないのも災いした。
 フラットはよくもこんな化け物を圧倒したものだ。そう感心したが物思いに耽る場合ではない。人的被害を顧みずに開けた場所に出るべきか決断に迫られた。
「前菜はそろそろ退場してもらうぞ」
 サーディルンが声を荒げて全身を奮わせると炎が迸った。
「業火よ、我に纏え」
 大剣が炎に包まれると一振り。地面に飛び散り燻った。建物に触れればたちまち燃え上がるだろう。それほどの高熱を帯びていたのだ。
 サーディルンが猛然と走り出した。このまま攻撃を受け止めるわけにもいかず、かといって相応の力で対抗すれば一帯は火の海だ。惨劇を想像すればするほど体が萎縮していく。このままでは待ち構えるのは死だ。
「くそっっっ!」
 放っておけば被害はさらに広がる。己を奮い立たせて迷いを断ち切った。剣に意識を集中させて魔力を紡いでいく。一瞬で風の刃とかした。
 一心不乱に向かってくるサーディルンに対し、ギーレンは剣を引いて低い姿勢で構えた。呼吸を整え、タイミングを計る。近付く殺気に狙いを定めて抜き放とうとした。その時、人影が二人の間に舞い降りた。それは長身のほっそりとした女性だった。絶世の美女と言っても過言ではない整った顔立ちで、腰まで届きそうな髪をふわりとなびかせている。何よりも印象的なのはその醒めきった目だ。感情など皆無のようだ。
 女性がサーディルンの大剣に無造作に触れると炎がかき消える。サーディルンは顔をしかめて動きを止めた。突然姿を現したと思えば、それを頭で理解する間もなく戦いが集束させられる。ギーレンは驚愕の眼差しで女性を見つめた。
「なぜ止める?」
「まだ時は満ちてないわ」
 それだけ言うと女性はギーレンの方に向き直った。サーディルンはそれ以上何も言わず、彼女に素直に従っている。
「貴様は何者だ」
 ギーレンの問いにメンティラは薄ら笑いを浮かべた。
「私はかつて守護者だった者」
 それだけで彼女が何者なのかギーレンは理解した。ついに一連の事件の中心人物が目の前に姿を現したのだ。


       2

 ドルガンがフラット達の前から姿を消したのと同時刻にギーレン達の衝突が起きた。それを気配で感じ取り、フラット達は街中を走り始めた。戦闘を始めればすぐに騒ぎが広がる。そう思っていたが、町を取り巻く雰囲気に何ら変化はない。殺気の大元に近付くほど静けさが増していった。
「何でみんなこんなに落ち着いてるんだ」
 気配はまだ遠く、喧騒にまみれて戦いの音は聞こえない。ギーレンが被害の拡大を防ぐような戦いをしているからだ。だが、それだけでは到底説明は出来ない。普通に考えても誰かが戦いに気付くはずだ。
「それはおそらく魔術の影響ですね」
「結界でも張ってるのか」
 シュピールの説明にフラットは疑問を投げかけた。シュピールは首を横に振る。
「ある意味そのような物かも知れません。ですが、これは睡眠の魔術でしょうか」
「睡眠? 魔族は直接見なくても魔術の種類が分かるのか」
「誰でも分かることではありません。なんと説明すればよいでしょうか……魔術を使った後にはその場に残るのです、残り香なるものが」
 その発言は暗にシュピールが特殊な能力の持ち主であると物語っていた。彼の口調は不思議と自慢しているようには聞こえない。
「かなりの広範囲で魔術が使われています。これほどのことが出来る人はそうはいません。睡眠魔法は非常にデリケートですから」
「難しいのか」
「絶妙なさじ加減で一人も余すことなく眠らせるのです。魔力のコントロールは攻撃するときの比ではありません」
 その説明でフラットが理解できるわけもなく、シュピールは苦笑いを浮かべた。腰を据えて話す暇はなく、会話はそこで打ち切られた。
 不意にフラットが足を止めた。シュピールは通り過ぎようとして振り返った。遅れ気味のレイカが追いつく。
「どうしたの?」
 顔をしかめるフラットの顔をレイカが覗き込んだ。
「殺気が消えた。戦いが終わったのか」
「言われてみればそうですね」
 戦いが始まってからさほど時間は経っていない。二人の力量から考えて短期決戦は考えにくい。不測の事態が起きたのだ。
「大体の場所は掴めてますが、気配が分からないとなると困りましたね」
「あたしもちょっと……」
 レイカもシュピールも気配を感じ取れずに戸惑っていた。二人を後目にフラットは感覚を研ぎ澄ます。周囲の声が何も聞こえなくなるほど集中した。傍に魔族がいることを忘れるほどに。
 町の中を縫い、ギーレンの気配を探った。殺気はなくとも何らかの気配は感知できるはず。周囲で動いてる人、家で眠っている人、かすかな気配も逃さず捉えていく。その中のどれかがギーレンのはずだ。さらに深く入り込み、知覚範囲を広げていった。そして、他よりも大きめな気配を三つ見つけた。
「……さん、……ットさん……フラットさん!」
 肩を揺すられてフラットははっとした。
「どうしたの、ぼーっとして」
「見つけた」
 一言呟くと、二人を残して走り出した。フラットの突然の行動に驚き、遅れてレイカもついていった。
「素晴らしいですね。町の中から望みの人を見つけ出すとはますます興味深い」
 併走するシュピールが嬉しそうに言った。レイカは隣の魔族を微塵も信用せず、無視を決め込んだ。やれやれと言いたげにシュピールが肩をすくめる。
「独り言と思って聞いて下さいね。最初から疑問を抱いていたのですが、どうしてあなた方――が関わっているのですか。あなたはおそらく筆頭のラグーン家のご息女。私どもにもあなたの一族の存在は知られています。争乱の時代において中立の立場を取られているはずですよ」
 本当に聞き流すつもりでいたのに、レイカは驚きを隠せずに目を見張った。シュピールはかすかに笑みを浮かべてレイカを見据えていた。
「…………」
 レイカは何かを言おうとして口を噤んだ。シュピールが何を考えて発したのか分からぬが、無視するのが最良だ。さらに警戒心を強めてフラットを追う足を速めた。

 サーディルンが大人しく引き下がるという異様な光景すらかすむほどギーレンはその女性に釘付けになっていた。女性は美人だ。それだけでも見とれるには十分な理由だ。だが、その本質は全くの異なるものだ。
 ギーレンはその場から一歩も動けずにいた。ただ見据えられているだけなのに体が硬直した。殺気の欠片もないのに足が竦む。本能で危険を感じたからだ。目の前の女性は底知れぬ力を秘めている。ギーレンは生まれて初めて言い知れぬ恐怖を感じた。これほどまでに不確かな怯えに困惑を隠せない。
「……貴様がそうか」
 何とか絞り出した言葉がそれだった。
「ええ。レイチェリカから聞いていると思うけど、私がメンティラ・アーヴィン。かつて守護者だった者よ」
 メンティラがゆっくりと近付いてくる。洗練された綺麗な足運びだ。ギーレンは背筋を走る悪寒に抗い、メンティラを睨み付けた。
「本当はあなた達が戦う予定はなかったのよ。でも、思っていたより早く真相に辿り着いたわ。過小評価していたようね」
 世間話をするように軽い口調で喋り、手を伸ばせば届く位置で立ち止まった。次の瞬間に首を切り落とされてもおかしくない距離だ。
「さっさとやっちまえ」
 サーディルンが投げやりに言い放った。それが叶わぬことだと知っているからだ。メンティラはため息を吐いて視線を向けた。
「言ったはずです。まだ時は満ちていないと」
「けっ、貴様の好きにしろ」
 そう言ってサーディルンはそっぽを向いた。
「どういうことだ、時がどうのと」
「私達にもそれなりの準備があると言うことです」
 メンティラは苦笑して話を始めた。
「ここに来たということはすでに気付いているのでしょう。一連の事件は私が引き起こした物です。ついでなので説明します。私はある特殊な書庫から一つの文献を持ち出しました。人の蘇生に関する文献です。死体を生き返らせたり、自然治癒が不可能なほど破壊された組織を治す方法などが書かれています。サーディルンに施したのが後者の治療法ですね。いえ、これは治療とは言い難い代物です。なにせ治療を受けた人は術者の言いなりになるのだから」
 それがサーディルンが大人しい理由だった。なぜそうなる治療を彼が受けたのか、その答えは実に単純だ。彼は何度も口にしていた。一ヶ月も待てないと。
 ギーレンは複雑な面持ちのサーディルンを見た。
「知っていたのか」
「それが条件だからな。不満は大いにあるが復讐を果たせるなら他は何もいらぬ」
 その後の自由を奪われてまで復讐を果たそうとする。それほどまで憎しみが深いのだ。一度の敗北すら許せないほど。望む戦いの為に十年の歳月をかけたギーレンとは違って、サーディルンが短気なのは火を見るよりも明らかだ。
「私はその文献に書かれている死人を生み出そうとした。その為に人をさらい、実験を始めました。二日前にあなた方の前に現れた死人はその研究の成果です。サーディルンに施した物とは違い、死した肉体を利用するので未だ失敗も多く、成功しても役立つほどの成果は上げられませんでした。それは今のところ問題ではありません。アキサスで分かりやすく行動したのはあなた方を誘い出す為ですから」
「俺達を誘い出す為だと?」
 訝しむギーレンに、メンティラは頷いて言葉を続けた。
「ここで実験したのはそのついでです。貴重な成功サンプルを失うのは本意ではない。無駄に消費すれば今後の研究に差し支えますので。ただ、私の存在を知って頂くには一番の方法だと思って放ちました。お気に召しましたか」
 平然と残酷なことを口にする。ギーレンは死人を倒したときの感覚を思い出して嗚咽を漏らした。
「思惑通りか分かりかねますが、あなた方はこうしてアキサスに滞在しました。後は事件を起こし、探りを入れてくるのを待つのみ。様々な証拠も聞き及んでいるはず。しばらく泳がせれば答えに辿り着くと思っていました」
「目的は何だ」
「サーディルンの復讐の手助けと言えば納得しますか」
 口調に何の変化もないが、まるで挑発している発言だ。ギーレンは疑惑の眼差しを向けつつ口で否定した。
「手助けする理由が分からん。復讐なら戦わせればすむはずだ。なぜこんなまどろっこしいことをするんだ」
「それは彼が――フラット・エブィルが“Lが遺した遺産”だからです」
「Lが遺した遺産……?」
 意味不明な言葉にギーレンは怪訝な顔をした。だが、目的がフラットだと分かり、さらに警戒心を強めた。
 フラットを狙う理由は一つしかない。フラットはかの英雄エブィルの子孫だ。魔王軍がフラットを監視だけに止めたとしても、命を狙う人は後を絶たないはず。実際にサーディルンは軍の意向を無視して現れた。
「彼がLに接触したのは知っています。そこで何らかの意志を託されたはずです。Lの血が途絶えた今、本人に聞き出すことは適いません。とはいえ、彼に直接問い質せばすむことです。Lが何を企み彼に託したか、それが脅威となりうる物かどうか。簡単に話すとは思えないので場合によっては命を奪うことを辞しません。サーディルンが勝てばそれも良し、負ければ私が直接手を下します」
「Lが何だか知らんが、要するに貴様は敵なんだな」
「そういうことです」
 メンティラが一歩近づき、ギーレンの頬に触れた。ぞっとするほどの悪寒に襲われたが、それでもギーレンは動けなかった。まるで金縛りにあったようだ。
「作戦の決行は明日です。明日にはサーディルンに施した治療の成果が際だって表れます。その時、改めて戦いを挑ませて頂きます」
「まあそういうことだ。明日はここが火の海となるだろう。それまでせいぜい余生を楽しめ」
 メンティラが背を向けて離れていく。その背中を見据えながらギーレンは眉根を寄せた。一つの疑問を抱いたからだ。
「メンティラ、貴様は魔王軍なのか」
「いいえ、違います」
 メンティラが振り返った。なぜかサーディルンが興味深げに見ている。
「私は魔族でもありません。しいて言うなら、天上人に分類されるでしょう。その辺は後から来るレイチェリカに聞いてみては?」
「レイカにだと?」
「ええ。彼女が知っていますから。私とレイチェリカの関係についても聞いてみると良いです。あなたが抱いてる疑問も解決するはずです。なにせあの子も私も“へそ”から来たのですから」
 レイカに聞けば答えが出る――それもそのはずだ。レイカはメンティラを知っていた。メンティラもレイカを知っている。そしてギーレンは“へそ”が何なのか知っていた。
「今日はお別れしたかったのですが、機を逸したようですね」
 メンティラがギーレンの後方に目をやった。サーディルンが確かな憎しみを顔に浮かべている。何が起きたのか、誰が来たのかすぐに分かった。
「彼もまた優れた嗅覚の持ち主ですね」
 目を細めるメンティラ。微笑みは冷徹さを浮き彫りにする。
 数人の足音が聞こえ、声が響いた。
「ギーレン!」
 声に弾かれるようにして金縛りが解ける。ギーレンは振り返り声の主を視界に収めた。ほっと胸をなで下ろした直後に顔をしかめた。予想だにしない男の姿が目に入ったからだ。共に行動するなど有り得ないはずなのに。
 フラットはギーレンの反応の意味に気付きつつ後回しにした。何より優先すべきは安否の確認だ。
「無事だったようだな。戦いが終わったから負けたと思ったんだけど」
「俺が負けるものか」
 フラットの軽口に苦笑しながら言い返した。
「それよりも敵は……」
「お前、相変わらずあいつが眼中にないのな。あれだけ憎悪たっぷりに睨んでるのに」
 そう言ってギーレンが目をやると、フラットは初めてサーディルンの存在に気付いたかのように驚いた。隣の女性に気付き、眉根を寄せた。フラットはメンティラに付きまとう死の気配を感じ取ったのだ。
 女性が何者なのか聞くよりも早くレイカの声が響いた。
「メンティラ・アーヴィン!」
 フラットに追いついたレイカが憎々しげに睨んだ。だが、メンティラはレイカに優しい眼差しを返す。
「久しぶりね、レイチェリカ・ラグーン。会えて嬉しいわ。元気そうで何よりよ」
「あたしも会えて嬉しいよ。ようやく捕まえられるんだから」
 サーディルン以上の憎しみがレイカの瞳に宿っていた。周囲に悟られぬように必死に抑えている。平常心を保つだけで神経がすり減りそうだ。
 目の前にレイカが捜していたメンティラがいる。死人をけしかけた張本人がいる。彼女はサーディルンと行動を共にしている。ギーレンが先刻知った構図をフラット達は目の当たりにして驚きをあらわにした。
「黒幕があなただったとはね。今度は何を企んでるの?」
「それはそこの彼にでも聞いて。残念だけどあなたと話す時間はないから」
「逃げる気ね!」
「心配しなくても彼らと行動を共にするのならすぐに会えるわ。その時にじっくり話しましょう?」
「ふざけないで!」
 レイカは刀を引き抜き、メンティラに向かって疾走する。跳び上がり斬りつけようとするとサーディルンが間に割って入った。二本の刀を軽々と受け止め、力任せになぎ払う。レイカの体は軽々と吹き飛び、元の位置まで戻された。
「あなたには聞きたいことがたくさんあるの。逃がしたりしない」
「ごめんなさい。遊んでる暇はないの」
 メンティラは背を向けて路地に消えていく。
「まちなさい!」
 慌てて追いかけようとするレイカの前に再びサーディルンが立ちはだかった。
「悪いが邪魔はさせん」
 サーディルンが大剣に炎を纏わせ、激しく振るった。強い風圧が炎の風となってレイカを襲う。威力は弱くて軽い火傷が関の山だが、目くらましには十分だった。風がやんだときには二人の敵の姿が消えていた。
 レイカはその場に膝をつき、地面を叩き付けた。
「ここまで追い詰めたのに逃げられるなんて」
 剰りの悔しげな表情にギーレンは困惑した。話を聞こうにも言葉が思いつかない。それよりもさらにギーレンを困惑させていたのは、何食わぬ顔でフラットに着いてきた男の存在だ。何度も言うが、平然と同行するなど有り得ないことだ。
「どういうことだ。なぜシュピールがいる?」
 フラットが答えに困ってると、シュピールが苦笑した。
「そんなに警戒されても何も出ませんよ」
「出る物はあるぞ。貴様の命だ」
 ギーレンは今さらながら剣を握り直した。
「確かに差し出せる物ではありますが、少なくともあなたと事を構えるつもりはありません。剣を引いて頂けるとありがたいのですが」
「それを信用するほど俺はばかじゃない」
「俺がばかってことか」
 フラットが項垂れながら口を挟んだ。
「俺だってシュピールを信用した訳じゃない。でも今は大丈夫だ。俺が保証する」
「だが……」
「心配するのも分かる。だが、今回の件は魔王軍にとっても想定外なんだ。こいつを信じる俺を信じてくれ」
 迷いはあるが真剣な眼差しでギーレンを見つめる。判断を覆す気がないと分かり、ギーレンは肩をすくめた。
「お前がそこまで言うなら……」
「ギーレン……」
 フラットが安堵してため息を吐いた。ギーレンはそんな彼を睨み、視線をシュピールに移した。
「だが忘れるな。こいつはハバードの命を奪った奴だ。許すわけにはいかん」
「分かってるよ」
「お前は憎くないのか」
「それは……憎いよ。でも……」
 口ごもるフラットにギーレンは責める気をそがれた。それに今は悠長に話してる場合ではない。
「話は宿に戻ってからだ。誰かに見られたら大変だからな」
 フラットもつられて周りを見てはっとした。無残にも破壊された建物の数々と無数に抉れた地面。この場を誰かに見られたら破壊行為の犯人に仕立て上げられる。実際に犯人がいるのだが。
「分かった、早く逃げよう」
 そう言ってフラットはレイカの傍に駆け寄った。今にも泣き崩れそうなレイカを支えてこの場を後にした。周囲の人々が眠っているのが幸いし、誰にも咎められずにすんだのだった。


       3

 宿に帰り着いたフラット達は沈んだレイカを従業員に預けて自分たちの部屋に戻ることにした。レイカを見た人はその憔悴しきった顔に目を丸くしていた。何があったのか聞かれたが事実を話すわけにはいかず、日頃の疲れが出たのだと告げて傍を離れた。後でレイカを可愛がっていた中年女性にきついお叱りを受けるのは間違いない。
 宿の前でシュピールと別れるのだと誰もが思っていた。魔族だし、天上人の中に独りでいるのは憂鬱なはずだ。周囲の人への危険もある。そんなことはお構いなしに何食わぬ顔で宿に入ってきたのだ。
「何か問題がありますか」
 フラット達の戸惑いの視線に平然としている。
「私の部隊の性質上、群衆に紛れることは常です。あなた方とは面識があるので元も子もありませんが、誰にも気付かれずに任務を遂行するのは得意なのです」
「それはそれで問題がある気が……」
 フラットが呆れながら言うと、納得したかのように手の平を打った。
「まあでも、信用していただくほかありませんね」
「ああもう分かったよ。でもな、宿に泊まるのなら必要な物があるんだぞ」
「存じております。私も不必要に問題を起こす気はありませんし」
 そう言ってシュピールは受付の方に歩いていった。気のいい壮年の女性が、美形の男の登場に浮き足立っている。二・三言葉を交わして手続きを済ますと、二割引の宿代を支払った。どうやら見た目で特をしたらしい。
「ここの女性は親切ですね」
 割引の理由に気付いてないのか、不思議そうに首を傾げた。天上人にちやほやされても嬉しくないのかもしれない。
「あの金はまさか盗品じゃないよな」
「それはもちろん。魔界の物を換金して手に入れたのですから。ところでフラットさん、私達を何だと思っているのですか」
 いつまでも疑いの目を向けられ、さすがのシュピールも不満を口にした。
「侵略者だろ」
「そうです。盗人ではありません」
「違うのか」
「土地を盗むという意味ではそうですが、無意味に金品を巻き上げるような圧政を敷くつもりはありません。あくまで敵意を向ける相手が対象です」
 言い訳にしか聞こえないがシュピールなりのプライド、魔王軍なりのこだわりがあるのだろう。フラットは相容れぬ物だと再認識した。
「それでは部屋に参りましょうか」
 先に部屋に戻ったギーレンを追う形でシュピールが消えた。その背中を見送り、フラットはしばらく呆然としていた。平然としていられるシュピールの神経が理解できない。
 フラットも部屋に戻ろうとして思い留まる。レイカの体調が気になり、従業員の休憩室に顔を出すことにした。横になって少しは落ち着いたのか、フラットに気付いたレイカが笑顔を見せた。
「大丈夫か」
「うん、もう平気」
 起き上がろうとするレイカを止める。彼女は申し訳なさそうにフラットに身を預けた。
「まだ休んでないと」
「フラットさんがそう言うならそうする」
「また様子を見に来るから」
 心配そうに様子を窺うと、レイカが嬉しそうに微笑んだ。
「あのね、メンティラのこと……」
「その話も後で聞く。だから今は休め」
「うん、分かった」
 そう言ってレイカは目を閉じた。いつまでも寝顔を見ているわけにもいかず、フラットは立ち上がって振り向いた。鋭い視線を向け続ける女性に目をやる。何か言いたげにしていたが、この場で文句を言う気はないらしい。フラットが休憩室の外に出ると、声を押し殺して耳打ちした。
「あの子はまだ子供なのよ。変なことに首を突っ込ませないで」
 どこまで気付いてるのか意味深な言葉だ。フラットは一瞥して頷き、そそくさと女性から離れた。休憩室の外とはいえレイカが話し声を聞けば心配するはず。今は休ませることが先決だし、フラットも愚痴を聞いている場合ではなかった。
 部屋に戻ると当然のようにシュピールが居座っていた。ギーレンが彼を睨み、一触即発の雰囲気だ。その間に割って入るのが気が引けるほど恐ろしい。
 フラットはため息を吐いてベッドに腰を下ろした。
「まずは情報の整理をしよう」
 フラットの提案に全員が頷いた。
「まずはシュピールが話してくれ」
 それを受けてシュピールが話を始めた。町中でフラットに話したサーディルンの裏切りについてのことだ。共に行動しているドルガンについても。二人は魔王軍の意向を無視してフラットの命を狙っている。
「ドルガンは何者なんだ」
「魔王軍の内情に関わるので詳しくは話せませんのでご容赦下さい。ドルガン・ランクリードは大きな部隊を指揮する将軍に位置する方です。その強さは計り知れず、正統派の武人だと聞いています。サーディルンとは正反対の性格です。常々侵略に反対をしていたのでサーディルンと行動を共にするのは今でも信じられません。彼は武人ですし、フラットさんと戦いたいだけなのかも知れません」
 重ねて二人を捕縛する為の協力を依頼して締めくくった。
 ドルガンがフラットの前に現れ、明日の破壊予告をして去った。その後、ギーレンの下に駆けつけたのだ。その事をフラットが付け加えると、あの場にシュピールが現れた理由をギーレンが納得した。
 次いでギーレンが話を始めた。死人はアキサスで起きた一連の失踪事件と関係があり、犯人はレイカの証言通りメンティラだった。メンティラは負傷したサーディルンを治療し、フラットと戦わせようと画策している。この点から、シュピールが話した謎の女性が彼女だと証明された。メンティラも明日の戦いをにおわせる発言をして去った。
 シュピールの挙手に全員の視線が集まる。
「フラットさんならサーディルンは全くの脅威ではないはず。ドルガン将軍のこともあるので楽観は出来ませんが、彼女らにそれほどまで自信を持てるカードがあるとは思えません。何か他にも理由があるのではないかと」
 ネンツ王国での戦いはフラットの圧勝だ。手も足も出させぬまま勝利を収めた。それに、今はシュピールがいる。完全に信用するわけではないが、ドルガンの言葉から今回の件は無関係だと思われる。フラットの私見だが、シュピールの方が強い。敵の力は未知数だが、それはこちらも同じだ。自信を抱くには相応の理由がある。
 珍しく戸惑うシュピールにギーレンが答えた。
「そのことなんだが、サーディルンは以前よりも格段に強くなっていた。どうやらメンティラに強化されたようだ」
「どういうことですか」
 シュピールが興味津々にギーレンを見据える。敵を前にして話すべきか悩んだが、メンティラと魔王軍に関係はない。さほど問題にはならないと判断して教えることにした。フラットを一瞥して話し始めた。
「レイカが話しただろ、五千年前の蘇生の奇跡について。『蘇りし者は生前を凌駕する力を手にする』と言っていた。それが事実として、応用して施された治療なら考えられることだ。奴は強い。だが、それでもまだ調整不足だと言っていた。明日、その成果が現れるとも」
「なるほど……ますますそのメンティラという女性が気になりますね。一度軍に戻って調べたいのですが、それでは明日の戦いに間に合いませんね」
「貴様など不要だ」
 ギーレンの鋭い視線がますます酷くなる。シュピールは臆することもなく、淡々と視線を受け流していた。
「そうだな、メンティラが何者か気になるよな。レイカとは知り合いのようだけど、ギーレンは会って気付いたことはあるか」
 フラットに聞かれてギーレンが考え込んだ。思い当たる節はある。だが、それどう話せばいいか悩んだ。レイカがこの場にいれば聞き出すことも出来ただろう。聞けるような状態ではないのはギーレンも分かっていた。
「……奴は魔王軍ではなく、天上人だと言っていた。レイカと同郷とも」
「それらしいことを俺も聞いたよ」
 ギーレンはフラットを訝しんで見た。当の本人はギーレンの反応に気付かず、悲惨な話を思い返しては気持ちが沈んでいく。
「俺が話していいものか分からない。多分レイカが話してくれると思うし、やめておくよ。ただ一つ言えるのはレイカのメンティラに対する憎しみは尋常じゃない」
 家族を殺されたのだ。どれほどの憎しみか想像も出来ない。
「彼女と同郷ですか。なるほど」
 シュピールが一人頷いている。何か気付いたのは明らかだが、フラット達は聞く気にならなかった。不敵な笑みが不気味だからだ。
「話を整理すると、敵は三人。襲撃は明日、ということか。どれほどの戦力かは分からないけど、一番の問題は街中での戦いになる可能性が高いことだ。シュピールはあてにならないし、どこに現れるか分からない相手をどうやって町の外に追いやるか」
「魔族二人の身柄を引き渡してくれるのなら全力を尽くします。元々私達の失態ですし、何度も言いますがアキサスを破壊されるのは好ましくありません」
「そんなにここが大事なのか」
 シュピールが何度も言うから余計に気になった。フラットの問いに頷く。
「ええ、とても。ここは総合的に考えて重要な拠点なのです」
「どう重要なんだよ」
「それを話せと?」
 シュピールの視線が鋭くなる。
「ここからは機密ですので話せません」
「それなら協力は出来んな」
 ギーレンが口を挟んだ。フラットと同じ答えに、シュピールは肩を落とした。
「仕方ありません。ですが、魔族すらとどめを刺せないあなた方に何が出来ますか」
「それはこいつだけだ。俺は容赦せん」
 二人に非難されてフラットは項垂れた。返す言葉がないからだ。余裕がなくなれば甘いことを言ってられない。覚悟――未だに出来ていなかった。

 シュピールの提案を退け、共闘は適わなくなった。魔王軍とは相容れぬ存在だし、当然の結果だ。その事で後悔はしていない。シュピールも最初から分かっていたのか残念がる素振りすら見せなかった。気付けばその姿を消していた。
 情報の整理は敵の脅威を少しだけはっきりさせただけだ。後手に回るのは明らかで、可能な対策は見回りだけ。襲撃の時間が分からず、無駄に気力体力を消費しかねない。有効とは言い難かった。
「フラット、一つ気がかりがあるんだが」
 日も暮れ、ランプの明かりだけの薄暗い部屋の中でギーレンが話を切り出した。この時間まで待ったのは他の誰にも聞かれたくなかったからだ。
「メンティラはお前を“Lが遺した遺産”と言っていた。Lが何かを託したお前を狙っていると。Lとは何だ? お前は誰に何を託されたんだ」
 聞き慣れない言葉にフラットは眉根を寄せた。知らない、と言いかけてはっとした。フラットは知っている。ギーレンにも話したことがある。
「Lとはおそらくハバードのことだよ。ハバード・イジェフスク・L・マクリレン」
「どうしてそうなるんだ」
「理由は知らない。でも、使徒には必ず名前の後につく記号みたいな物があるらしい。それがハバードの場合がLだ。遺産と言ったのも最後に会ったのが俺だから」
 Lの意味がフラットの想像通りなら合点がいく。納得するのに十分な状況証拠が残されている。
「だとすればお前はハバードに何を託された」
 フラットは首を横に振った。何も託されてはいない。しいて言うなら――
「俺は世界を託されただけだ。他にも何かを託すつもりだったのかも知れないけど、その前に亡くなったから」
 ハバードはシュピールに殺され、この世にはもういない。そのせいで問題がややこしくなり、本来は狙われる必要はなかったはずだ。
 メンティラが事実を知れば落胆するだろう。託したはずの何かに脅威を感じ、それを知る為にわざわざ手の込んだ事件を起こした。それなのに、と。
「奴はお前から聞き出せないのなら殺すだけだと言っていた。あの目は本気だった。どうするんだ、フラット」
「聞かれても困るよ。俺は何も知らないんだし」
「だが、気にはなる。何に対しての脅威か知らんが、ハバードの持つ何かはきっと世界を覆す物だろ。何せ聖王の使徒だからな」
 フラットもその通りだと感じていた。あのハバードのことだ。エドガルドに頼まれて何かをしていた可能性もある。それが何なのか気にはなる。
「それにしてもハバードは有名人だな。魔王軍に追われ、レイカが訪ねようとし、メンティラが恐れている。世界を探し回っても使徒は見つからない。それなのにハバードを知る人物がぞろぞろと出てくる。ハバードが知ればなんて言うかな」
 肩を落とす姿がありありと思い浮かんだ。
「それだけ大きな役割を担っていたんだろ。お前が喚ばれたのが何よりの証拠だ」
「それもそうか」
 納得するしかなかった。何だかんだ言ってもハバードのことをよくは知らない。ネンツ王国の王女エリルなら分かることがあるかも知れない。そんな彼女でも使徒としての一面を知らないのだ。ハバードの存在がますます霧のように感じられ、彼をLと呼ぶメンティラへの疑惑が膨れあがった。
「メンティラは使徒としてのハバードを知っている。何か重要なことを突き付けられてる気がするんだ」
 フラットはそう言いながら胸の奥でもやもやとする何かが分からず、肩を落とした。
「案外、奴も使徒かも知れないぞ」
「それはないよ。使徒はエブィルが救った世界を復興した立役者だから」
 同時に魔王軍に命を狙われている。メンティラがそうならシュピールが知っているはずだ。だが、そんな素振りは見せなかった。
 しばらく悩んだが結局は答えは出ず、そのまま夜を明かした。レイカの話を聞けたのはそれからのことだ。




 第五章 明かされる謎


       1

 日が山の陰から姿を現す前、空が明るくなり始めた頃にレイカは目を覚ました。布団から出ると側の窓を開け放ち、外の空気を肺の奥まで満たす。窓の外に身を乗り出すと、風を切る音と共に剣を振るう少年の姿を視界に収めた。
 目を細める。変わらずの凛々しい姿にレイカはうっとりとした。浮き足立つ気持ちを抑えて部屋の中に戻り着替えを始めた。
 宿で仕事をするようになって早起きは当たり前になっていた。宿泊客が起きる前に朝食の準備をしたりと大変だからだ。そのおかげか今では苦にならなくなった。今日は昨日のこともあり一日休みをもらったが、一度ついた癖は抜けないようだ。このままでは暇を持て余す。それがもったいない気がして仕事場に向かった。
「レイカ、今日も早起きなのね」
 声をかけたのはいつもレイカの世話を焼く中年女性だ。普段なら鬼の形相でレイカを叱るのに、比較的落ち着いている。
「暇なのでお手伝いをしようと思ったんだけど」
「今日はいいのよ、休んでも」
「でも……」
 珍しく優しく悟られ、レイカは戸惑った。困っていると女性がレイカの肩に触れる。
「どうしても働きたいのなら構わないわ。その代わり、給料は出ないわよ」
「え? 有給休暇じゃないの?」
「当たり前よ。臨時雇いのあなたにそんな物無いわ」
 突き放すように言われてレイカは項垂れた。
「そんなわけだから今日は自由にしなさい」
「うん、そうする」
 とぼとぼと出口に向かって歩き出した。レイカの背中越しに女性が声をかけた。レイカは振り返り、真剣な表情の女性を見た。
「もうあの子達には関わらない方が良いわ。一昨日から様子が変よ」
 誰のことを言っているのか察し、レイカは首を横に振った。
「違うの。あたしが迷惑をかけてるの」
「でも、昨日だって……」
 不安そうにレイカの顔を窺っている。心配してくれてるのがひしひしと伝わり、レイカは嬉しくて顔を綻ばした。
「昨日だってフラットさんが助けてくれたのよ。彼はああ見えて優しいんだよ。だからもう心配しないで」
 なぜか女性に認めて欲しいと思っていた。おかしな話だ。まだ短い付き合いなのに、女性を母親のように感じていた。
「……好きなのね」
「多分……そうだと思う」
 今まで散々積極的に自分をアピールしてきたのに、改めて言われるとはっきり答えられなくなった。短いと言えばフラットとの付き合いもそうだ。初めて会ったのは二日前。フラットを見た瞬間から惹かれていた。理由は分からない。他の二人がそういう対象として見られないからか。それでも理由としては不十分だ。
「彼には釘を刺したけど止められないようね」
「ごめんなさい」
 レイカの表情が沈む。女性は慌てて弁明した。
「いいのよ、気にしないで。思い立ったら吉日って言うじゃない。どんどん振り回してこき使いなさい。男なんて腰巾着のようなものだから」
「こ、腰巾着?」
 意味が分からず、レイカは首を傾げた。それでも人生の大先輩の言うことだ。それが男女間の真理なのだろう。そう思うことにした。
「ありがとう。今日も頑張るね」
 レイカはウインクして女性に背を向けた。小走りで走っていき、一度だけ振り返って手を振るとその足で宿の外に出た。外にはレイカが望む人がいる。
 迷わず宿の裏手に行く。フラットに会う為だ。レイカが泊まっている部屋は従業員用で、日当たりの悪い南側にある。そこの窓から見えてた場所が裏手に当たる。寝起きに見た光景を思い浮かべると心が躍った。その反面、沈む気持ちに苛まれることになる。顔を合わせれば辛い過去を話すことになるからだ。一度は話してしまったがそれで慣れるはずもない。やりきれない気持ちに包まれ、ため息を吐いた。
 角から顔だけ出して様子を窺った。そこには起きぬけに見たままのフラットがいた。陰でこそこそしてると、フラットがレイカに気付く。手を止めてレイカを見つめた。
「おはよう、レイカ」
 さわやかに笑うフラットの全身に汗が浮かんでいた。剣を傍らに立てかけるフラットに、レイカは駆け寄りにこりと笑う。
「フラットさん、おはよう」
 そのままの勢いでフラットの胸に飛び込む。だが、フラットはその突進をひらりと躱した。勢い余って倒れるレイカの腕を掴んで起こす。振り返るレイカは複雑な表情で頬をふくらませていた。
「どうして避けるの」
「ほら、今は汗臭いから」
「あたしはいいよ。フラットさんなら汗臭くても」
 フラットは露骨に嫌がった。いきなり言われれば誰でもあからさまな態度を取ってしまう。レイカは後悔したが、引き下がる気はない。再び飛びかかり何とか片腕を死守した。フラットの腕にすり寄るようにして絡みつく。
「やっぱりいい匂い」
「そんなわけないだろ」
 恥ずかしさをごまかそうとぶっきらぼうに言うとレイカがじっと見つめてきた。しばらくして微笑む。
「えへへ、好きな人の匂いなら何だっていいんだよ」
「す、好きな人って……」
 フラットは動揺して足を滑らした。片腕がレイカの体をすり受けていき、背中を打ち付ける。惨事を引き起こした張本人は見向きもせずに頬を赤らめていた。
「きゃっ、言っちゃった。どうしよう、困っちゃうね」
 手足をばたつかせて恥ずかしさを表現している。その様子があまりに違和感だらけで、フラットは怪訝な顔をした。
「今日のレイカはなんかおかしいぞ」
「そうかな……いつも通りだと思うけど」
 フラットは上体を起こしてレイカを見上げた。いつも通りの彼女だ。年相応の可愛らしい少女で、フラットを誰よりも慕っている。抱きついてくるのは毎度のことだ。今さら訝しむことではない。だが、どこか無理をしてるのを肌で感じていた。レイカはこんな子ではないはず。不思議とそう思った。
 レイカに言わせればフラットに出会ってからの日々が異常なのだ。これほどまで積極的になるとは予想だにしなかった。
「なんかね、新しい自分を見つけたみたい」
「新しい……自分?」
 レイカはフラットの隣に腰を下ろして頷いた。
「あたしね、こんな気持ちになったのは初めてなの」
 本人に面と向かって言われても返答に困る。フラットは目を背けて心中で嘆息した。レイカは何を考えて寄ってくるのかと。
「最初はね、お兄様みたいだなって思ったの。何よりも強くて誰よりも優しい。初めて会った時にそう感じたの。でもね、フラットさんにも弱い面があった。ううん、違う……優しすぎるのよ。困ってる人、苦しんでる人を見ると助けずにいられない。そこが凄く魅力的に見えたの。ああ、いいな……って」
 レイカの言う通りだ。フラットは目の前で苦しんでいる人を見て見ぬふりは出来ない。助けられる命は救いたいと考えてしまう。世界を託したいと言うハバードの望みを突っぱねたのに、ネンツ王国の人達を救おうとして魔王軍と戦った。死人を前にしても戦いたくないと願った。途方に暮れるレイカを放っておくことが出来なかった。
「あたしはそんな弱いフラットさんの傍にいて支えたいと思ったの。あの時は深い意味はないなんて言ったけどホントは違うの。フラットさんの助けになるのならどんなに汚れた役割でも受け持とうって」
 死人に手を下せずギーレンに怒られたときの話だ。咄嗟に出た言葉をすぐに濁したが、本心だったのだ。
「ギーレンさんはごまかす為の色仕掛けだって言ったけど、あたしはフラットさんに振り向いてほしくて詰め寄った。会ったばかりで変よね。軽い女だって思われたよね。でも……あたしはああするしか方法を知らなかった。ううん、何となく感じたのかも知れない。このままでは駄目だって」
 最初から入り込む隙間が無いことに気付いていた。だからこそ必死にこじ開けようとした。心の扉を開き、関心を自分に向けさせる為に。その努力は確かに実っていた。レイカは誰もが認める可愛らしい少女だ。同年代の男の子なら迫られれば間違いなく喜ぶ。フラットも例外ではなかった。もう少しで振り向かせそうな所まで追い詰めた。フラット自身の力だけでは取り返しのつかない事態になるのは目に見えていた。
 フラットを救ったのは自身の想いだ。大切な一枚の写真に込められた想い。それを再認識したおかげで心を揺るがされることはなくなった。レイカにとっては大きな誤算だ。
「もう一度見せて」
 うつむくレイカがぼそっと呟いた。何を見せてほしいのか分からず、フラットが首を捻る。一向に要求に応えないフラットに痺れを切らしたレイカが声を荒げた。
「今も持ってるんでしょ、写真。それを見せてほしい」
 勢いよく迫るレイカ。その目には強い意志が点っている。フラットは冷や汗をかきながら写真の場所を思い浮かべた。近くにある荷物を一瞥して向き直った。目の前に真剣な面持ちのレイカがいてドキリとした。見れば見るほど可愛らしい。そんな彼女から視線をそらして言った。
「あるけど……見てどうするんだ」
「ライバルを再確認する」
 レイカは真顔で言って後悔した。恥ずかしさに苛まれて目を背きかけるが、ここで引き下がれば負けも同然。
「フラットさんがあたしを選ばない理由を知る為にも必要なの。お願い、あの写真をもう一度見せて」
 レイカの表情は鬼気迫るものがあった。断れば強引に奪われそうなほど迫ってくる。写真が悪影響を及ぼすのは間違いない。
(まさか写真を破ったりしないよな)
 そう本気で心配するほど差し迫った雰囲気だ。
 フラットが項垂れると、それを肯定と取ったレイカが顔を綻ばせた。写真を取りに行くフラットを今か今かと待ち構えている。
「何度見ても同じだと思うけど」
 写真を手渡すと、フラットの隣に写る少女を凝視した。
「フラットさんは子供の方が好みなのね」
「それは三年前の写真だ」
 フラットは横目で見ながら新しい写真を持っていないことを後悔した。まぶたを閉じれば鮮明に思い浮かぶが、実物を見られないのは寂しい。写真に写る少女は可愛いけど、三年間でどんどん綺麗に成長した。
「その子の名前はルシア・イレネウスって言うんだけど、俺と同じなんだ。誕生日は一年近く早いし俺よりも大人びてる。すっごい美人なんだぞ」
「そう……なんだ」
 美人という言葉にレイカは項垂れた。自分とは無縁の形容だからだ。自慢ではないが可愛いとよく言われる。だからこそ美人の大人に憧れを抱いていた。いつかそうなりたいと常々思っていた。それなのに、たかだか二歳年上のルシアを美人と言う。どれほどの物か写真からは想像できない。
「これはギーレンにも話したが、ルシアは幼馴染みなんだ。どんな時でも俺の傍にいて……俺を引っ張ってくれた。俺にとって一番大切な人なんだよ」
 フラットは遠い目をしていた。てっきり笑顔で話すと思っていたレイカは呆然とした。触れてはいけない話に触れてしまった気がして肩を落とした。
 レイカの反応に気付き、フラットは怪訝な顔をした。
「どうしてそんなに落ち込んでるんだ」
 問われてはっとし、レイカは慌てて笑顔を取り繕った。
「お、落ち込んでなんか無いよ。ただ……」
 表情が沈むのを自覚しつつ、それを隠すのを厭わない。無理に笑ったところで渦巻く感情は取り払えないと知ったからだ。
「その人、今はもう……」
 うつむくレイカにフラットは失笑した。なぜ笑われるのか分からず、レイカが困惑している。そんな彼女を横目で見ながらひとしきり笑い、優しい笑みでレイカを見た。一度だけかぶりを振る。
「ルシアは必ず生きてる。訳あって二ヶ月近く会ってないけどあいつは元気だよ。俺より強いんだから間違いない」
 フラットの強い意志を、信じる気持ちを感じ取り、レイカはほっと胸をなで下ろした。なぜライバルの心配をするのか疑問を抱くもすぐに端に追いやった。フラットより強い女性とはいったい何者なのか想像を巡らす為だ。
 強いというのはあくまで比喩だ。戦えばまず間違いなくフラットが勝つ。勉強も凡人と天才の差がある。口げんかでは負けるかも知れない。ルシアの強さはそういう表面的な部分ではない。それを説明する必要はないと思い、無駄に悩むレイカの顔を眺めた。
「そっか、フラットさんの好みのタイプは美人で強い人なのね。あたしもそうなるように頑張らなくちゃ」
「勘弁してくれよ。あんなのが二人もいたら敵わない」
 失態だった。フラットは言葉にして初めて自分の失敗に気付いた。これでは本心ではルシアを嫌がっているように聞こえかねない。
「え? どういうこと?」
「いや、あの……」
 問い詰められてしどろもどろになるのはなお悪い。レイカに付け入る隙があるのを教えているようなものだ。
「もしかして弱みを握られてるんじゃ……」
「そんなことないって」
 惚れた弱みに、というのならある。
「実は凄く怖いんじゃ……」
「そんなわけないだろ」
 好きな人に怒られるのはそれだけでもへこむ。
「それならどうだって言うの」
 レイカは口を尖らせてフラットを見つめた。理由を話さなければ逃さないと言わんばかりにフラットの手を握る。
「どう……って言われてもな」
 正面から見つめられてフラットは困った。教えるのは簡単だ。だが、それはただののろけになってしまう。何だかんだとレイカを気遣い、言い出せずにいた。誰も傷つけたくないなどと言うのは男の傲慢だ。それが分かっていながら堪える。
 水を得た魚のようになったレイカがさらに迫る。フラットをからかってるだけなのかもしれない。何度もしつこく聞かれ、その度に否定していく。レイカも必死なのだ。ルシアがフラットにとってどれだけ大きな存在か、自分が入り込む隙間があるのか。それを知る為には少々の羞恥心には目をつぶるつもりだ。
 さすがにフラットは疲れ果て、投げやりに言い放つ。
「もういいだろ、この話は」
「うー、逃げる気ね」
「そうじゃないって」
「いいもんいいもん、教えてくれないなら勝手な想像するだけだから」
「勝手な想像って……」
 レイカは決意を露わにするかのように拳を握った。
「あたしはルシアさんを越える」
「……おい」
「そうすればフラットさんは振り向いてくれる」
「……だから」
「今フラットさんの傍にいるのはあたしなのよ」
「……ちょっと」
「絶対にあたしが有利なんだから」
「……いや」
 そういう問題ではないと諭そうとするが、レイカは聞く耳を持っていない。戸惑うフラットを後目に、畳み掛けるようにして言った。
「その内あたしの方が良いって思う日が来る。だってルシアさんはここにいないんだから。いくら幼馴染みでも時間が経てば気持ちも薄れる。そんな時にあたしが傍にいれば……きっと魅力に気付いてくれる。頼ってくれる。好きになってくれる!」
 どこからその自信が湧いてくるのか。フラットは理解できずに首を捻った。だが、同時に予感めいたものがあった。このままの関係を続けていれば一年後か十年後か、いつかは心を許す日が来るかも知れない。レイカ無しでは生きられなくなるかも。その方が楽で幸せな人生かも。
 だが、レイカとは明日にはお別れだ。その後に会う日が訪れることはない。離れればこの三日の出来事はすぐ忘れ去られる。フラットの記憶からもレイカの記憶からも。けして特別な思い出を作ってはいけない。それがお互いの為だ。
 レイカはフラットの願いを聞き入れるつもりはなかった。うつむき、自分に言い聞かせるように言う。
「あたしはフラットさんが好き」
 初めて抱いた恋と言う名の幻想に、自分の気持ちに真っ直ぐ向き合う。半ば持て余すようにフラットを見つめた。
「あたし、絶対に振り向かせてみせるから覚悟しててね」
 決意に満ちた表情に気圧され、フラットは後ずさった。即座に拒否できない自分を呪った。つくづく意志の弱い人間だと悔やんだ。
 レイカは立ち上がると向き直り、にこり笑った。
「後でみんな揃ったらメンティラのこと、あたしのことを話すから」
 そう言い残してレイカが走り去った。その手から離れた写真が宙を舞う。フラットは慌てて受け止めると、レイカの背中を見送ってから写真に目を落とした。自然とこぼれる困惑に満ちた言葉。
「どうして俺なんだ……」
 未だに自分が好かれる理由が理解できずにいた。意外ともてることにフラット自身は気付いていない。幸か不幸か、フラットは恋愛に関して朴念仁だった。


       2

「そういえばあの魔族の人はいないね」
 レイカは辺りを見回して呟いた。
 フラット達が泊まる宿を出て近くの広場に移動した。宿の従業員が目を光らせる中での密談は神経を使う。密室で男に囲まれて少女が一人、レイカを娘のように感じている中年女性がそれを許さないだろう。外なら人目もあるし、女性も一安心だ。それにいざという時に即座に行動するには外にいた方が好都合だ。
 レイカの周りにはフラットとギーレン、それにアンドレンがいる。総力戦になるのは目に見えている。守る戦力は多いに越したことはない。
「奴は夕方に出たきり戻ってきてない」
 ギーレンが周囲を気にしながら言った。彼らが言ってるのはシュピールのことだ。決裂したから帰ったのか。だとすれば宿代は無駄になる。
「問題はそこじゃないだろ」
 誰に対するつっこみか、フラットが独りごちた。仮にもアキサスを守ると言っていた。そのシュピールが現状を顧みずに帰るとは思えない。やはり魔族だから天上人がどうなっても構わないと考えているのか。
 相反する想像は不安を煽るだけ。誰も話題にはしなかった。
「あの人はいなくてもいいかな。何だか知ってるみたいだし」
 レイカはベンチに腰を下ろしてフラットに手招きした。隣に座るよう手振りで指示し、フラットは微妙に距離を空けて座った。抵抗空しくレイカがすり寄ってくる。どんな時でもアピールを怠らないつもりだ。
 項垂れるフラットを後目にレイカは話を始めた。その前に――
「ところでギーレンさん、あたしの正体は分かった?」
「もう少しで思い出せそうなんだが」
 負け惜しみを言うギーレンに、レイカはくすりと笑って言った。
「そうよね、会った瞬間に見抜くなんておかしいよね」
 レイカがシュピールのことを言ってるとは思わず、一様に眉根を寄せるだけ。
「初めに言っとくけど、これまでに話したことは全部ホントだよ。今までごめんね、話せないことが多くてみんなを困らせて。でも、メンティラの目的がフラットさんである以上教える必要があると思う。どこまで話したか分からないし順を追って言うね」
 レイカはフラット達の顔を順に見ると、全員が頷くのを待って話を続けた。
「まずはあたしの故郷について。フラットさんには話したよね、世界の中心に住む人達のことを。その部族を代々統べてきたのがラグーン家。現族長があたしのお爺様レイモンド・ラグーン。そして、あたしはその正統後継者なの」
「正統後継者? レイカはお姫様なのか」
「うん、そうだよ。あたしはお姫様。あたしのお婿になればいい生活が出来るよ」
 意地悪な笑みを浮かべてフラットの脇腹をつつく。驚きと共に目の前で餌をちらつかされ、フラットは困惑した。確かにその生活は望ましい。楽な生活を遅れるのは嬉しいが、その分責務が付きまとう。生まれながらにしてレイカはその責任を持っているということになる。フラットには良く分からない世界だ。
「そうだ、こう言えばギーレンさんも分かるかな。あたし達のことは古くから龍人族と呼ばれてるの。かつて龍の如き力を宿し者がいた。その末裔があたし達なの」
「龍の如き力を宿し者――龍人族……」
 ギーレンはその説明を暗唱した。しばらく思案顔になり、はっとしてレイカを見た。
「そうか、龍人族だったのか」
「有名なのか」
「当たり前だ。龍人族と言えば聖王、戦王に次いで実力者の龍王ランドルフを祖に持つ一族だ。とうの昔に滅びていたと聞いていたが」
「表向きはそう言うことになってるの。外界とは関わらない。関わらせない。それが一族の掟。だから話せなかったんだけど」
 事態はそうは言ってられない方へ転がり始めていた。魔王軍すらその存在に気付いていた。ラグーン家のことも。どれだけ内情が漏れてるかレイカには想像も出来なかった。
「なぜひた隠しにする」
「あたしも理由はよく知らないけどずっとそうなってるの」
「正統後継者とは名ばかりだな」
 ギーレンに痛いところを突かれ、レイカは申し訳なさそうにうつむいた。
「後継者だけが現族長から色々と教わるんだけど、ホントはお兄様が跡を継ぐはずだったの。でも、少し前に亡くなって急きょあたしがその資格を得たから大変で……その上、すぐに家を飛び出したから」
「それってまさか……」
 はっとして目を見張るフラットにレイカは頷いた。ギーレンは話についていけず、怪訝な顔をしている。
「そう、フラットさんに話したあのことよ。ここからが大事な話。龍人族にはラグーン家の他に部族の中核を為すアーヴィン家があるの。アーヴィン家にはあのメンティラがいる」
「メンティラだと? 奴も龍人族なのか」
 ギーレンが思わず声を荒げた。確かにメンティラは言っていた。レイカと同郷だと。一連の話から予想は出来たはずだがそれでも驚きは隠せない。
「でもね、彼女はアーヴィン家唯一の生き残り。そうなったのには理由があるの。彼女が守護者だってことは話したよね。龍人族には創世から戦乱までのことを記した書物があり、今まで管理してきたの。それを守るのが管理者と守護者の役目よ。管理者は一族一の頭脳の持ち主が、守護者は一族最強の戦士が務めるの。メンティラの強さは群を抜いていて、なるべくしてなったわ」
 羨望の眼差しを湛えるレイカ。だが、すぐに顔をしかめる。メンティラのことを語るには痛ましい事件を思い出さねばならないからだ。
「メンティラはね、お兄様の幼馴染みで……婚約者だったの。だからか、幼い頃に両親を亡くしたあたしに母親のように接してくれた。あの頃の彼女は強くて優しい、誰もが羨む美貌の持ち主だった。あたしも彼女を慕い、憧れていた。でもね、彼女は守護者になってから少しして変わったの。言ったよね、世界を疎むようになったって」
 初めて会った明くる日の朝、死人をけしかけた犯人として語ったとき、確かに言った言葉だ。その時に知り合いだとも。
「何て言えばいいかな……突然、人が変わったみたい」
「最初から狙ってたんじゃ……」
 フラットが言うと、レイカは逡巡してから首を横に振った。
「全くの別人に思えたの。あたしを妹のように、娘のように見てくれていたあの優しい眼差しは消えた。あの顔からあらゆる感情が消えていったの。残されたのは世界への憎しみだけ。ある日、その憎しみが周りの人達に向けられ……」
 レイカは声を詰まらせ、悔しさに唇を噛んだ。目に涙をにじませ、流れ落ちないように必死に堪えている。
「それが裏切りなのか」
 レイカは頷くと、少し間を置いてから答えた。
「メンティラは目的の書物を盗むと、最初に止めに入ったお兄様を殺した。何の躊躇もなく。あれだけ想い合っていたのにどうして――そう思ったよ。でもね、彼女は育ててくれた親も仲の良かった兄弟も、止めようとした人達もろともアーヴィン家を滅ぼして消えた。あれからもう二年になるのかな」
 遠い目をするレイカ。それでも辛さは隠しきれず、頬に涙が伝った。
「ご、ごめんね、こんな時に……」
 フラットは弱々しく縮こまるレイカの肩に手を回し、そっと抱き寄せた。
「ごめ……えぐ……ごめん……フラットさん……」
 フラットの胸に飛び込み、泣き崩れるレイカ。そんな彼女の背中を優しくさする。
「いいんだよ、泣いても。今は思い切り泣いた方が良い」
「……うん……ありがとう……」
 そう言いつつ、泣いてる場合ではないことはお互いに分かっていた。それでも涙を堪えられない。フラットの優しさに包まれ、しだいに感情が落ち着いていく。
 レイカはフラットの体をそっと引き剥がし、座り直した。急に恥ずかしさがこみあげてきてうつむく。
「あの、もう大丈夫だから」
 心配そうに覗き込むフラットに目を背けて言った。いつまでも心配していては話が進まない。フラットは仕方なく引き下がった。
 しばらくしてレイカは顔を上げた。紅潮した顔も元に戻っている。
「あたしは後継者になった。けど、気持ちは過去に囚われたままだった。お爺様の教えも耳に入らぬほどに。そして周囲の反対を押し切ってメンティラを追うことにしたの。彼女に会って、なぜあんなことをしたのか聞きたくて。悔しさを憎しみを必死に堪え、消息を辿った」
「そして見つけたのか」
 レイカは頷き、アキサスで起きたことを思い返した。
「あたしはね、寂しかったの。何かを得るたびに全てを失っていく……そんな人生に嫌気が差していた。そろそろ潮時かも……そう思い始めていた。高名なハバードさんなら彼女が変わった理由が分かるかも知れない。そう信じてアキサスに訪れ、フラットさんに出会った」
 運命の出会い。レイカにはそう思えたのだ。レイカは嬉しそうに笑い、隣に座るフラットの手に触れた。
「フラットさんはあたしに近いんだと思う。大切な人をたくさん失った。ホントに切なそうに笑う人だなって。でもね……あたしのように希望を失ってない。あたしよりずっと強い人なんだね……そう思ったの」
 強くなんかない。フラットは思わず声を荒げようとして口を噤んだ。希望を失ってないのは家族が生きてると確信したからだ。そんなことを万が一にも言葉にすればレイカを傷つける。レイカが口を開くのをじっと待った。
「あたしね、フラットさんに出会えて良かったと思う。だって、そのおかげでメンティラの尻尾を掴めたんだよ。あたしの人生を狂わせたあの人に復讐する。その為なら何も厭わない。あたしの心はもう憎しみで満たされてるの」
 それならなぜフラットに好意を向けるのか。そう言おうとしてフラットは絶句した。レイカの目が光を失っていたからだ。忘れはしない、初めてレイカを見たとき、闇夜に紛れて浮かび上がるあの表情を。戦いを前にしたときの醒めきった目を。
「相手は龍人族最強の戦士。お前が勝てるのか」
 ギーレンの問いにレイカは首を横に振った。
「それでも勝ってみせる。これでも指折りの実力者よ。今なら一族の誰よりも強いんだから」
 メンティラに壊滅されかけた一族。その中での自信がどれほどの物か。戦う覚悟をした少女の前で口にすべきではない。
「やっぱりフラットさん達を巻き込むことになったね」
 いつの間にか元の表情に戻っていた。
「なぜメンティラがフラットさんを狙うのか。ハバードさんが関わってくるのかあたしには分からない。あの人が裏切った理由が関係するのかも。結局は本人に聞くしかないんだけど」
 申し訳なさそうに笑うレイカ。彼女の肩に触れ、フラットは言った。
「巻き込んだのは俺達も同じだ。君が気に病む必要はない。それに、悪いのはメンティラだろ。なぜ天上人である彼女が魔族と手を組んだのか、事態はかなり複雑だ。レイカだけに背負わせられない」
「フラットさん……」
 レイカは瞳を潤ませてフラットを見つめる。フラットはその瞳に吸い込まれ、目を離せずにいた。ギーレンが咳払いする。
 二人は慌てて離れ、顔をうつむかせた。放っておけば話が終わらないと考え、ギーレンがまとめにかかった。
「大体のことは分かった。レイカの正体もメンティラとの関係も納得しよう。敵の目的も分かった。後はもう戦うだけだ。俺はその辺を見てくる」
 そう言ってフラット達の傍を離れた。苛立ちを顔に出して。
「何で怒ってるの」
「さあ」
 首を傾げる二人。敵の襲撃を前にして緊張感の欠片もない。それが苛立ちの理由だと気付き、はっとして目を合わせる。
「ギーレンさんって短気よね。あれじゃ恋人も出来ないよ」
「ははは、その通りかもな」
 実際にその通りなので事実を伏せた。レイカに話せばフラットが怒られる。それはそれで見物だが。
「ギーレンさんもいなくなったことだし、フラットさんに提案があるの。これは誰にも聞かれたくない話よ」
「アンドレンがいるぞ」
 レイカはアンドレンを一瞥して頷いた。
「彼は寡黙だからいいの」
 そんな理由で片付く提案とは何か。誰にも聞かれたくない話とは。無意味な疑問が渦巻き、フラットは苦笑した。
「それで、どんな提案だ」
「メンティラのことが片付いた後、あたしと一緒にお爺様に会ってほしいの」
「なんでまた」
 理由はフラットにも分かっていた。一つはフラットにも大事な、もう一つは出来れば触れたくない話題。
「あたしの故郷にフラットさんのお父様が来てるかも。エブィルの子孫ならやっぱり可能性は高いと思う。もしそうなら知らせが来るはず。それでね……」
 レイカはうつむき、恥ずかしそうに微笑む。
「あたしの婚約者としてお爺様に紹介したいな……なんてね」
 言い切った後にごまかすように笑った。気の早い提案だと自分でも分かってるのだろう。だが、後悔はしていないようだ。
「まっすぐ帰っても何ヶ月かかかるし、それまでに振り向いてくれればいい。これからもあたしはフラットさんの傍にいるから」
「でも……」
「言いたいことは分かってる。でも、そう思ってしまったから。あたしの望みを聞いてくれるなら案内するよ。悪い取引ではないよね」
「取引って……」
 レイカの目は真剣だ。振り向かせるには恥を捨て、どんな武器も使う気だ。出会って四日目の人間に対しての態度とは思えない。何度も自分の気持ちを確かめ、辿り着いた答えだと言わんばかりに。
 取引――確かにそれは取引だ。フラットは一刻も早くエドガルドに会いたい。それを叶えるにはレイカに案内してもらうのが一番だ。気持ちに応えるのがその条件。望みを叶えてもらう代わりに相手の望みを叶える。父を選ぶか幼馴染みを選ぶか、ある意味究極の選択だ。
「本気なんだな」
 レイカは力強く頷いた。揺るぎない自信が表情に表れている。フラットが自分を選ぶと確信している。そんな大事な選択を即決出来るわけもなく――
「考えさせてくれ」
 そう答えるしかなかった。
 二人はそれきり黙り込み、時間は流れた。
 正午を回った頃、徐々に雲行きが怪しくなった。日差しは遮られ、分厚い雲が空一面に広がる。さほど時間が経たずに雨は降るだろう。未だ襲撃はなく、いつの間にかギーレンが戻っていた。
 気まずい雰囲気は失せ、フラットは敵の気配を探ろうと瞑想に耽った。行動を起こせば必ず関知できるはず。ギーレンを発見したときのように意識を巡らせた。変わらぬ人々の日常、昼過ぎになり喧騒とした様子も若干緩まっていた。
 ぽつり。またぽつり。
 頬に当たる滴に、フラットは意識を戻した。空を見上げると、雨がぱらつき始める。すぐに雨脚は強まり、通り雨のように激しい滴が降り注いだ。それと同時に、すぐ近くに多くの気配が出現した。その全てが殺気をはらんでいたのだ。魔物の気配だと気付いた時には周囲を取り囲まれていた。
 すぐさま戦う姿勢を取ると、魔物とは比べものにならない二つの巨大な気配が別々の場所に突如として現れた。間髪入れずに爆音が響き、黒煙が上がった。ドルガンの予告通り襲撃を受けたのだ。それも同時に三箇所に。


       3

 魔物の出現により広場は逃げ惑う人達であふれかえり、騒然となる。さっと見回して数えても五十匹は下らない。それだけの数が町に入ってくればたちまちパニックになるはずだ。だが、広場はほぼ中央に位置している。今までフラット達が気付かなかったのもそうだが、騒ぎにすらならない。突然、街中に現れたようだ。
 遠くで響く音を背にフラット達は魔物と対峙していた。目の端に映る人々が断末魔の悲鳴を上げる。背中を引き裂かれ、喉元をかみ切られ、次々と息絶えていく。しばらくすればアキサス市国の軍隊が助けに来るだろう。それまでにどれだけの被害者が出るか。迷ってる暇はなかった。
「魔族共は後回しだ。まずはこいつらを片付けるぞ」
 いざという時に頼りになるのはやはり年長者だ。ギーレンはいち早く状況を理解し、的確な指示を始める。
「フラットは人々の盾になるように、レイカは避難誘導を、アンドレンはこぼれた敵を。俺は敵陣に切り込んで攪乱する」
 言うや否、四者は勢いよく渦中に飛び込んでいく。
 ギーレンは殺気を放ち、魔物達の意識を自分に向けさせる。振り返る僅かな隙に敵陣に切り込み、疾風の如き剣捌きで次々と斬り伏せていく。それを援護するような形でアンドレンが銃弾を敵に浴びせた。魔物は次第に数を減らしていくが、市民への被害は止まらなかった。
 また一人、魔物の餌食になりかけようとしていた。足を滑らせ、恐怖に腰を抜かして魔物を見上げる男性。彼の身に死が訪れる直前、目の前で鋭い爪がきらめく魔物の腕が吹き飛んだ。苦悶する魔物との間にフラットが割って入ったのだ。縮こまる人にはどれだけ大きく映ったか。自分を助けてくれた少年を唖然として見上げていた。
「立てますか」
 気付けば傍らにレイカがいた。男性は頷き、立ち上がる。
 図星だった。フラットは反論できなかった。
「貴公は魔族に対して憎しみを抱いてはおらぬ。憎しみがあれば進んで戦いを挑んでいた。なぜ止めを刺さずに逃がした? なぜ隠密部隊の奴が隣にいて平然としていた? それは貴公に戦う理由がないからだ」
 ドルガンの言う通りだ。フラットが魔王軍と戦ったときは常に理由があった。ハバードに恩を返す為に、エリルを助ける為に、レイカを助ける為に――そして今も。
「貴公は自分の為の刃を持たぬ。必ず誰かを守る為に剣を振るっている。魔王軍が貴公を監視するに止めたのもそこに起因するのであろう。だが、一度守ると決めた後の戦いぶりは鬼神の如きであると聞き及んでいる」
 ドルガンは全てを見透かしていた。こと戦いに関しての洞察力は並々ならぬ物がある。指揮官として一流だ。その能力が実際の戦いにおいてどれほどの力を発揮するのか。戦う前から脅威を感じた。
「守る為の戦いなら貴公は全力を出す。それはどうやら本当のようだ。ようやく貴公の全力と相見えよう」
「だとしてもこんなことを……」
 剣を握る手に力がこもる。唇を噛み、ドルガンを睨んだ。
「人の命を奪っていい理由にはならない。命を軽んじるあんたを許すわけにはいかない」
 声を荒げるフラット。だが、ドルガンは動揺すらせず、火ぶたが切って落とされるのをじっと待っていた。
「魔王軍の戦いを否定し、自分の戦いは肯定する。結局は私利私欲で動くだけ。これ以上被害を広げられない。俺があんたを止める!」
 剣を構え直し、未だ仁王立ちを続けるドルガンを見据えた。憎いはずの敵を前にして頭が冷やされていく。自分の内に眠る力に呼びかけた。今回もエブィルが応えてくれるはず。
 フラットは地を蹴った。瞬時に距離を詰めると剣を振り下ろす。さっきまで地面に突き刺さっていたドルガンの剣が金切り音を立てて攻撃を防いでいた。
「即座に詰める速度、サーディルンがおくれを取るのも肯ける。だが、その程度では傷一つ付けられん」
 鍔迫り合いは一瞬で崩れた。ドルガンが剣を振るうとフラットの体が軽々と浮き上がった。後方に飛ばされ、受け身を取るのが精一杯だった。
「立ち上がれ。貴公の力はそんな物ではないはず」
 ドルガンはその場から一歩も動かず、フラットが立ち上がるのを待った。
 先程の攻撃はサーディルンには確実に通用していた。それを目の色一つ変えずに退けたのだ。将軍の位は伊達ではなかった。
 同様の攻撃を続けていては勝てない。それならどうすればいいのか。迷っている時間はなかった。遙か後方から響く爆音が未だに続いていたからだ。フラットは再び地を蹴り、ドルガンに迫る。横薙ぎの攻撃は難なく受け止められ、翻して繰り出す攻撃を弾かれた。即座に迫る危機を察知して後方に跳んだ。だが、ドルガンはまた動いていない。攻撃されたのではなく、殺気に気圧されたのだ。
 気怖じする気持ちを振り払い、ドルガンに向かって疾走する。横薙ぎ、袈裟斬り、翻してのすくい上げ、振り下ろし。連続して繰り出す攻撃を全て弾かれた。全く通用しないのだ。距離を空けて再度切り込もうとすると殺気が膨れあがった。ドルガンが倍以上の体躯に思えるほど大きな威圧感だ。シュピールの時に感じた言い知れぬ恐怖とは違い、はっきりと形として目に見えていた。
 フラットは思わず後ずさった。一筋縄ではいかないどころの問題ではない。このままでは取って食われるのも時間の問題だ。
「そちらから来ぬのならこちらから行くぞ」
 ドルガンは静かに言うと、ゆっくりと歩き出した。真っ直ぐフラットに向かって。徐々に速度を速めて走り始めた直後に姿を消した。現れたのは目の前だった。手を伸ばせば届く距離に悠然と立っていたのだ。
 剣が無造作に振り上げられた。フラットは後方に跳び、攻撃をぎりぎりで躱す。踏み込みつつ繰り出される続けざまの攻撃を横に跳んでやり過ごす。振り向きざまの三撃目を受け止めた。
 再度の鍔迫り合い。力負けするのはすでに証明されている。フラットは即座に相手の力を横に流し、身を翻して剣を横薙ぎにした。金属音と共に弾かれ、バランスを崩したフラットの頭上に剣が振り下ろされた。転がるようにして避けると、さっきまでフラットがいた地面が大きく抉れた。ドルガンが立つ地面もろとも陥没する。
 崩れた足場すらドルガンの姿勢を崩せなかった。器用にバランスを取り、上半身だけは仁王立ちのまま。
「何て破壊力だ」
「この程度なら我でなくとも可能だ。例えばそこに隠れてる奴でもな」
 ドルガンが視線を建物の影に向けた。言われるなりすっと姿を現したのはシュピールだった。気配は皆無、それこそ影のように立っている。強い存在感を示すドルガンとは正反対だ。ドルガンに気圧されて見られてることに気付かなかった。
「よく気がつきしたね」
 薄ら笑いを浮かべてシュピールが近付いてきた。
「我にも気配は掴めなかった。だが、この天上人が圧されるのを見て僅かに動揺したようだ。隠密部隊も堕ちたものだな」
「さすがはドルガン将軍。戦いの最中でも僅かな気配を感じ取る。実に素晴らしい感受性の強い方ですね」
 シュピールの口調には言葉に見られる感嘆の念は感じられない。そのぐらいのはやってのける。分かりきっていたと言わんばかりだ。
 シュピールは立ち止まると、フラットを一瞥した。
「どうでしたか、フラットさんの実力は」
「どうにもはっきりせぬ。魔物を一掃したときの動きは目を見張る物があった。だが、今は緩慢だ。サーディルン程度は倒せてもさらに上の敵が相手では手も足も出まい」
「そうですか……それはおかしいですね」
 本当に不思議そうに言う。シュピールが感情を露わにするのは珍しいことだ。ドルガンが訝しむ。
「いえ、前回はサーディルンが赤子のようでしたから将軍と同等の力があると思っていました。不思議ですね、以前よりも弱いなんて」
 さも当然のように言うシュピール。それに驚きを見せたのは他ならぬフラットだ。手を抜く気は毛頭ない。だが、客観的に見ていたシュピールが言うのなら間違いはない。
「どういうことだ。貴公は全力を出さぬのか。いや、その顔からすると出せぬのか」
 ドルガンは瞬時に理解し怪訝な顔をした。もし相手がサーディルンなら怒り狂っていただろう。
「フラットさん、あなたは本調子ではないのですか」
 その問いにフラットは首を横に振った。すこぶる調子はいい。いくつか悩みは抱えているが、戦いに支障をきたす物ではない。
「では、前回と何かが違うのでしょう。ただ守るだけでは理由にならないとか」
 迷いが生じるような理由で力が劣るのなら理解は出来る。フラットの場合、実力を発揮するときは常に無我夢中だ。何かの力に振り回される感覚に包まれる。呑まれると表現した方が正しいか。
 今のフラットは正常な感覚の下で動いていた。力を物に出来たのだと思っていた。だが、現実は違ったようだ。
「下らん。全力が出せぬならそれでいい。貴公の力がそれだけだったと思うだけ。茶番は終わりだ」
「少しだけ待って下さい。もしかしたら……」
 シュピールが呪文を唱えるかのように口を動かし、あらぬ方向を指差した。
「あの腰を抜かして怯えてる子を傷つけてみるのはどうでしょう」
 市民は逃がしたはずだ。それなのに避難し損ねた人がいるなんて。フラットは失敗を悔やみつつ指差す方に視線を向けた。目を見張るフラット。そこにはこの場にいないはずのレイカがいた。
「何でレイカがここにいるんだ」
 彼女は何も答えない。ただ怯えるだけ。
「彼女はフラットさんの大事な方ですよね。彼女を守る為ならもしくは」
「なるほど、面白い」
 ドルガンが背を向けてレイカに向かっていく。殺気を漲らせ、手にかける気だ。
「待てっ、ドルガン!」
 フラットはドルガンを追った。真っ直ぐレイカに向かうドルガンを必死に追った。ドルガンが剣を振り上げる。走っても間に合わない。間に合ったとしてもレイカを守れるのか。今は絶望に打ちひしがれるときではない。なんとしても守らねば。出会って三日だけど、レイカには心洗われた。彼女の笑顔に癒された。救われた。今度は自分が恩を返す番だ。全ての望みを叶えるのは無理かもしれない。それでもむざむざ殺させたくない。自分が守る。レイカを守る!
 感情が奔流となって流れ出した。体の奥底から力が漲ってくる。脳裏にエブィルの姿が浮かんだ。今なら戦える。そう思うフラットの目の前でそれは起きた。ドルガンの剣が振り下ろされたのだ。
「やめろっっっ!」
 フラットの声が空しく響く。振り下ろされた剣がレイカの体を切り裂いた。激しく血が噴き出し、レイカが倒れ込む。レイカはぴくりともしない。凶刃に倒れたのだ。
 守れなかった。また守れなかった。
 絶望が胸を締め付ける。フラットはその場に崩れ落ちた。地面を力の限り殴る。何度も何度も殴り、そして――空を見上げた。
「くそーーーーーーーーーーーーーーー!」
 絶叫が空しく響き渡った。そのフラットの後ろ姿を見るシュピールがにやりと笑う。屍になったはずのレイカの姿が跡形もなく消えていた。フラットは奇妙な異変に気付かず叫び続けるのだった。




 第六章 継ぐ者達


       1

 言い知れぬ予感にレイカは足を止めた。ギーレンが遅れて立ち止まって振り返る。
「どうした、何かあったのか」
「ううん……フラットさん、大丈夫かなって」
 遠く離れていては何が起きたか知る由もない。傍にいられず心配になる気持ちはギーレンにも理解できた。
「あいつなら自力で何とか出来る。それよりもこっちの心配をしろ」
 レイカはしぶしぶ頷いた。後ろ髪引かれる思いで再び走り出した。目的地はすぐそこだ。人影はなくなり、死骸死体の山が築き上げられている。魔物は全滅、兵士の側にも甚大な被害が出ていた。
 視界を塞ぐ土煙も雨に濡れてすぐに消えた。姿を現したのは兵士にとどめを刺して優越感に浸るサーディルンだった。自らの力に酔いしれてるようだ。
「ここにもなかなか骨のある奴がいた。楽しませてもらったよ」
 狂気に顔を歪ませ、引きつらせながら笑い声を上げた。本心から戦いを楽しんでるのは明らかだ。
「ようギーレン、貴様もこっちに来いよ。こいつらはぼろ雑巾のように壊れていくんだぞ。こんな楽しいことが他にあるか」
 昨日は妙に落ち着いていた。枷をはめられているかのようだった。だが、今は違う。己の性(さが)のままに殺戮を楽しんでいる。抑え込んでいた反動か、憎しみにより感情のコントロールを失ったか。
「どうしたギーレン。そうか、俺様に怯えてるのか。それも仕方あるまい。俺様は以前とは比べものにならない力を手にしたのだからな」
 サーディルンの高笑いが一帯を震わせる。ばかでかい声が耳をつんざく。
「ついに狂ったか」
 ギーレンが呆れて呟いた。レイカは眉根を寄せる。
「何なの、こいつは」
「フラットに敗れたただの魔族だ」
「こんな悪魔のような敵と……」
 信じられないような目で見る。だが、レイカはすぐにはっとした。この無慈悲な惨劇を目の当たりにしたことがあったからだ。
「懐かしいわね」
 レイカはその声に弾かれるようにして振り返った。そこにはメンティラがいたのだ。過去を振り返り懐かしむようにレイカを見つめていた。
「言った通り会えたでしょ? 再会できて嬉しいわ」
「メンティラ・アーヴィン、よくもぬけぬけと」
「だって本当のことですもの。あたしの愛しいレイチェリカ。本当に綺麗になったわね」
「ふざけないで!」
 レイカは声を荒げるとメンティラを睨み付けた。それで動じる女ではない。メンティラが冷たい目で微笑んだ。
「てっきり彼が来ると思っていたけど向こうに行ったようね。それに彼女はまだいない。揃うのはもう少し先のようね」
 周囲を見回しながら意味不明な言葉を呟いた。
「何を言ってるの」
「時が満ちればあなたも理解できるわ。それよりも聞きたいことがあるのでしょう? あなたがこうして私を求めたのをそれが理由。良い機会だし答えてあげるわ」
 よどみない口調がレイカの神経を逆なでした。多くの人の、大切な人の命を奪った女性が未だに安穏としていられることが信じられなかった。
「つまらん余興はやめて戦おうぜ」
 サーディルンがにやりと笑いつつぼやいた。
「少しだけ時間をちょうだい。どうせだからあなたも聞くといいわ。話が終われば存分に戦わせてあげる」
「貴様がそう言うなら従おう」
 サーディルンがあっさり引き下がった。何度見ても異様な光景だ。彼が美人に弱いとかそんな可愛らしい理由ではないのは明らかだ。サーディルンが今にも爆発しそうな不満を全身で表していた。自らの意志で堪えるのではなく、何かの力で押さえつけられてる。術者の言いなりとは本当のようだ。
「これで腰を据えて話せるわ。さあ何でも聞いて」
 これから普通の昔話をしようという雰囲気だ。平然としていられるメンティラの神経は異常だ。とはいえ、この機会を逃すつもりはない。レイカはずっと聞きたかったことを口にした。
「どうして変わってしまったの」
 レイカは憎しみに身を引き裂かれそうになる。彼女の言葉にメンティラが首を捻った。
「どう変わったのかしら」
「あれだけ優しくて自分を律してきたあなたがなぜ私欲に走ったの? なぜ愛していたお兄様を殺したの? あたしには分からない。どうしてこんなに変わってしまったのか。優しいお姉様はどこに行ったの?」
 悲痛の叫びを口にすると、あろうことかレイカが憧れた、慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべたのだ。当時の面影そのままの。
 レイカは嬉しくなって瞳を潤ませた。消えたと思っていたレイカがよく知る女性が戻ってきたことを喜んだ。だが――
 期待に胸を膨らませるレイカは一瞬で地獄に突き落とされた。メンティラの表情が凍て付いたものに戻ったからだ。
 顔をしかめるレイカに薄ら笑いを向けた。
「今のが答えよ。優しい私はただの幻影」
「嘘よ!」
「いいえ、嘘じゃないわ」
 絶望を突き付けられたような気持ちになる。それでもレイカは信じていた。昔のメンティラは優しかったと。
「あたしのお姉様を返して」
「それは無理よ」
「どうして!」
「それは私が私だから」
 真意は分からない。だがそれは確かな拒絶だった。
「私がメンティラ・アーヴィンだから。私がDを継ぐ者だから」
 意味が全く理解できなかった。レイカは困惑するばかり。彼女の後ろでギーレンが眉根を寄せている。
「あなたの兄に近付いたのもあなたに優しくしたのも、アーヴィン家に生まれたのすら最初から決められていたこと。一族一の力を備えて守護者になったのも全ては計画の為よ」
「計画って……それだけの理由で殺したって言うの?」
「そうよ。彼らは邪魔だから殺した」
「お兄様も……?」
 メンティラは一瞬だけ間を置いて頷いた。ほんの僅かだが、迷いに似た何かが感じ取れる。レイカは訝しみ、言葉を続けた。
「お兄様を愛してたんじゃないの?」
「愛してるわ」
「それならどうして? 愛した人を手にかけるなんておかしいよ!」
「そうね、おかしいわ」
 他人事のように言うメンティラに対して怒りがこみあげてくる。だが、次の言葉に怒りのはけ口を失う。ただ戸惑うばかり。
「私は確かに彼を愛していた。いえ、今も愛しているわ。でもね、これは運命なの。書物を奪ったのも運命。彼を殺したのも運命。後に障害となる彼は真っ先に始末すると決められていた。私に抗うことは出来ないの」
 レイカの兄のことを話すときだけは優しい顔に戻っていた。本当に残念そうに。メンティラにそうまでさせる運命とは何なのか。
「あなたの言う運命が、計画がフラットさんとどう関わるの?」
「それは私にもはっきりとは……でも、ただ一つ言えるのは彼が全てを知ることだけは避けねばならない。知らぬままレールに乗ってもらわねば。その為には彼がLを継ぐ者に何を教わったのか、何を受け継いだのか知る必要があるの。分かってもらえるかしら」
「分かんないよ」
 レイカは何度も首を横に振った。繰り返し何度も、必死に。
「大切な人を奪ったあなたのことなんか分かりたくない。その上、今度はフラットさんを巻き込むなんて。彼をあなたの好きにはさせない。絶対に!」
 決意を込めて言うと、メンティラが悲しげな目をした。
「そう、あなたは彼に惹かれているのね。残念だけどそれも決められていたことなの」
「え?」
 予想すらしていない言葉にレイカは目を丸くした。自分がフラットを好きになるのが決定事項だと言われたのだ。その驚きは頭が真っ白になるほど。レイカ自身もその出会いを運命だと感じている。それはあくまで主観だ。客観的に告げられるとは誰も予想していない。
「エブィルの名を継ぐ者とランドルフの血を継ぐ者、二人は出会うべくして出会った。そう言ったのよ」
「それって……」
 五千年前から決まっていたことだと言うのか。簡単には信じられなかった。
 レイカはかぶりを振る。自分の気持ちは過去とは関係ない。必死に否定した。だが、拒否する反面、思い当たる節もある。たいして知りもしないのに、フラットの見た目以上に内面に惹かれていた。性格よりもさらに根底にある物に。
「そして、イルヴィナの血を継ぐ私とも」
「…………」
 声にならなかった。レイカは黙ったままうずくまる。イルヴィナ、エブィル、ランドルフ――かつての大戦で天上界の軍隊のトップで魔王軍と戦った者達。その名が次々と出てくる。史実として知っていた事柄でもレイカにはショックだった。運命を受け入れかけていた。
 突然、強い振動が地面を揺らした。サーディルンが肩に抱えていた剣を地面を叩き付けたのだ。
「いい加減、話は終わろうぜ。これ以上はしらける」
「それもそうね。話せることもなくなったし潮時ね。後はあなたの好きになさい」
「けっ、ようやく許可が下りた。ギーレン、まずは貴様から血祭りに上げよう」
 今まで投げやりにメンティラに向けていた視線をギーレンに移した。不敵な笑みを浮かべて剣を肩に乗せた。まるで斧を扱っていたときと同じような動作だ。
 戦えそうにないレイカを傍らに置き、ギーレンは二人の敵を警戒した。同時に二人を相手するのは難しい。だが、今は四の五の言ってられない。どちらが向かってきても対応できるように意識を集中した。
 メンティラが呆れ顔で両手を挙げる。
「心配せずとも私は手を出さないわ。なんならあなた方の戦いが終わるまでレイチェリカを守ってもいいわ」
「敵の言葉を信じられるか!」
 声を荒げるギーレンに、メンティラはくすりと笑った。
「いえ。でも、気にかける余裕はないはず。それにまだレイチェリカが傷つくのは本意ではありません」
 そう言うメンティラから他意は感じられない。それどころか感情も掴めなかった。本当にレイカの心配はないようだ。
「ご託はいい。早く始めようぜっ!」
 サーディルンがにやりと笑った。同時に、抑え込み煮えたぎっていた殺気が爆発する。それはギーレンを真っ直ぐに捉えていた。
「肩慣らしが足りないんでな。俺様の相手をしっかりしてくれよ」
「貴様は俺が倒す。肩慣らしなど意味はない」
 互いに剣を構え、相手を睨み付けた。十分な距離を取ると、じりじりと詰め寄った。間合いを計り、飛び出すタイミングを窺う。
 先にしかけたのはサーディルンだった。サーディルンは猛然と突っ込み、大剣を振り下ろした。空を切るのも構わず振り上げる。後ろに跳んで躱すギーレンを追走し、横薙ぎにした。
 ぎりぎりで躱すギーレンを風圧が襲った。大剣が空を切るたびに強い力が全身を叩き付ける。後ろに跳ぶギーレンの体を吹き飛ばした。バランスを崩すも難なく着地すると、地を蹴るサーディルンに真っ向から向かっていく。一瞬で間合いを詰めると互いの剣がぶつかった。金属音と共に重い衝撃がギーレンを襲い、腕が浮き上がる。その勢いを体に乗せて翻すと、剣を横に振るった。
 跳び上がり躱すサーディルンに踏み込みつつ一閃。目測よりもさらに後ろに跳んでいたサーディルンの懐に飛び込み、剣を振り上げた。仰け反るようにして躱され、続けざまの攻撃を繰り出す。だが、すでに上体を起こしていたサーディルンに弾かれた。
 ギーレンが後ろに跳ぶ。さっきまでいた場所を大剣が通り過ぎ、地面を抉った。
 サーディルンが顔を向け、にやりと笑った。
「どうした、これで終わりか」
「まだだ!」
 ギーレンが地を蹴る。さっきよりも速い速度で間合いを詰めると、素早く剣を振るった。攻撃を風に乗せ、剣速を上げる。初めは躱されていた攻撃も弾かれるまでになった。さらに素早く攻撃し、反撃する隙を与えなかった。
 剣が風を帯びていく。受け止められるが切っ先がかまいたちのようにサーディルンを襲い、無数のかすり傷を生んだ。全身の至る所から血が滲み出るが、高揚したサーディルンには蚊の涙ほどの苦痛も与えられなかった。
 致命傷を与えられなくて攻撃の手を緩められない。油断すれば手痛い反撃を受ける。さらに速度を速めて押し込んだ。
 ずるずると下がるサーディルン。その顔には不敵な笑みを浮かべている。防戦一方なのに、どこか余裕を感じさせた。好きなだけ攻撃させよう。そう言わんばかりの表情だ。
 人間は誰しも全力では動き続けられない。息継ぎの為に手を緩める必要もあるし、体力は無尽蔵ではない。疲労は溜まり、動きが鈍る。反対に、守る側はその都度力を込めるだけで十分だ。実力が均衡した物同士の戦いではその影響が如実に現れる。
 剣速が緩んだ。疲労で腕の感覚が鈍り、力を乗せられなかったのだ。大きな隙が生まれ、それを見逃さなかったサーディルンが大剣を一振りした。大振りだが思い切りのいい攻撃にギーレンは避けることも適わなかった。受け止めるが衝撃に体が吹き飛ばされた。もんどり打ち、地面に叩き付けられる。
 倒れ伏すギーレン。それを離れた場所から見下ろすサーディルン。
「本気を出せよ、なあ、本気を」
 つまらなそうに見下していた。
 ギーレンは手をつき、ゆっくりと起き上がった。想像以上の強さに驚愕の目を向けた。サーディルンはたいして動いてないのに、ギーレンばかりがダメージを受けている。強さは歴然としていた。昨日戦ったときよりも強いのだ。
 今のままでは勝てない。速さで翻弄すればギーレンが負けないかもしれない。だが、いつかは体力が尽きる。普通に戦っていては勝てないことを悟った。ずるずると引きずられる前に手を打つ必要があった。
 勝算はある。ギーレンは口の端を歪めて言った。
「貴様の言う通りだ。ここからは本気を出さねばなるまい」
「そうだ。手の内を全て見せろ。そうでなくては面白くない」
 サーディルンが余裕の笑みを見せる。だが、余裕を見せたのはギーレンも同じだった。荒れる呼吸をゆっくりと静める。
「この十年間、無駄に過ごしてきたわけではない。辛く長い修行の日々の結果、人の手には……俺の肉体には余る力を身につけた」
「それは面白い。まさかはったりではなかろう」
「当然さ。だがもう手加減は出来んぞ」
 しっかりと地面を踏み込み、剣を前に構える。視線はサーディルンに据えたまま意識を集中させた。
「出来れば使いたくはなかった。だが、俺も無駄死にするわけにはいかん。覚悟しろ、サーディルン」
 静かに呟くと、じわじわと全身が熱気を帯びていく。それが壁のようになり、降り注ぐ雨を弾いた。ギーレンを中心に風が渦を巻く。熱を帯びた風が一帯に嵐を引き起こし、視界を遮らんとする。
 ギーレンの内から吹き出す気配にサーディルンが目を見張った。溢れ出るのは殺気でも魔力でもない。しいて言うならば闘志と呼ぶべきか。その力の存在をサーディルンが知るわけもなく、初めて見るその何かに脅威を感じた。本能で危険を察した。
「サーディルン、それは危険よ!」
 戦いには興味なさげにしていたメンティラが声を荒げた。慌てる様子が見て取れた。予想外の彼女の反応にサーディルンの驚きは一入(ひとしお)だ。それだけの危険が、力が目の前に現れようとしている。
 サーディルンの笑みがさらに際だつ。恐怖すら楽しんでるかのようだ。
「そうだ、これが俺様が求めていた戦いだ。もっとだ、もっと俺様を震えさせろ。その力を俺様に見せてみろ!」
 狂うかのように笑うサーディルン。すでに正気は消し飛び、目の前の戦いしか見えていない。フラットへの復讐もとうに忘れている。以前の殺戮で悦に入った彼ではなかった。戦いだけが生きてる証だと言わんばかりだ。
 ギーレンの周囲を吹き荒れる風が一気に集束していく。一帯が静寂に包まれ、一呼吸の後に圧縮された空気が爆発した。鼓膜を破りそうなほどの破裂音と共に衝撃が放射状に広がる。いち早く危険に気付いたメンティラがレイカの前に立ち、防御壁を張る。その周囲で多くの建物が押し潰された。
 破壊の限りを尽くす衝撃の中、全身を傷つけられながらもサーディルンが突っ立っていた。今のが攻撃ではないと気付いていたからだ。真っ直ぐ見据える先でギーレンが僅かに体を揺らす。衝撃が本人を襲ったのは間違いない。足を踏み込み、倒れるのを堪えている。ギーレンを覆っていた風は消え、代わりに剣の周りを空気の刃が渦を巻いていた。
 異変はそれだけではない。剣が銀色の輝きを宿していたのだ。金属の輝きではなく、自らが眩い光を発していたのだ。直視すれば目が焼かれそうなほどの光だ。
「音速の剣(ソニツクブレード)。これに斬れぬ物はない」
「たいした自信だ。その自信、俺様がへし折ってやる」
 サーディルンは大剣に炎を纏わせた。大きな、より大きな炎を生み出した。一振りすると周囲に炎が飛び散った。雨に濡れても消えないほどの高熱を帯びた業火だ。
 炎の剣を地面にこすらせながらサーディルンが近付いてきた。一瞬で斬りかかれる距離まで詰めると大剣を振り上げた。にやりと笑い、地を蹴った。地面が抉れ、体が目にも止まらぬ速さで押し出されてくる。渾身の力を込めてギーレンの頭上に振り下ろした。
「やめなさい、サーディルン!」
 咄嗟に叫ぶメンティラの声がサーディルンには届かなかった。聞こえたとしても反応する暇はない。刹那の時に勝負は喫したのだ。
 ギーレンが踏み込む。振り下ろされる大剣めがけて剣をすくい上げた。風を切る音が響く。ただそれだけだった。衝突による金属音はない。大剣に刃が食い込み真っ二つに切り裂いたからだ。折れる音もない。あまりに速い剣撃だったからだ。
 ギーレンの攻撃が大剣をすり抜けるようにしてサーディルンに迫った。咄嗟に張る防御壁も難なく破られる。身をよじるしか致命傷を防ぐ手はなかった。辛うじて躱すが、左腕が餌食となって消し飛んだ。剣が通り過ぎた空間が断裂し、剣先から発せられる衝撃が第二の刃となってサーディルンを襲った。
 実体ほどの威力はなく、サーディルンの腹から胸にかけて深々と傷を負わせた。血しぶきが上がり、体が後ろに吹き飛んだ。背中を叩き付けられ、そのまま滑るようにして地面を突き進む。何度か跳ねてようやく勢いを失った。
 サーディルンが止まるのを待ってギーレンは膝をついた。剣に集束していた力を霧散させ、地面に突き刺して支えにした。今にも倒れそうなほどの疲労に見舞われるが、何とか堪えた。まだ敵は残っているからだ。
 余力はない。それに気付いたのか、驚愕に顔を染めていたメンティラが不敵な笑みを浮かべたのだ。ギーレンは言い知れぬ不安に駆られ、ふらつく足で立ち上がった。
「確かに末恐ろしい技だけど、一撃で仕留められなかったのはあなたの失態ね」
「仕留め損なった……だと?」
 眉根を寄せるギーレン。その答えはすぐに出た。サーディルンが苦悶の声を上げながら上体の起こしたのだ。だが、どう見ても虫の息。胸部からの出血が酷く、さほど時間を要せずに息絶えるだろう。メンティラの言葉の意味が理解できず、ただただ困惑するばかり。すぐに疑問は解けることになる。


       2

 フラットの絶叫が雨空に消えていく。どこまでも響き渡る。レイカを死なせてしまったことが彼の胸を締め付けた。自分が関わったせいでハバードを死なせてレイカをも失った。なぜこうも無力なのかと悔やんだ。しだいに命を奪ったシュピールへ、ドルガンへの憎しみが膨れあがってくる。
「どうです? 彼女を殺された今のお気持ちは」
 答えるまでもなかった。フラットはシュピールを睨み付ける。きっかけを作ったという理由で。視線をドルガンに向けた。レイカを手にかけたという理由で。
 シュピールが声を殺して笑っていた。それもそのはず。レイカは生きているからだ。今頃はギーレンと共にサーディルンと対峙している頃だ。平常心を失ったフラットがそれに気付くわけもなく、知る由もない。
「憎いでしょう、私達が。殺したいと思ってるでしょう、私達を。さあ今こそ感情を解き放ち、彼を倒しなさい」
 そんな子供じみた挑発も今のフラットには効果絶大だ。憎悪にまみれた表情を魔族の二人に向けた。
「ふざけるな! あんたのせいで……あんたらのせいでレイカは死んだんだ。許さない。絶対に許さない! 貴様らぶっ殺してやるっっっ!」
 それは魔物の咆哮に似た叫び声だった。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
 再び空にあがる絶叫。悲痛の叫びではない、憎しみの叫び。口を割って出ると同時に殺気が爆発的に膨れあがった。声が消え入ると、鬼のような形相をドルガンに向ける。余裕を見せていたドルガンが思わず後ずさるほどの迫力がある。
「我が怯えてるとでも言うのか」
 体が震えていることに気付けないほどフラットに釘付けになっていた。その様をシュピールが平然と見ている。殺気を向けられていない余裕からか、嬉しそうにすら見える。今のフラットを待ち望んでいたかのようだ。
「どういうことだ、これは」
 ドルガンが言うと、シュピールはくすりと笑った。
「質問の意図が分かりかねますが」
 分かっているのに首を傾げる。その人を小馬鹿にした態度にドルガンは怒りを露わにした。シュピールを噛みつかんばかりに睨み付けた。
「ふざけるな! これはどういうことだ……報告にはなかったぞ。この気配は、恐ろしい程までの強大な殺気はまるで……」
 怒りの中にも優しさを残し、けして憎しみに呑まれなかったフラットが今は理性を失っていた。野獣と化していた。彼を中心に風が渦を巻き、瓦礫が吹き飛ばされる。地面が揺れ、フラットを中心に放射状に抉れる。その身から魔力が溢れ出し、半ば垂れ流しになって周囲の建物を倒壊させた。
 フラットが殺気を増大させながらゆっくりと近付いてくる。踏みしめるたびに地面が抉れ、それはさながら動く破壊兵器だ。全てを破壊し尽くすまで止まることを知らない。
 後退るドルガンにシュピールが笑いながら言った。
「今は話してる場合ではないですよ」
「分かっている! だが、こんな化け物だとは聞いていない」
「ええ、言ってません。ですが、今の彼からは前回以上の力を感じますね。前回が正の力ならこれは負の力ですか」
 悠長に説明しているときではない。ドルガンの嘆きは口を割って出ることはなかった。フラットが走り出したからだ。
「天上人におくれを取るわけには行かぬ。ねじ伏せるのみ」
 さすがは実力で将軍の地位に上りつめただけはある。ドルガンは覚悟を決め、覇気を押し出してフラットを睨み据えた。駆け寄り一撃を繰り出すフラットに立ち向かう。激しい金属音が響き、鋭い衝撃が襲った。弾かれるようにして後ろに跳ぶと、追走するフラットに殺気をぶつけた。
 野獣の本能と言うべきか、フラットが踏み止まる。殺気の質からドルガンの力量を感じ取り、間合いを計っているのだ。
 衝撃で痺れる腕にもすぐに感覚が戻った。
「あの速さにこの腕力……小さな体のどこにそんな力がある。それにこの気配……覚えがあるぞ」
 どちらにしろ真っ向勝負では分が悪い。ドルガンも力に絶対の自信がある。だが、枷が外れた者を相手にするとなると話は別だ。隙を見せればたちまち倒される。ドルガンは怯えを振り払い、地を蹴った。
 ドルガンの動きに合わせてフラットが動いた。フラットが荒々しく地を蹴るとドルガンの視界から消えた。目にも映らぬ速さで間合いを詰めたのだ。気付けば目の前に現れて剣を振るっていた。溢れ出す殺気が全ての行動を相手に教える。ドルガンは何とか攻撃を弾き、懐に飛び込んだ。
 一閃。だが、フラットはどこにもいない。気配を追って見上げると剣を振り下ろした後だった。ドルガンは剣身に片手を添えつつ受け止めた。衝撃で地面が沈む。風が吹き荒れ、ドルガンの全身が切り裂かれた。血が滲み出て苦悶に顔を歪める。
 フラットは空中ですかさずもう一振り。更なる衝撃がドルガンの足下の地面を抉る。ドルガンは膝をつくと、勢いを失ったフラットを剣を振るって払い除けた。フラットが宙を舞い、難なく着地した。
「覚えている。覚えているぞ。初めて魔王と対面したときもそうだった。恐るべき殺気でその場の全員をひれ伏せた。忘れはしない、あの恐怖を」
 誰にともなく言うと、ドルガンはゆっくり立ち上がった。一度の接触で思いの外傷を負った。ダメージは大きいが支障はない。にやりと笑ってフラットを睨み付けた。
「だが、今の貴公はその足下にも及ばぬ。力に振り回されれば身を滅ぼすぞ」
 声を荒げるが、フラットには届かなかった。目の前の獲物にしか興味がない。その目が、その気配が物語っていた。
 フラットがゆっくりと向かってくる。剣を構えて次の一手を待つドルガン。その間合いに入った瞬間にフラットの姿が消えた。ドルガンの横に現れる。
 フラットは身を沈め、振り向きざまにすくい上げた。すかさず繰り出される袈裟斬り、横薙ぎ、振り下ろしの全てを躱し、ドルガンは反撃に打って出た。
 フラットの剣が地面を抉る中、それを横に避けてかいくぐり懐に飛び込む。一撃目は後ろに跳んで躱され、即座に間合いを詰めて再び剣を振るった。それ以降も連続で重い衝撃を加えるが軽々と受け止められた。
 ドルガンから余裕は消え失せていた。魔王の足元に及ばずともその力は絶大だ。一撃で吹き飛ばせていたのに、今は赤子のようにあしらわれている。形勢は逆転していた。
 迷っている暇はない。ドルガンは内に眠る魔力を紡ぎ出し、全身に行き渡らせる。魔術による肉体強化だ。力が漲り、筋肉が盛り上がる。渾身の力を込めて剣を振り下ろした。攻撃を受け止めたフラットが後ろに吹き飛んだのだ。
「これでは速さに難はあるが、貴公を倒すには必要の力のようだ」
 土煙を上げてもんどり打つフラットを見据え、ドルガンは手応えを感じていた。勝てぬ相手でないと。
 ふらつきながら立ち上がるフラットの目は死んでいなかった。それどころか楽しんでいる節がある。獣のような目で笑い、ドルガンを睨んでいたのだ。身を屈めると猛然と突き進んできた。一瞬で距離を詰めると、ダメージをものともせずに剣を振るった。大振りだがとてつもない速さだ。ドルガンは横手に弾くのが精一杯だった。
 フラットの攻撃は続いた。更なる攻撃を横に跳んで躱すと、体勢を立て直して連続攻撃を弾いた。僅かに攻撃が緩む瞬間を狙ってドルガンが一閃した。強化された肉体から繰り出される剣速は群を抜いていた。強い衝撃に、受け止めるフラットの体がずる。続けて振るうと地面が抉れた。三撃目でバランスを崩し、次の攻撃でフラットの体が宙を舞う。それでも攻撃の手を緩めない。
 ドルガンは地を蹴り、空中のフラットに肉薄した。下から突き上げる攻撃にたまらず避けるフラットを追った。身を翻して見下ろすと剣を振り下ろす。確実に捉えた攻撃は受け止められるが、衝撃を逃がせずにフラットが地面に叩き付けられた。
 全身を襲う衝撃にフラットの肺から息が絞り出される。痛みに顔を歪めると思いきや、表情に浮かぶのは笑みだった。
「くそっ、痛みを感じないのか!」
 体を横たえるフラットに着地と共に再び剣を振り下ろした。金属音が響き、フラットの背が地面に沈んだ。力を込め、体重を乗せるとさらに沈み込む。明らかに有利な立ち位置なのに、崩れるのは地面だけだ。力は拮抗していた。
 フラットがにやりと笑う。背筋が凍り付く感覚に襲われてドルガンは飛び退いた。同時に衝撃波が空に向かって消える。あのまま鍔迫り合いを続けていれば頭が消し飛んでいた。そう思えるほどの威力が感じ取れる。
 額に汗がにじむ。立ち上がろうとするフラットに機会を与えてはならない。そう直感して距離を詰めた。すかさず剣を振るい、弾かれるのも構わずもう一撃を加えた。さらなる攻撃を繰り出そうとして振り上げるよりも速くフラットが一閃。ドルガンの体が軽々と吹き飛ばされた。
 地面に打ち付けられ、ドルガンは苦悶の声を漏らした。立ち上がるよりも早くフラットが詰め寄り、剣を突き立てた。転がるようにして躱すとその勢いで立ち上がり、振り向くフラットに向けて剣を振るった。
 強い衝撃が襲った。ドルガンとほぼ同時にフラットが一閃したのだ。受け止めるのが精一杯だと高を括っていたせいで衝撃を逃がせず、後ろに吹き飛ばされた。間髪入れずに肉薄してくるフラットの攻撃を躱し、身を翻して横薙ぎにするが空を切った。姿を見つけるよりも早く横殴りの衝撃が走る。強い振動で目の前が真っ白になり、気付いたときには地面に横たわっていた。
 ドルガンは何が起きたのか分からず呆然とする。だが、頭上に現れた殺気に慌てて横に転がった。地面を抉る音が響き、我に返った。即座に立ち上がると、背後に迫った攻撃を弾いて躱す。沈み込むとフラットの足をすくい上げる。しかし、フラットは跳び上がり難を逃れていた。
 頭上から振り下ろされる攻撃を躱すと、フラットに向かって踏み込み剣で突く。腕で弾かれ前のめりになるところに背中から打撃を受けた。ドルガンは倒れ伏すと、痛みを堪えて横に転がった。フラットの攻撃は転がる先に振り下ろされたのだ。寝たままで受け止めると、ずっしりと重い衝撃に腕が痺れた。続けて剣での攻撃を受ければ止められない。咄嗟にフラットを蹴り飛ばした。
 蹴りがカウンターとなり、フラットが思いの外遠くまで飛ばされた。ドルガンはすぐに起き上がって剣を構える。だが、握るのがやっとで振るうほどの力は残されていなかった。
「まだ速度も力も上がるのか。我にはもう抗えぬのか」
 ドルガンはフラットの想像以上の強さに愕然とした。弱音を吐かずにはいられないほど苛ついていた。だが、負けを受け入れれば待つのは死のみ。戦いとはそう言うものだ。
 ゆらりと立ち上がるフラットを見据え、ドルガンが最後の勝負に出た。相手よりも先に飛びだしたのだ。渾身の力を込めて剣を叩き付けた。だが、腕の一振りで軽々と弾かれたのだった。
 ドルガンの剣は宙を舞い、離れた場所に突き刺さる。剣身に一筋のひびが入り、真っ二つに折れた。武器の末路を見届けてから膝をつく。圧倒的な力の差に気力も果てた。後は止めを刺されるのを待つだけだ。
 フラットが勝利の雄叫びを上げた。
 獲物を見るような目でドルガンを睨み、剣を振り上げた。ドルガンがうつむき、目を閉じた。死を覚悟する男を前にしても何も感じない。フラットの中にこれほどまで大きな闇が潜んでいる。その事実にシュピールがほくそ笑んでいる。あれほど人の命を奪うことを嫌がっていたフラットがその手を血に染めようとしているからだ。
 シュピールの笑みがいっそう怪しさを増す。フラットが確かな殺意を向ける。柄を握る手に力がこもる。腕の筋肉が引き絞られる。剣が目にも止まらぬ速さで振り下ろされた。風を切る音が響き渡った。フラットの剣がドルガンの首筋に触れ、薄皮一枚食い込んで止まったのだ。
 シュピールが目を丸くする。誰もが止めを刺したと思う状況でドルガンの首が繋がったままなのだ。よく見ると攻防は続いていた。フラットの腕の筋肉が震えている。引く力と押す力がせめぎ合っていた。

 寸前の所で踏み止まるフラット。今まさに剣を振り下ろそうとした、その時だった。謎の声が脳裏に響き渡ったのだ。
『力に呑まれてはならん。正気を取り戻すのだ』
 それは図太い声だった。目に浮かぶのは大柄で屈強な男。どことなくエドガルドの面影のある、だけど優しさよりも力強さが勝る男だ。フラットには見覚えがあった。それは……その男は――
 我に返ったフラットの視界に飛び込んできたのはドルガンだった。何の抵抗もせず死を待っている。その異様な光景に至った経緯が分からず、フラットは困惑した。それでも分かっていることはあった。フラットの剣がドルガンの首を切り落とそうとしている。状況に流されたままだと取り返しのつかないことになる。それだけは回避せねば。
 するべきことを理解してからのフラットの行動は迅速だった。重みに任せて下がる剣を力任せに引いた。伸びきった腕の筋肉が正反対の力に引かれて軋む。筋繊維が引きちぎられて激痛が走った。苦悶に顔をしかめ、必死に耐えた。剣がドルガンの首に当たり血が滲み出たところでようやく止まった。油断は出来ない。力を抜けば剣が食い込む。頸動脈を傷つければ致命傷になりかねないからだ。
「こんちくしょーーーーーーーーっっっ!」
 力任せに振り上げた。同時に体を仰け反らせて首から剣を離す。勢いよく浮き上がり、そのまま後ろに倒れた。頭が瓦礫に当たり、鈍い音が響く。
「痛っっっ」
 鈍い痛みに顔をしかめた。咄嗟に頭を抱えようとしたが手に力が入らなかった。しばらくその場でのたうち回り、ようやく痛みが引き、力が戻ったところで上体を起こした。そんなフラットをドルガンが唖然として見ていた。
「何だよ」
 半眼で睨むと、ドルガンがはっとして言った。
「どうして止めを刺さぬ。情けは無用だ」
 フラットは首を捻った。
「そんなこと言われてもなあ……それに俺はあんたを殺さないよ」
「な! 何を言って……まさか、貴公は何も覚えておらぬのか」
 ドルガンの驚きは一(ひと)入(しお)だ。自分を圧倒した相手がいつまでも惚けているのだ。
 現状で何が起きたのか察しはついていた。だが、記憶が乏しく、レイカが倒れる姿を見たのが最後だ。それから謎の声が聞こえるまで意識が飛んでいた。理由は分からない。ただ、怒りに我を忘れてドルガンを殺しかけたのだ。
「そう言えばレイカは……?」
 この場にいるはずの少女の姿を捜した。きょろきょろと見回すが見当たらない。戦いの最中に消し飛んだのではないかと絶望視していると、シュピールが口を挟んだ。
「彼女はここにはいませんよ」
 意外な答えにフラットは首を傾げた。シュピールがくすりと笑う。
「あれは私が見せた幻影です。彼女の居所はあなたが一番ご存じのはず」
「それはそうだが……あれは確かにレイカだった」
「ですから幻です」
 フラットは未だに意識がはっきりしないのか、シュピールの言葉の意味がいまいち理解できなかった。いきなり幻影だと言われても信じられなかった。それに、なぜわざわざ幻を見せたのか。真意が分からない。
「シュピール、あんたの目的は何なんだ」
「それは何度も申しあげたはず」
「離反者の捕縛……だろ? 俺が聞きたいのはその事じゃない。なぜ幻を見せてまで俺に戦わせた。捕縛するだけならあんたと二人で戦えばすむはずだ」
 あのままではフラットが負けていた。それでもシュピールと手を合わせれば勝てたはずだ。協力しないことに他意があるのは明らかだ。
「私はフラットさんの力の底が知りたかったのです。怒りは見事に枷を外してくれました。以前よりもさらに素晴らしい戦いぶりでしたよ」
 ひょうひょうとして話の本質をすり抜けていく。シュピールから真意を聞き出すのは無理なのか。フラットは彼を鋭い目で見据えた。
「それも魔王の命令か」
「いえ、個人的な興味です。こうして戦いぶりを傍から見たのは私だけですので」
 嬉しそうに見えるのは気のせいなのか。
「ですが、一つだけ腑に落ちません。なぜぎりぎりで意識を取り戻したのですか」
 シュピールにも理解できないことがあった。フラット自身も分からないのだ。他人が理解できるはずもない。
「誰かに止められた気がしたんだ。そう、あれは多分……」
 言いかけてかぶりを振った。もしそれが本当だとしても信じられないからだ。
 シュピールは首を傾げた。フラットが言いかけた何かが大切なことだと直感しつつ答えを見いだせなかった。それよりも優先すべきことがある。
「フラットさんは早くサーディルンの方へ向かって下さい。今の彼からは違和感を感じます。本物の彼女が危険かも知れません」
「だが……いいのか」
 フラットはドルガンに視線を向けた。シュピールが頷く。
「ドルガン将軍に余力は残されていません。不本意かも知れませんが魔王軍が回収させて頂きます。それよりもあなたは仲間の下へ」
 その提案を呑まざるを得なかった。戦いが終わった今、フラットがここにいても意味はない。レイカ達が心配だ。魔族二人を残していくのは問題があるが、これ以上破壊行為に及ばないことを信じるしかない。
「後は頼んだぞ」
 そう言い残してフラットは去った。頭の中はすでに仲間のことでいっぱいだ。消えていく背中を見送るとドルガンが言った。
「これで良かったのか」
 意味深な言葉にシュピールが頷いた。
「ええ、十分です。ご協力感謝します」
 礼を言うシュピール。ドルガンの裏切りは虚言だったのだ。
「ですが、謎は深まりました」
「あの殺気のことか。まるで魔王と戦っているようだった。魔力による肉体強化無しにあれだけの力が出せるのだ。あの化け物を野放しにすれば痛い目を見るぞ。魔王は何を考えているのだ」
「私には何とも……」
 シュピールは困惑の眼差しを空に向けた。そしてため息を吐いた。


       3

「おい、あれを出せ!」
 未だに傍観を決め込んでいたメンティラに向かってサーディルンが声を荒げた。胸の深い傷からの出血は止まらず、痛みは尋常ではないはず。顔色もみるみる悪くなり、今にも失神しそうだ。勝利への執念だけが体を奮い立たせていた。
 メンティラが仕方なさそうに近付いていく。
「私は構わないけど……死ぬわよ」
 表情を変えずに残酷なことを口にした。それで後込みするサーディルンではなかった。鋭い視線をメンティラに向けた。
「生き恥をさらすよりはましだ。さっさとしろ」
「やれやれ……態度は最後まで改めないのね」
 ぼやいている間にサーディルンの傍に着いた。懐から小さな瓶を取り出した。
「何だ、それは」
 息を荒げながら何とか姿勢を保つギーレンが聞いた。メンティラが振り向いて答える。
「分かりやすく言えば筋力増強剤かしら。一時的に生命力を高め、力を数倍に引き上げるの。その反動は大きくて、良くても数日は寝込むし、瀕死の重傷を負ったならまず間違いなく死に至るわ。薬と言うより毒ね。でも、これは試作品だから満足な効果が得られるかどうか……」
 ギーレンは衝撃の内容に耳を疑った。それを平然と話すメンティラを、当たり前のように受け入れるサーディルンの正気を疑った。適切な処置を施しても助かるか分からぬ傷だ。サーディルンの要求は戦いしか知らぬ者にとっては当然なのかも知れない。だが、そうまでして戦おうとするその気持ちは理解できなかった。
「説明はもう聞き起きた。さっさと寄越せ」
 強引に奪い取ると、迷うことなく瓶の中の液体を飲み干した。
 瓶を投げ捨てる。あえなく割れると、興味はサーディルンに集まった。すぐには変化は起きない。著しい変化を期待していた本人が苛立ちを露わにした。
「何を起きないぞ」
 メンティラを睨み付けるが、彼女の表情は相変わらずだ。
「もう少し待って……」
 口で数を数え始めた。薬の効果が現れるのを待っているようだ。十秒、二十秒と過ぎ、メンティラが口の端をつり上げた。
「そろそろよ」
 言うや否、サーディルンの体に異変が現れた。鼓動が激しく波打ち、全身が熱を帯びる。体温の上昇に伴い顔が赤くなった。雨粒が触れた瞬間に蒸発する。出血は止まり、みるみる傷口が塞がった。異常な回復力ですぐに立ち上がれるまでになった。
「凄いではないか、これは」
 サーディルンがにやりと笑った。有り得ない状況だ。風前の灯火だったのに平然と立ち、余裕を見せていたのだ。ギーレンは実際に目の当たりにしても信じられなかった。
「効果はもって五分よ。それまでに最後の用事を済ませてしまいなさい」
「ああ、そうさせてもらう」
 サーディルンは剣を拾うとギーレンの方に歩き出した。
 余力が残されていないギーレンは気力だけで立ち上がった。メンティラを信用するなら後五分間耐えればいい。立っていられる自信は皆無だが、愚痴をこぼす余裕すらなかった。構えるより早くサーディルンが距離を詰めてきたからだ。
 サーディルンの初手を辛うじて弾くと、連続で繰り出される攻撃を丁寧に捌いていく。体力がなければアクロバティックな動きは出来ず、最小限の体捌きで躱すしかなかった。反撃に転じることも出来ない。徐々に押され始め、余裕がなくなっていった。疲労が魔の手のように忍び込み、動きを緩慢にしていく。
 片腕を失ったサーディルンは本来の動きを出来ずにいた。バランスを取りづらいのか、一撃一撃が重くてもさほど素早くはない。力を数倍に引き上げてもこれでは意味がない。五分という時間はあっという間に過ぎる。とはいえ有利なことに変わりはなかった。攻撃にさらなる力を込め、渾身の一撃がついにはギーレンの剣をはじき飛ばした。
 ギーレンは武器を失い、勢い余って尻餅をついた。絶望の色が浮かび上がるが、目だけは炎を宿したままだった。
「この状況でまだ目が死なぬとはな。貴様の戦士としての素養は認めねばな」
「それはありがたい」
「だが、一撃でとどめを刺せなかったのが運の尽きだ」
「そうだな。自分より弱い奴にやられるのは不運としか言いようが……」
「減らず口を!」
 サーディルンがギーレンを力任せに蹴り飛ばした。ギーレンはもんどり打ち、倒れ込んだ。起き上がる気力もない。それでも睨むことをやめなかった。逆上したサーディルンに腹を何度も蹴られ、顔をしかめた。声にすらならない痛みに意識が遠のく。しばらくして衝撃が消えた。僅かに回復する視界にサーディルンの姿を捉えた。剣を振り上げ、狙いを定めていたのだ。そこでようやく死を覚悟した。
「これで終わりだ。あの世で自分の不運を恨め」
 渾身の力を込めて振り下ろす。だが、剣先がギーレンに届くよりも早く衝撃波がサーディルンを襲った。不意を突かれて吹き飛ばされ、受け身も取れずに倒れた。
「な、何が起きた?」
 困惑しながら起き上がると衝撃波が来た方向に視線を向けた。意外な人物に驚いて目を丸くし、鋭い目つきで睨む。歯軋りをして、拳を強く握りしめた。憎しみの火が点る。
「貴様はフラット・エブィル! 待っていたぞ、この時を。復讐を果たせるときを」
 その視線の先には剣を収めるフラットがいた。
「何とか間に合ったか。ギーレン、しっかりしろ」
 駆け寄るフラットを見てギーレンが言った。
「もう少しでいい夢が見られそうだった」
「それは惜しかったな」
 冗談が言えるのなら命に別状はない。フラットはそう判断して離れた場所で呆然と座り込むレイカに視線を向けた。傷一つ負ってないのを確認してほっと胸をなで下ろした。あれは本当に幻だったようだ。
 ようやくフラットに気付いたのか、レイカの瞳に輝きが戻る。すぐに悲しみに曇らせ、フラットを見つめた。何かを言いかけて口を噤む。ゆっくりと聞きたいが今はそれどころではない。フラットは律儀に待っているサーディルンに向き直った。
「その傷では戦えないだろう。今は退け」
「そうはいかん。俺様にも退けぬ事情がある」
 薬の効力が切れる時間が迫っているからだ。そろそろ過ぎる頃だ。すでに痛みはぶり返し、必死に耐えている状況だ。
「それなら仕方ない。速攻で片を付けるぞ」
「返り討ちにしてやる!」
 サーディルンは粋がるが、結果は見えていた。誰もが分かっていて口にしない。行動を見守るだけだ。
 サーディルンが猛然と突っ込んでくる。フラットは攻撃をひらりと躱し、身を翻して振り回す大剣を易々と受け止めた。続けざまの攻撃をかいくぐり、懐に潜り込むと肘打ちした。サーディルンの腹に食い込み、衝撃で吹き飛ばした。もんどり打つサーディルンに追いつくと頭上から剣を振り下ろした。
 攻撃を受け止めるサーディルンの顔がみるみる歪む。ただの一振りが重く、衝撃に耐えきれずに大剣が飛ばされた。筋力は高まったままなのに、あっさりと力負けする。フラットの尋常ではない強さにサーディルンは愕然とした。
 フラットにはまだドルガンを圧倒したときの感覚が残っていた。その実力を持ってすれば手傷を負ったサーディルンは敵ではない。薬の効果は端から無意味だ。万全な状態なら結果は変わったかも知れない。だが、先にギーレンと戦ったことで現状が導かれた。その時点で復讐は失敗に終わったのだ。
「負けてなるものか!」
 サーディルンが拳を突き出すが、軽々と弾かれた。足を蹴り上げるが空を切る。隙だらけになった体にフラットの拳が打ち込まれた。地面に叩き付けられ、顔を歪めた。すかさず起き上がろうとして、突然動きを止めたのだ。
「時間のようね」
 メンティラの呟きに呼応するかのようにサーディルンが苦しみ始めた。満足に息が出来ずに悶え、顔面が蒼白になる。全身を痛みが襲い、その場でのたうち回った。
「くそっ、こんな……こんなところでっ!」
 サーディルンが息も絶え絶えに叫んだ。ほとんど言葉にならず、空しく響き渡る。
 突然の異様な光景にフラットは困惑した。話を聞いていたギーレンでさえ驚きを隠せずにいる。
 サーディルンが苦しみ始めて一分と経たずに動きを止めた。何が起きたのか分からずフラットは駆け寄った。悶絶したのか、泡を吹き白目を見せている。慌てて脈を確認し、愕然とした。
「止まってる」
 フラットはその事実を怯えるように受け止めた。
「俺のせいで……俺が殺したんだ」
 自らの過ちを嘆き、その場に膝をつく。いつの間にか隣にいたメンティラが冷たい目を向けて言った。
「残念ながらそれは違うわ。あなたがそう思いたいのは結構だけど、手を下さずともこの時間に死んでいたの」
「それは本当か」
 メンティラが頷くのを見て少しだけ気持ちが楽になった。それでも罪悪感が胸を締め付ける。戦わなければ死なずにすんだかも、と。
 メンティラがサーディルンを拾い上げた。軽々と持ち上げたのだ。長身だが華奢な体付きでは有り得ないほどの豪腕だ。
「さてと、顔見せもすんだことだしそろそろ潮時ね。増強剤もあまり芳しくなかったし、まだまだ改良の余地があるわね。研究材料を魔王軍に回収されるのも嫌だし、私が持っていくわ」
 そう言って背を向けると、フラット達から離れるように歩き始めた。振り向くフラットがメンティラの後ろ姿を睨み付けた。
「あんたは何者だ」
 メンティラが顔だけを向ける。
「私はDを継ぐ者。いずれまた会うこともあるでしょう。歯車は神託の下、すでに動き出しています。それはもう誰にも止められません」
 にこりと笑い、それきり何も言わず振り向くこともなかった。メンティラの姿は雨の向こうに消えていった。あまりにあっさりした引き際にただ見ているしかなかった。
 ギーレンが足を引きずりながらフラットの下に来る。レイカも少ししてから駆け寄ってきた。三人は雨がやむまで瓦礫の中で黙り込んでいたのだ。彼らの周りに再び音が蘇ったのはシュピールの希薄な気配が目の前に現れたときだった。
「サーディルンは逃げたのですか」
「いや、奴は死んだ」
 ギーレンの答えにシュピールは首を傾げた。それもそのはず、この死体の山の中でサーディルンの死体だけがないのだ。
「どこに消えたのですか」
「メンティラが持ち帰った。研究材料なんだとよ」
「どういうことですか」
 訝しむシュピール。だが、敵の事情をフラット達が知るはずはない。ギーレンは表情を曇らせて首を横に振った。
「俺にも分からん。ただ、また会えるとさ」
「はあ、そうですか」
 シュピールは呆れ顔でため息を吐いた。これ以上は何を聞いても無駄だと判断し、追及をやめた。
「事後処理は貴様に任せる。せいぜいアキサスの住民にこびを売ることだな。菓子折つきで挨拶すれば喜ぶぞ」
「それは構いませんが、あなた達はどうするのですか」
 魔族に任せるなど天上人の風上に置けない。危害を加えるのは容易に想像できるはずだ。それでも任せる理由がシュピールには理解できなかった。彼らの考えを知る良い機会だとも思ったのだ。だが、あっさりと期待を裏切られた。
「帰る」
「え?」
 シュピールは自分の耳を疑った。聞き間違いだと思って聞き返す。
「もう一度言って下さい」
「疲れたから宿に戻るんだよ」
「本気ですか」
「当たり前だ。こんな状態で事情聴取が受けられるか」
 尤もな理由だ。今にも倒れそうなギーレンが言うと真実味が増す。それでも納得は出来ない。何度も言うがシュピールは魔族だ。当事者がどう言い訳したらいいのか。
「適当に話を作っておけ。なんなら貴様が事件を解決した英雄にしてもいい。俺達に火の粉が降りかからないようにな。貴様は見ていただけだ。それぐらいしても罰は当たるまい」
「そうまで言うのなら何とかしましょう。通りすがりの戦士が敵を退けたということにしておきます」
「助かる」
 敵に礼を言うのも変な話だが、今のギーレンはそう言う気分だった。シュピールと事を構える余裕がないのが一つの理由だが、早々に立ち去りたいのが本音だ。会話が終わる頃にアンドレンがやってきて、フラットとギーレンを抱えて立ち去った。黙ってついて行くレイカをシュピールが呼び止める。
「龍人族はやはり魔王軍と敵対するのですか」
 レイカは逡巡してから言った。
「今のところはどちらの味方もしないと思う。でも、あたしはフラットさんの味方だから。虐めるようなことがあったら許さない」
 レイカの言葉には全く力がこもっていなかった。言いながらも迷っている。メンティラに言われたことが未だに頭の中で反芻されていたからだ。
「分かりました。そのように報告しておきます。それにしてもメンティラとは何者なのでしょうね、レイチェリカさん」
 わざとらしく言われてシュピールに教えてないことを思い出した。
「知ってるんだよね」
 レイカは苦笑いを浮かべた。
「ええ、まあ大体のことは聞き及んでいます。ですが、それだけでは説明できない部分が多すぎます」
「そうね……そうかもね」
 それを一番知りたいのはレイカだ。だが、今はメンティラのことは考えたくなかった。あからさまに嫌そうに顔をしかめるとアンドレンの後を追った。
 レイカが遠ざかるのを待ってシュピールが独りごちた。
「サーディルンは回収されてしまいました。彼女について何か分かると思っていたので残念です。フラットさん達も戸惑っておられるようですし」
 気付けば隣にドルガンが立っていた。
「それについては我も同じだ。数日は共にしたが正体を暴けなかった」
「私達の作戦が見抜かれたのかも知れません。抜け目のない女性です」
 シュピールが苦々しい表情を浮かべた。雲を掴むような現状に苛立ちを隠せずにいる。二人は視線をフラットに戻した。
「分からないのはフラットさんもそうです。かの戦王はあれほど凶悪な存在だったのでしょうか」
 シュピールがうつむいた。感情をあまり表に出さぬ彼が一連の事件で様々な表情を見せた。それがドルガンには意外だった。
「貴公は隠密に向いておらぬかもしれぬ」
「そうかもしれませんね」
 苦笑いを浮かべ、神妙な面持ちに戻して言葉を続けた。
「やはりフラットさんは危険です。彼の潜在能力は計り知れません。だからこそ今のうちに始末するべきです。なのに、なぜ監視を続けなければならないのですか」
 空を見上げ、誰にともなく呟いた。
「どうしてですか、ロウブ様」
 シュピールのか細い声が空に溶けていく。答える相手はおらず、消えた後は風の音だけが空しく響いた。




 エピローグ


 早々に現場を立ち去ったフラット達は真っ直ぐ宿に戻った。宿の従業員は傷だらけのままの姿に大慌て。レイカを娘のように思っている中年女性の驚きはことさらだ。フラットを非難しようとしてレイカが無傷に近いことに気付いた。
「あら、レイカが攻めなのね」
 女性がなぜか納得した。意味不明な言葉にフラットとレイカが首を傾げる。ギーレンが複雑な表情で目を背けた。彼だけは意味を知っているようだ。追及されまいと自らの足で女性の前を通り過ぎていった。
 事後処理はシュピールが恙無く終えたようで、事件は大々的に報じられたがフラット達を噂する人はいなかった。通りすがりの超人が魔物を退けたというのが有力な情報だ。実際に通りすがりなので事実なのだが、魔物達はある意味フラットの付属品だ。フラットが立ち寄らなければ被害はなかったのだから、当事者の心中は複雑だ。
 フラット達は夕食もそこそこにベッドに飛び込んだ。体力的にも精神的にも限界で、会話もせずに眠りについた。一晩中ベッドから出ることもなく、気付けば朝を迎えていた。ゆっくりと朝食を摂り、レイカの仕事ぶりを観察する。襲撃事件の被害がなかった宿では相変わらずの日常が続けられている。
 食事を終えると息つく暇もなく宿を出た。理由は至極簡単だ。元気を取り戻したレイカがついて行くと言い出しかねないからだ。振り回されるのはこりごりだ。
「でもいいのかな、別れも言わずに」
 港に向かう足を止めてフラットが言った。
「昨日のこともあるし、俺は心配だよ」
 レイカとメンティラの会話の内容を詳しく聞かされていない。だが、辛い現実を突き付けられたことはフラットも分かっていた。気持ちを共有して慰めたいとも思っている。それはレイカにとって心強いはずだ。フラットのプラスになるかは微妙だが。
 ギーレンがにやりと笑う。
「それなら残るか」
 フラットは慌てて首を横に振った。
「俺がレイカの気持ちに応えれば解決する問題が多いのも確かだ。でも、父さんは自分の力で捜し出したい。それに……」
 レイカに惹かれれば惹かれるほど強まる気持ちもあった。それはフラットにとってとても大切な物なのだ。
「俺には譲れない物があるから」
 フラットは力強く言った。その目は決心で強い輝きを放っている。
「お前ならそう言うと思っていた。安心したぞ」
「ギーレンに安心されてもな」
 複雑だった。困惑しつつも、ギーレンの気持ちを察する。
 ギーレンは離れていても一途に同じ人を想ってきた。だからこそいつまでも浮気心を抱いているフラットが許せなかったのだ。アキサスに来て何度責められ、呆れられたことか。それでも常に気にかけていた。フラットを、まだ見ぬ少女を真剣に案じていた。
「ギーレンって硬派なんだな」
「悪いか」
「いやいや、そんなことないって」
 噴き出すのを堪えながら笑うと、ギーレンが不機嫌になった。からかわれるのを嫌がるところがまた硬派だ。そう思い、フラットはにこりとした。ギーレンといると飾らず、無理をしなくてすむ。気が楽なようだ。頼りになる年長者でもある。ただ、女性が絡むと弱いのが玉に瑕だ。
 港に向かって再び歩き出すと、しばらくして横目に破壊の跡が映る。今は兵士によって封鎖され、撤去作業が行われていた。
「酷い有様だ」
「そうだね。何だか悪いことをした気分だよ」
 フラットはうつむき、後ろめたい気持ちに包まれた。ギーレンがフラットの肩を叩く。
「すんでしまったことは仕方ない。俺達は出来る限りのことはしたはずだ」
「だとしても被害を防ぐ方法はあったはずだよ」
 我を忘れて暴走したなど口が裂けても言えなかった。冷静なまま力を発揮すれば無意味な破壊を続けることもなかった。それはギーレンにも言えることだ。大技を繰り出して家屋を破壊し尽くしておきながらサーディルンを仕留められなかった。第三者の目から見れば大失態と言えよう。
「それでも俺達が奴らを止めなければ被害はさらに広がったはずだ。悔いても仕方ない。次の機会に上手に立ち回ればいい」
 ギーレンの言うことは正論だ。当事者が正論を振りかざすのは問題があるが、立ち寄らなくても同様の襲撃が起きた可能性もある。それに、失踪事件の犯人をあぶり出さなければ知らぬ内に被害が広がっていたはずだ。
 メンティラ・アーヴィン。レイカと同じ一族でありながら仲間を殺し、人を実験材料としか見ていない天上人の女。
「結局は何なのかな、メンティラって」
 彼女は自らを“Dを継ぐ者”と言っていた。それがずっと引っかかっていた。フラットが困惑しつつため息を吐くと、ギーレンが神妙な面持ちで言った。
「奴はお前が“エブィルの名を継ぐ者”だと知っていた。魔族に聞いたのかも知れないが、それ以上のことを掴んでいる。ハバードを“L”だと言っていたのも気になる。LとD……それが大きな意味を持っているはずだ」
 フラットがはっとする。慌ててかぶりを振った。
「まさかな……彼女も使徒なわけないよな」
「使徒……か」
 五千年の昔、戦争が終わり世界が救われた後、荒廃した天上界を復興へ導いたのが聖王マクリレンの十二人の弟子達だ。彼らは使徒と呼ばれ、世界をずっと見守ってきた存在。ハバードが正にそれだ。ハバードが生涯をかけて使徒を捜したが見つけられたのは一人だけだ。それなのにこの時期になって姿を見せるだろうか。メンティラの使徒を連想させる発言の数々。もしそうだとしても、人を人と思わない彼女が使徒とは考えられなかった。
 使徒は人々の為に在るもの、フラットはそう認識している。史実の影に埋もれた彼らの存在を知る人は少ない。正体が分からないのも事実。それでもハバードは人の為に働く道を選んでいた。他の使徒もそうであると信じている。
「どちらにせよ奴は敵だ。そして、俺達が奴の言う歯車の中に組み込まれたのならいずれ会えるさ。その時に聞き出せばいい」
「そうだな……そうするしかないな」
 いくら考えても答えは出ない。圧倒的に情報が不足していた。その中で分かっているのは、単に魔界と天上界の争いではすまなくなっていることだ。闇にうごめく者、その息吹が感じられ始めていた。
 程なくして港に着く。あれだけの惨事の中、港はほとんど無傷だ。船に限っては出航に何の問題もない。襲撃前にはほとんどの準備を終えていたからだ。
 出航は昼前。後一時間もすればアキサス市国を経つ予定だ。少しすれば客の乗船が始まる。フラット達が準備することは何も無く、航行中に襲撃がなければ優雅な船旅が待っている。エドガルドの情報は見つからず、あてのない旅ではあるが。
 桟橋の先でぼんやり海を眺めた。ゆったりと波打つ海は穏やかで、フラット達を快く迎えてくれるようだ。透き通るような青空に鳥が舞う。鳴き声が響き渡る。清々しい気分に包まれていった。だがそれは錯覚だった。聞き慣れてしまった声に嘆息することになる。
「フラットさん!」
 振り返ると、息を切らせて下を向く少女がいた。ギーレンが頭を抱える。フラットは少女の前に進み出た。
「どうしたんだ、レイカ」
「どうしたも何も無いよ。何で黙って出て行くの?」
 レイカは顔を上げ、フラットをじっと見つめた。責めるのも無理はない。レイカはフラットが好きだ。恋心は一時の迷いかも知れない。それでも好きな人が黙って目の前から消えるのは我慢ならないはずだ。
 フラットは言葉に困り、ふとレイカの手元に視線を落とした。別れを言いに来たにしては大きな荷物だ。
「まさか、ついてくる気じゃ……」
「何を今さら――」
 レイカが当たり前のように踏ん反り返った。
「――ずっと傍にいるって言ったはずよ」
 フラットは言葉を失った。口をぽかんと開けて間抜けな顔になる。確かに言われたが、本気でついてくるとは思っても見なかった。
「嫌だって言ってもついていくから。振り向いてくれるまで逃がさないからね」
「でも、仕事は……」
「やめてきた」
 当然のように断言する。
「お金は……」
「ほら、この通り」
 手荷物から札束を取り出した。給料に間違いないだろう。
「本当に来るのか」
「当然でしょ。それにね……」
 レイカの瞳が曇った。考えてることが伝わり、フラットも真剣な目で彼女を見詰めた。
「フラットさんについていけば必ずメンティラに会える。自分の為にもお兄様の為にもこれだけは譲れない」
 いくら突き放しても結果が変わらないのは目に見えていた。下心だけではないのであれば無下に出来ない。ギーレンに目を向けると、仕方なさそうに頷いた。アンドレンは――聞くまでもない。
「分かったよ。一緒に行こう」
「え、いいの?」
 レイカが目を輝かせた。いいも悪いも端からついてくる気なのに。フラットが頷くとほっとし、嬉しそうに微笑んだ。
 フラットが手を差し出す。仲間の証として握手をするつもりだ。レイカはしばらくフラットの手を見つめ、逡巡してから手を握ろうと見せかけて飛びかかった。抱きつく気だ。フラットはひらりと躱し、レイカがつんのめる。桟橋の先から海に飛び込みそうになるが、彼女の手をしっかり握って助け起こした。
 レイカはその場にへたり込み、不満げにフラットを見上げる。
「どうして避けるの?」
 頬をふくらませるレイカ。フラットが返答に困っていると、ギーレンが口を挟んだ。
「そう何度も引っかかるわけなかろう。少しは学習しろ」
「ギーレンさんには言われたくない」
 レイカは口をすぼめてそっぽを向いた。そして楽しそうに笑い出した。フラットもつられて笑う。ギーレンすら笑いを抑えきれなくなった。
(こんな旅も悪くないな)
 フラットはこの先に待ち受ける珍道中を思い、腹を抱えていつまでも笑った。笑い声が空に溶け込んでいく。それはとても心地の良いものだった。
 フラットは視線を海の彼方に向けた。そして独りごちる。

 ルシア、俺は元気にやってるよ。お前はどうだ?

 と。